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『子どものしあわせ』2015年7月号にインタビュー記事掲載

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『子どものしあわせ』2015年7月号に稲葉のインタビュー記事が掲載されました。

「私を育ててくれた人たち」というテーマで語っています。

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リレートーク:私を育ててくれた人たち
「個々の実存とむきあう」稲葉剛さん

 

路上生活者の方の生活支援に携わるようになって以来、「いのち・すまい・けんり」という言葉にこだわって活動を続けています。二〇〇一年に設立した自立生活サポートセンター〈もやい〉では、最初は湯浅誠との共同代表、二〇〇三年にNPO法人化してからは理事長。若手に理事長職をゆずった今は、理事としてかかわりながら、ホームレスの人たちが一時入居する個室シェルター事業を新たに立ち上げ、活動しています。

戦争にたいする憤り

広島出身ということもあり、戦争で理不尽に人の命が奪われることへの憤りはずっともっていました。幼いころに両親が離婚したので、母子家庭で育ったのですが、両親ともに原爆で家族や友人を失った経験を持っていました。母親は、一〇歳のときに疎開先の学校の校庭でキノコ雲を見て、その数日後に広島市内に入り、「入市被爆」をしました。積極的に語るわけではなかったですが、毎年夏になるとぽつりぽつりと当時の話をしてくれ、毎年、原爆が投下された八月六日の朝八時一五分にはテレビの前で黙祷する習慣がありました。そういう影響もあり、姉が高校生のとき、観光客に市内の被爆者慰霊碑を案内するボランティア活動をしていました。

小学校六年生のときの担任だった女性の先生のことは、よく覚えています。クラスのなかに、イジメとまではいかないけれど、無視するとか、席替えのときにあいつの隣になるはイヤだ、みたいなことがありますよね。そういうものを含めて、差別につながるんだと厳しく叱る先生でした。私たちの日常に潜んでいる、差別だと意識しないようなレベルの感覚も、実は社会の大きな問題とひとつながりなんだよと教えてくれていたんだろうと思います。

中学高校は、鹿児島にあるミッションスクールに進学し、寮生活をしました。自由な校風で、変わった先生も多く、のびのびやらせてもらったという気がします。生徒会活動を熱心にやって、新聞を学校に持っていって友達に政治的な議論をふっかけたりもしていました。そういえば、中学に入ったときに、親から買ってもらったのが、家永三郎さんの検定不合格教科書だったんです。こういうのも読んでおいたほうがいいよって。広島で育っているので、日本は戦争の被害者という意識が強かったのですが、加害者の側面もあることを知りました。

ひとりの人間として出会う

大学院に在籍していた一九九四年、東京都による新宿西口地下道の路上生活者強制排除があり、それに反対する活動にのめり込みました。強制排除で追い出された人たちが寒空のもと凍死するという事態は、自分にとっては、ある意味戦争と同じだったんです。自分たちの税金が人を殺すために使われるのはイヤだという生理的な嫌悪感と、強制排除をやめさせないと自分も加害の側に立たされてしまうという意識がありました。その後、仲間とともに新宿で野宿者支援の活動を立ち上げ、それが〈もやい〉設立につながります。

当時一緒に活動を立ち上げた見津毅くんが、「個々の実存とむきあう」という言葉を常々口にしていました。社会運動は、全体の社会的政治的状況の中でいかに効果的に動くかを考えるので、どうしても、一人ひとり、当事者の思いがないがしろにされがちな部分がでてきます。だけど、そういう一人ひとりの思いにもきちんと向き合っていく必要があるんだよ、と彼はよくいっていました。見津くんが若くしてバイク事故で亡くなった後も、ぼくは、彼の言葉はこの場面ではどういうことなのだろうと考えながら行動してきたように思います。

現在、力を入れている活動のひとつに、路上生活者への襲撃事件をなくす授業活動があります。こういった襲撃では、加害者の側の子どもたちにも、家庭が貧困だったり、ネグレクトや虐待があったりという状況が多くみられ、弱者が弱者をたたくという今の社会を象徴するような事件ともいえます。授業では、お題目のように「命は大切です」と唱えても子どもたちには伝わらないので、ホームレスの当事者あるいは経験者の方に一緒に教室に来てもらい、体験談を話してもらいます。“ホームレス”としてひとくくりで見るのではなく、だれだれさん、というひとりの人間として出会うことが大切だと思っています。

ますます弱肉強食的な社会になってきているなか、弱い立場の人に実際に会い、共感する機会を提供することが、これからの教育には求められるんじゃないでしょうか。最近は、中学生のときに稲葉さんの話を聞きました、とボランティアに来てくれる大学生もいてうれしいですね。

 

【いなば つよし】
1969年、広島市生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。在学中から平和運動、外国人労働者支援活動にかかわる。
2001年、湯浅誠らと自立生活サポートセンター・もやいを設立し、幅広い生活困窮者の相談・支援活動を開始。2009年まで学習塾講師として生計を立てながら活動を続けた。生活保護制度の改悪に反対するキャンペーンにも本格的に取り組んでいる。現在、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科准教授。
近著に『生活保護から考える 』(岩波新書、2013年)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために―野宿の人びととともに歩んだ20年』(エディマン/新宿書房、2014年)など。

【2015年7月17日】 信濃毎日新聞にインタビュー記事が掲載されました。

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2015年7月17日付け信濃毎日新聞夕刊にインタビュー記事が掲載されました。共同通信の配信記事で、京都新聞、山形新聞にも掲載されました。

住まいの貧困問題 若者たちも孤立 支援を
NPO理事 稲葉剛さん

 

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〈10人が亡くなった今年5月の川崎市の簡易宿泊所火災。不安定な居住環境で暮らす高齢者の「住まいの貧困(ハウジングプア)」問題を浮き彫りにした。しかし、ハウジングプアは高齢者だけでなく、今や多様な形で若い世代にも広がっていると、警告する〉

20年以上前から路上生活者の支援活動をしています。2001年に「自立生活サポートセンター・もやい」をつくりました。住まいの問題は、当初は「路上生活から抜け出たいのに、保証人がいないのでアパートに移れない」という50~60代の日雇労働者からの相談がほとんどでした。それが非正規雇用の拡大とともに、ワーキングプア層の20~30代の若者たちからの相談が、どんどん増えてきたのです。

仕事をして、その日の所持金でネットカフェやサウナに泊まったり、金がないと24時間営業のファストフード店で夜を過ごしたり、完全になくなれば路上生活…。住み込みの仕事で寮に入っても、解雇されると住む場所を失い、転々とする。

時々の状況で一晩を過ごす場所を変えるので、ネットカフェ難民のように寝る場所だけに注目しても意味がありません。仕事が不安定なワーキングプアが増えると住むところも不安定になるという意味では「表裏一体の問題じゃないか」と気づき、6年前に本を出版して問題提起しました。

ハウジングプアの問題は、住まいがないことで経済的な貧困から抜け出せない悪循環になるだけでなく、人間関係のつながりが切れ、社会的にも孤立すること。経済と人間関係の二重の貧困に陥ってしまいます。

〝路上一歩手前〟の若者は増え続けていると感じています。最近も「違法貸しルーム」が社会問題になったように、住む場所が多様化して、その実態が見えない不可視化が進んでいる。

非正規雇用で住まいの確保が難しい人は、無年金や低年金になりやすい。将来的には低所得の高齢者があふれかえる状況になるが、今の制度だと生活保護以外に使えるセーフティーネットがありません。それでいいのでしょうか。

〈対策に腰の重い行政に業を煮やし、「つくろい東京ファンド」を立ち上げた。住まいのない生活困窮者のために個室シェルターを提供する試みだ〉

欧米では「ハウジングファースト」と言い、住まいのない人の支援は、プライバシーが守られ安全が確保された住居の提供から始めるのが主流です。そこで、ビル所有者にマンション8室を提供してもらい昨年、個室シェルターを始めました。

住まいのない人がいる一方、空き家が約13.5%もあるというミスマッチは何とかならないか。国が空き家対策で低所得者に貸す仕組みをつくってくれるといいが、動きません。まず民間でモデル的な事業をやってみようと踏み出したわけです。大都市なら空き家の活用は有効だと思います。

ハウジングプア対策として「住宅省」をつくって、行政の一元化を図れと言いたいですね。箱物は国土交通省、生活に困窮している人への支援は厚生労働省と分かれ、現在は縦割りの弊害が大きい。これでは居住福祉的な観点が広がっていきません。国交省と厚労省がセットで動いて、箱物の規制や整備を行い、住まいに困っている人が適切な住居に入れる支援をやっていかないといけないのです。(聞き手・保坂渉/写真・萩原達也)

【いなば・つよし】
1969年広島市生まれ。東大教養学部卒。94年から路上生活者の支援活動に取り組む。認定NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」理事、「住まいの貧困に取り組むネットワーク」世話人。今年4月から立教大大学院特任准教授。著書に「ハウジングプア」(山吹書店)「生活保護から考える」(岩波新書)など。

※つくろい東京ファンドへの寄付については、こちらのページをご覧ください。

 

【2015年7月1日】 平和フォーラムニュースペーパーにインタビュー記事掲載

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平和フォーラムニュースペーパー2015年7月号に、稲葉のインタビュー記事が掲載されました。

http://www.peace-forum.com/newspaper/150701.html#1

インタビュー・シリーズ:102
戦争と貧困の問題はつながっている
自立生活サポートセンター・もやい理事 稲葉 剛さんに聞く
稲葉 剛さん

【いなば・つよしさんのプロフィール】
1969年広島市生まれ。被爆二世として戦争や平和の問題に敏感な子どもとして育つ。大学在学中から平和運動、外国人労働者支援活動に関わり、94年より新宿を中心に路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立し、幅広い生活困窮者への相談・支援活動に取り組む。09年、住まいの貧困に取り組むネットワークを設立し、住宅政策の転換を求める活動を始める。また、11年より生活保護制度の改悪に反対するキャンペーンに本格的に取り組んでいる。現在、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事、一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、生活保護問題対策全国会議幹事、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科准教授。著書は『生活保護から考える』(岩波新書)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために―野宿の人びととともに歩んだ20年』(エディマン/新宿書房)など多数。

─稲葉さんが生活困窮者の問題に関わるようになったきっかけはなんですか。

私は広島出身で、実は被爆二世なのです。母親が入市被爆者(原爆投下後、救援活動や肉親捜しなどで被爆地に入った人)なのです。そんなことがあって、平和運動に関心があり、学生の頃は湾岸戦争反対のデモなどをやっていました。バブル経済が崩壊した1994年2月に新宿駅西口地下で、ホームレスの「ダンボール村」が強制排除されるのを見に行ったのがホームレスの人との最初の出会いでした。当時、年間40~50人が路上で亡くなっていました。それにショックを受けて、路上生活者の支援活動として炊き出しや夜回りのパトロールなどを行ってきました。また、生活保護の申請をしても、役所では「水際作戦」として、窓口で追い返されることも横行していました。そんなこともあって、ホームレス問題に取り組むようになりました。私の中では、これも平和運動の一つと言えます。

─その後、行政の対応も変わってきたのでしょうか。

東京では2000年に「自立支援センター」ができて、自立支援に向けた動きが出てきました。しかし、施設に入って仕事が見つかり、アパートに入居するためのお金が貯まっても、入居に必要な保証人がいないという相談が増えたので、2001年に「自立生活サポートセンター・もやい」を立ち上げ、ホームレスの人がアパートに入る時の保証人になりました。こうしたことから居住支援が活動の根幹にあります。また、生活保護の申請も支援団体がサポートをするようになって、受けやすくなりました。
しかし、住まいの問題については、民間の宿泊所で生活保護費から住居費や食費を差し引いて、本人にはわずかしか渡らない「貧困ビジネス」も横行しています。一方、ドヤと言われる簡易宿泊所の居住環境は劣悪ですが、長期にわたって住んでいる人も多くいます。福祉事務所も「ホームレスは一人暮らしが出来ない」「面倒を見られない」などと偏見を持って、アパートに移ることを積極的に進めていません。私たちが保証人になっても、アパートの大家はそうした人を入れたがらない。公的住宅も非常に減っていて、「ハウジング・プア」と言える深刻な問題が生まれています。

─どうして、このような深刻な状況になったのでしょうか。政策の問題は何でしょう。

特に、派遣労働者は仕事とともに住まいも失ってしまうことから、2008年暮れからの日比谷公園での「年越し派遣村」で、こうしたことが大きな社会問題になりました。民主党政権の時は居住問題に取り組もうという動きもありましたが、自民党政権になって後退してしまいました。今年度から、「住居確保交付金」などの支援制度も出来ましたが、対象者は離職者のみで、高齢者は使えないなど、効果は限定的でしかありません。
一方、仕事があっても低賃金な若者や女性は住む所もなくて、脱法ハウスやネットカフェに出入りしていますが、そうした「ワーキング・プア」にも支援制度は使えない。特に安倍政権になってからは、生活困窮者への給付が縮小しています。子どもの貧困対策でも、法律は出来ても児童扶養手当の拡充もなく、民間の基金が入る方向になっています。国の責任で生活困窮者を支援することが弱くなっていて、生活保護水準の引き下げにもなっています。特に生活保護のバラマキ批判が出されて、自助努力や家族や地域の「絆」が強調されて、そこで支え合うということを制度の中に盛り込もうとしています。

─生活保護費の切り捨てでは、今年度、暖房費や住居費などを減額し、188億円も削減されています。その一方、オスプレイの購入や防衛費増額、海外支援のODA予算に膨大な金をばらまいている。そうした政治のあり方をもっと批判すべきですが、なかなか私たちも気がついていません。

生活保護基準に対する自民党などからのバッシングがありますが、私たちはこの基準を「命の最低ライン」と言っています。これが下がるということは、生きるための「ボトムライン」が下がることを意味します。例えば、就学援助や最低賃金のラインも連動して下げられてしまいます。社会のボトムラインをどう設定するかは、他にも連動しています。生活保護引き下げ反対の運動をすると、「自分たちの方がもっと苦しい」と言って叩くという事が起きています。「底辺への競争」に乗せられているようです。
確かに、路上生活者は少しずつ減ってきていますが、その一歩手前の、仕事や住まいが不安定な人は確実に増えているのではないかと思います。しかし、困窮者自立支援法にしても、生活保護水準以上の人に対するメニューが限られている。公営住宅にも入れない。そうなると、相談さえ行こうとしません。そうした人がどのくらいいるのかもわからない。厚生労働省が2007年に調査したところ、ネット・カフェ難民は全国で5400人でしたが、実際はもっと多いかと思います。

─いま、特に若者を中心とした「雇用」の問題が深刻になっています。連合も格差問題に取り組んでいますが、労働運動に期待することはありますか。

90年代は、私たちの所に相談に来るのは、50~60代の日雇い労働者の人が圧倒的に多かった。それが、1999年と2003年に労働者派遣法が改悪されて、派遣労働が拡大して、3人に1人は非正規労働という状況になって、若者や女性の相談が増えてきています。貧困が、かつては中間層だった人達まで広がってきているということを感じています。
とりわけ、20代では約半数が非正規労働者になっている状態で、正社員になることに必死になっています。そこにつけこんで、過労死寸前まで長時間労働をさせることが横行しています。私たちは「ブラック企業対策プロジェクト」を作って、キャンペーンもしていますが、雇用の質を確保していくことも必要になっています。その意味からも、今の国会では労働者派遣法の改悪と残業代ゼロ法案の成立は止めてほしいですね。それが将来的には貧困を阻止する事につながっていくと思います。

─日本の社会的基盤が崩れ、だんだんアメリカ型の社会になりつつあるようです。しかも、いま安倍政権は戦争法制を作り、自衛隊が戦争することになります。アメリカでは貧困層が兵士になっていますが、日本もそうなるのではないかと思っています。

それは感じています。いわゆる「経済的徴兵制」と言われますが、アメリカでは、貧困地域にターゲットを絞ってリクルートをかけるということが多いと言われています。日本で戦争法案が成立すれば、自衛隊への志願者が減ると思うのです。そうすると、アメリカで行われているような、貧困地域の人達を勧誘するというようなことが行われるのではないかと思います。
その上、海外で戦闘に巻き込まれると、それがトラウマになってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症してホームレスになってしまうのではないでしょうか。実際、アメリカではベトナム戦争など海外での戦闘行為に参加したことによるPTSDからホームレスになる人が増えています。そういう意味でも、戦争と貧困の問題はつながっていると言えます。

インタビューを終えて
過日、生活に困窮した母親が、公営住宅を強制撤去されようとする日に中学2年の娘を殺害した事件の判決が、千葉地裁で下されました。懲役7年でした。子どもの貧困率が16.3%、OECD加盟国中下から4番目となりました。国内総生産は上から3番目です。社会的につくられた貧困とも言えるでしょう。安倍政権は、弱者を切り捨て、戦争への道に歩みを進め、防衛予算を膨らませています。「戦争と貧困はつながっている」稲葉剛さんの言葉を噛みしめなくてはなりません。(藤本泰成)

【2015年6月22日】 全国賃貸住宅新聞に「つくろいハウス」の紹介記事「空室を生活困窮者支援の応急施設に活用」が掲載

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2015年6月22日付け週刊全国賃貸住宅新聞に、稲葉が代表理事を務める一般社団法人つくろい東京ファンドの個室シェルター「つくろいハウス」に関する記事が掲載されました。

空室を生活困窮者支援の応急施設に活用

150622全国賃貸新聞

自立前の一時的住居を運営

「ここに住めて本当に良かった」
85歳の小林勇さんは笑顔で話す。ベッドや冷蔵庫、テーブルなど一通りの物がそろった個室は、4畳半だが壁一面が窓になっておりそれほど狭さを感じさせない。

一般社団法人つくろい東京ファンド(東京都中野区)が東京都中野区で運営する生活困窮者のためのシェルター「つくろいハウス」には、ネットカフェで寝泊まりをする若者や収入が途絶えて路上生活を送っていた人たちが自活できるまでの一時的な住居として生活している。
昨年10月にオープンし、これまで1週間程度のショートステイを含め27人が利用した。小林さんもその一人だ。シェルターに入る前は老人ホームで暮らしていたが生活になじめず出てしまった。同法人の稲葉剛代表理事と知り合いだった小林さんは、昨年11月にこのシェルターに入ることになった。

稲葉代表は、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい(東京都新宿区)を14年前に立ち上げ、長年、生活困窮者のアパート入居や生活支援を続けてきた。これまで保証人を引き受け賃貸住宅入居をサポートしてきたケースは約2350件。家賃保証会社の緊急連絡先として登録したのは約350件ある。

オーナーが空室提供の申し出

シェルター運営のきっかけは、稲葉代表の活動をしる、ある賃貸マンションのオーナーからの申し出だ。東京都中野区にある築50年程のRC造マンションの住居部分3階が空室なので生活困窮者のために使ってほしい、という要望だった。

都内には100軒ほど生活困窮者を対象とした居住施設があるが、相部屋が多く個室は数えるほどしかないという。
現場の第一線に身を置いてきた稲葉代表にとって、こうした状況は現状のニーズと離れていると感じてきた。生活困窮者の中には、知的な障がいや精神疾患を持つ人も少なくない。彼らは集団生活になじめずストレスを抱えながら暮らしている場合もある。また、ネットカフェで寝泊まりしている非正規労働者などが病気になってもすぐに入居できる住居がなかった。

そこでプライバシーを守れる個室形式にしようと、2Kの居室それぞれに鍵を取り付け、個室仕様に変えた。7室を貸し出している。1戸は管理人室として使っており、夜間から朝まで管理人が常駐する。

建物の3階部分はつくろい東京ファンドがオーナーから借り上げ、利用者に貸している。収入状況で変わってくるが同物件では仕事を持つ人の家賃は約3万円、生活保護受給者は住宅扶助分を家賃として設定している。

人的なサポート体制を構築

応急的な住まいの提供というハード面での支援だけではない。自活に向けて人的なサポートも徹底する。週1回、6~7人のボランティアが集まり入居者の状況を把握するため面談を行っている。
収入のない利用者には生活保護申請のサポートを行い、生活が安定してくると部屋探しの手伝いを行う。「近所の不動産会社を回ったところ協力してくれる会社があり相談しています」(稲葉代表)。多くの利用者はシェルター入居後、だいたい2~3カ月でアパートでの新生活をスタートするという。

こうした活動を知って物件を提供したいというオーナーからの打診が少しずつ出てきた。中野区のワンルームや、新宿区の戸建てが新たにシェルター住居として加わった。「人的サポートが必要なので通いやすいなどの立地も重視しますが積極的に展開していきたいと考えています」と語る稲葉代表。貧困支援の第一人者は常の弱者の視点で前を見据えている。

※つくろい東京ファンドへの寄付については、こちらのページをご覧ください。

 

【2015年6月18日】 東京新聞:川崎・簡易宿泊所火災に関するコメントが掲載

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2015年6月18日付け東京新聞の特報面に「『怖いけど ついのすみか』川崎・簡易宿泊所火災1カ月ルポ」という記事が掲載されました。

NPO法人もやいによる厚生労働省への申し入れや私のコメントも詳しく掲載されています。

※関連記事:単身・低所得の高齢者が安心してアパート入居できる仕組みを!

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015061802000185.html

【特報】「怖いけど ついのすみか」 川崎・簡易宿泊所火災1カ月ルポ

10人が死亡した川崎市川崎区の簡易宿泊所(簡宿)火災から17日で1カ月。簡宿は、高齢の生活保護受給者の最後のトリデとなっている。現場を歩くと、身寄りのない「住人」たちは「火事は怖いが、ほかに居場所がない」と口をそろえた。対策はあるのか。困窮者を支援するNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の稲葉剛さん(45)は、民間アパートの借り上げによる公営住宅の拡充などを提案している。 (白名正和)

(中略)

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今月十日、東京・霞が関の厚生労働省。稲葉さんはNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の仲間とともに、同省の担当者に「困窮と住宅問題を統一的に議論してほしい」と申し入れた。

「過去に起きた類似の火災の際も要望したが、建物は国土交通省、利用者は厚労省の管轄と分かれるため、有効な対策が打ち出せていない。根本的な解決策がないまま悲劇が繰り返されている」。要望の後、稲葉さんは記者に強調した。

「類似の火災」の一つが、群馬県渋川市の無届け老人施設「静養ホームたまゆら」だ。二〇〇九年三月、入所する高齢の生活保護受給者ら十人が死亡した。施設の壁の一部にはベニヤなど燃えやすい素材が使われ、火災報知設備も設置していなかった。

二年後には、東京・大久保の築四十八年の木造二階建てアパート「ローズハウス林荘」が全焼し、生活保護を受ける単身高齢者五人が死亡。アパートは四畳半一間がほとんどだった。

「川崎の火災も含め、高齢の受給者が住宅の選択肢を失って劣悪な環境に追いやられ、火災によって命を失った点で共通している」と稲葉さんは指摘する。

困窮する高齢者の住宅確保は難しい。本来の受け皿である公営住宅だが、川崎市内では約一万七千戸があるものの空きはほとんどなく、新規建設の予定もない。
民間アパートもハードルが高い。保証人が確保しづらく、孤独死を嫌う大家も貸し渋るためだ。実際、日本賃貸住宅管理協会の一〇年の調査では、高齢者の入居に拒否感がある大家は全体の59・2%に達した。

稲葉さんが、ある契約書類を見せてくれた。「もやい」が法人として高齢者の保証人となった際に大家と交わしたものだ。「(孤独死した場合は)部屋全体の原状回復を行わなければならず、相応の費用をご負担いただくことになります」との一文が明記されていた。これでは、一般の人は二の足を踏むだろう。

中には受給者を受け入れる「福祉可」という物件もあるが、「建物が老朽化していることが多く、大久保の物件のように、住環境が良いとは言えない」(稲葉氏)。こうなると選択肢は、無料低額宿泊所や簡宿しか残らない。

川崎市は一三年十一月、簡宿の住人にアパートへの転居を促す取り組みを始めた。今年三月末までに百十五人が簡宿を出たが、宿泊所で生活保護を受ける人の数は、制度の導入前後でほぼ変わらない。

川崎市保護課の担当者は「受給者が出ても、別の受給者が入ってくる」と説明する。一時的な宿であるはずの簡宿が、住宅に困る困窮高齢者の受け皿となっている実態が見て取れる。火災現場や簡宿を歩いた記者の実感とも重なる。

では、どうするべきなのか。稲葉さんは以前から「自治体が民間アパートを借り上げる形の公営住宅を増やし、さらに公的な入居保障制度を導入することで、アパートが借りやすくなる。空き家対策として、民家への入居を促す方法もある」と唱えてきた。

公営住宅の新規建設よりは、現実的な提案に聞こえるが、行政の反応は鈍かった。川崎の火災を受けても、国交省は違法建築の確認と是正を徹底する通知、厚労省は情報収集にとどまる。川崎市は、再発防止に向けた対策会議を開いているが、違法建築対策が主な議題だ。

稲葉氏は「通知を出すだけでなく、今こそ、困窮高齢者の住宅対策を一から話し合うべきだ。(簡宿の利用者は)これまでの住宅政策の不備によって『ここでいい』と思わされてしまっている。住宅政策の不備をこれ以上押しつけてはいけない」と訴える。

 

【2015年6月15日】 民医連新聞にインタビュー記事が掲載されました。

メディア掲載

2015年6月15日付け民医連新聞に、生活困窮者自立支援法に関するインタビュー記事が掲載されました。

※関連記事:仕事さえあれば、貧困から抜け出せるのか?~生活困窮者自立支援制度の問題点

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http://www.min-iren.gr.jp/?p=23748

4月からスタートした生活困窮者自立支援法 問題点は? 自立生活サポートセンター・もやい理事 稲葉剛さんに聞く

今年四月から生活困窮者自立支援法が施行されました。地方自治体は「生活困窮者」の自立支援事業を行わなければいけなくなりました。当初は「生活保護の手前のセーフティーネット」として議論されていた同法ですが、「社会的孤立者」への支援が削られるなど、問題もはらんでいます。NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事の稲葉剛さんに聞きました。

民主党政権(二〇〇九~一二年)時、「生活保護の手前のセーフティーネットを充実させよう」と議論が始まりました。一二年暮れに自民党が政権に返り咲くと、法制化される過程で内容が縮小していきました。
民主党の「生活支援戦略」では「経済的困窮者・社会的孤立者を早期に把握し、必要な支援につなぐ」と書かれていました。しかし「社会的孤立者」という文言は削除されました。支援内容を就労支援に限定し、支援の対象も「就労できそうな層」に絞り、就労が見込めない高齢者や障害者は排除しています。

■経済給付は一部のみ

事業には、自治体が行わなければならない「必須事業」と、やってもやらなくてもいい「任意事業」があり、必須は「自立相談支援事業」と「居住確保支援」のみ。家計相談や子どもへの学習支援などは任意事業になります。支援内容に地域格差が生じるでしょう。
「中間的就労」をすすめていることも問題です。これは就労訓練の一つで、最低賃金以下で働いてよいことになっています。生活困窮者が最賃以下の劣悪な労働環境に置かれ、労働市場全体の劣化も招きます。
同法には経済的な給付はほとんどありません。生活に困窮している人たちにとって、最低限のお金は必要不可欠です。しかし、政府の方針は「社会保障費を減らす」ことですから、「支援にはつなげるが、お金は渡さない」内容なのです。

■機能しない住宅支援

唯一の経済給付は「住居確保給付金」ですが、家賃補助(三カ月)の対象を離職者に限定しており、非常に使い勝手が悪いのです。
ネットカフェや脱法ハウスで暮らす人の多くは仕事をしています。収入は低く、せいぜい月一四~一五万円程度。敷金や礼金を用意できず、劣悪な脱法ハウスなどで暮らさざるをえません。生活困窮者ですが、仕事をしているため、給付金は利用できません。
給付金の前身である住宅手当・住宅支援給付の実績を見ると、制度開始時の二〇〇九年に三二九〇件だった新規利用は一三年には九〇一件に激減。一方で常用就職率は七・八%から七五・四%に上昇しました。自立支援事業に変わっても同じことが危惧されます。

■就労に偏った支援

相談窓口業務は民間委託が可能です。受託した事業者は実績を求められます。新規利用を減らせば就職率は上がるので、再就職ができそうな人にしか給付金の利用を認めないなどの運用になりかねません。
すでにパソナなどの人材派遣会社に委託する自治体も。派遣会社が福祉的な対応をするとは考えにくく、自社で安い労働力として働かせる危険まであります。
もともと自治体には、困窮者のための生活保護の窓口があります。それと別に新しい窓口を作ることで、生活保護を受けるべき人が自立相談窓口に回され、「就労支援」しか受けられず、帰されかねません。同法からは「仕事さえ与えれば貧困から抜け出せる」という発想が透けて見えます。

■雇用と住居の充実を

同法が主な対象としている若年層の現状から、あるべき支援を考えてみましょう。こんなデータがあります。二〇~三〇代で未婚・年収二〇〇万円未満の人の七七%が親と同居。一方、四人に一人は親と別居で、うち一三・五%が「定まった住居がない」経験が「ある」と回答。広い意味でのホームレス状態です。
若年層に貧困が拡大しているのは、度重なる法改正で低賃金で不安定な派遣労働を拡大し、非正規労働者が急増したためです。雇用の劣化と住居確保へのアクセスの悪さこそ解決しなければなりません。
生活保護につなぐべき人がつなげられないなど、制度の問題点が浮き彫りになってくると思います。ぜひ医療や福祉の現場で働く人たちが発信してほしい。それが制度改善の力になります。(丸山聡子記者)

いなば・つよし 1969年、広島市生まれ。被爆二世。立教大学准教授。東京大学在学中から平和運動や外国人労働者支援に関わり、94年から路上生活者支援。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。09年、「住まいの貧困にとりくむネットワーク」を設立。11年から生活保護改悪に反対するキャンペーンを展開。

(民医連新聞 第1598号 2015年6月15日)

【2015年5月24日&26日】 朝日新聞:川崎・簡易宿泊所火災に関するコメントが掲載

メディア掲載

朝日新聞の2015年5月24日付け朝刊と5月26日付け朝刊に、川崎での簡易宿泊所火災に関するコメントが掲載されました。
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http://www.asahi.com/articles/ASH5R527VH5RULOB00X.html

「最後の居場所」奪った猛火 川崎宿泊所火災から1週間

 9人が死亡し、19人がけがをした川崎市の簡易宿泊所(簡宿)の火災から24日で1週間。全焼した「吉田屋」と「よしの」の周りには、今も仲間の安否を気遣う住民たちが集う。猛火は原因究明も、死者の身元確認も難しくしている。
 23日午前9時。焦げたにおいが漂う現場前には、警察や消防の検証を見守る吉田屋の住民たちがいた。
 「ここに来れば、誰かいる。仲間が無事かを確かめ合うんだ」。1階に住んでいた男性(61)は、近くの別の簡宿から毎日のように足を運ぶ。寝る前になると、天井から落ちてくる火の粉を思い出し、眠れなくなる。心を落ち着かせようと、毎晩、カップ酒を飲み、床につく。
 死者は9人。身元がわかったある男性の遺体は、家族が引き取りを拒否した。「決して珍しいことではない」と市の担当者は言う。
 30軒以上の簡宿がひしめく川崎区日進町の取材を通して浮かび上がってきたのは、「無縁社会」へと突き進むこの国の姿だった。
 キャバレー店長、沖縄の基地関係者、潜水士……。職を転々とし、この街に流れ着いていた。「行く当てなんてどこにもない」。みな異口同音に言った。
 過去は語らず、ともに酒を飲み、カップラーメンを分かち合う。焼け落ちた簡宿は、家族と別れ、すみかを失った人たちが見つけた「最後の居場所」だった。
 市によると、周辺の簡宿には、1300人の生活保護受給者が暮らす。7割にあたる880人は、65歳以上の高齢者だ。
 「結局、ここに押しつけていたのはみなさんじゃないですか」。この街に70年以上住む、ある簡宿の男性経営者は憤った。
 1960年代、大工や作業員といった労働者が中心だった。当時は高度経済成長期。どこの宿も廊下にあふれるくらい人がいた。
 JR川崎駅前にいた路上生活者らを受け入れ始めたのは74年。男性は「川崎大師の玄関口にホームレスがいると見栄えがよくないという声が出て、組合として受け入れた」と振り返る。
 生活困窮者の支援に取り組むNPO「自立生活サポートセンター・もやい」(東京)の稲葉剛さん(45)は今回の火災について「『住まいの貧困』という社会の構造的な問題をあぶり出した」と指摘する。
 生活保護受給者への住宅扶助は、一般的に月5万~6万円。アパートを借りられる金額だが、単身で低所得の高齢者は、孤独死を嫌う家主から受け入れられにくい。「住居の選択肢が少なく、劣悪な環境に追い込まれている」と稲葉さんは言う。
 市が周辺の簡宿49棟を調べた結果、約7割に違法建築の疑いがあった。大の男が立てば頭が天井に届きそうな3畳一間は、宿泊施設としては不適切だった。
 行政も消防も放置してきた街。見て見ぬふりをしてきたのは、私たち自身でもある。(照屋健、村上友里)
■原因究明・身元確認は難航
 失火か放火か。神奈川県警の捜査も進む。
 これまでの調べでは、出火したのは、吉田屋の玄関から3メートルほど入った1階廊下付近。ベニヤの建材の上にウレタンが敷かれ、燃えやすかった。油をまいたような痕跡はなかった。焼け方が激しく、火元となり得るたばこの不始末や古い電気配線なども、確かめられないという。
 犠牲者の身元確認も難航している。判明したのは3人だけ。今後、DNA型鑑定を進める方針だが、血縁のある親族を探し出さなければ照合はできない。「親族との交流を絶っている人や、すでに親族がいない人も多いだろう。どこまでたどれるか」と捜査関係者は話す。引き取り手がない遺体は、市が無縁納骨所に納めるという。(永田大)
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http://www.asahi.com/articles/DA3S11773605.html

簡易宿に定住、なぜ 川崎火災9人死亡

 川崎市の簡易宿泊所(簡宿)2棟が全焼して9人が犠牲となった火災は、一時的な宿泊先であるはずの場で、生活保護を受ける高齢者らが長年暮らしている現状を浮き彫りにしました。「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する生活保護。住まいのセーフティーネットはいま、どうなっているのでしょうか。
 ■公営借家、高い倍率
 生活保護を受ける世帯数は、今年2月時点で161万8685世帯。この30年間で2倍以上に増えた。高齢者世帯の増加が目立ち、全体の半数近くを占める。
 受給者の家賃は「住宅扶助」として支給される。地域や家族の人数ごとに上限となる基準額が決まっている。東京23区で暮らす単身者なら基準額は5万3700円だ。基準額内で払える家賃のアパートなどを受給者が探し、実費が支給されるのが原則だ。
 では受給者はどんな住居で暮らしているのか。厚生労働省は昨年、約11万世帯を対象に実態調査をした。持ち家で住宅扶助がいらない人などを除く約9万6千世帯のうち、比較的家賃が安い公営住宅(公営借家)にいる人は2割にとどまり、6割超が民間アパートなどの民営借家だ。公営住宅募集戸数の応募倍率は全国平均で6・6倍、東京都では23・6倍に達する(国土交通省調べ)。受給者にとっても入居のハードルは高いようだ。
 無料低額宿泊所や簡易宿泊所で暮らす受給者は約2%。ただ地域差が大きいと考えられる。高度成長期に多くの建設労働者が集まった東京・山谷地区や大阪・釜ケ崎などには簡宿が密集している。横浜・寿地区には約120の簡宿があるが、横浜市によると滞在者の84%が生活保護受給者だという。
 居住環境でも課題は残る。健康で文化的な住生活を営むのに必要不可欠な面積として、政府は「最低居住面積水準」を決めている。単身者では25平方メートルだ。厚労省調査によると、これを満たす住居割合は、一般世帯が76%に対し、受給世帯(民営借家)は46%にとどまった。受給者のいる簡宿などは床面積が平均6平方メートルで、狭さが目立った。
 こうしたなか政府は7月から住宅扶助の基準額を全体では引き下げる。約4年間で約190億円の国費を削減する方針だ。引き下げ後の住宅扶助額で今の家賃がまかなえなくなる受給世帯は、約44万世帯に達すると見込まれている。一部の受給者が今後、引っ越しなどを迫られる可能性もある。生存権侵害であるとして日本弁護士連合会が引き下げ撤回を求めるなど、批判も強い。
 ■高齢者入居、拒む業者も
 「受給者が10件、20件の物件をあたっても、契約できないことは珍しくない」。東京23区で20年以上、ケースワーカーをしてきた男性(60)は実情をこう話す。
 一人暮らしの高齢者の場合、ハードルはさらに高くなる。孤立死して「事故物件」になることを業者が恐れるからだという。
 「障害者や高齢者で特に単身世帯であることによる入居拒否の実態が一部に見受けられる」。住宅扶助見直しを検討した厚労省審議会が今年1月にまとめた報告書も、そう指摘した。
 2009年。群馬県の無届け高齢者施設「静養ホームたまゆら」で入居者10人が亡くなる火災が発生した。この火災も、犠牲者の大半が東京都内の生活保護受給者だった。身寄りがない高齢受給者が、都外の施設に送られている実態が問題となった。
 首都大学東京の岡部卓教授(社会福祉学)は、惨事の背景に「構造的な問題がある」と指摘する。「ケアが必要になってアパートに住めなくなった高齢受給者などは本来、介護施設を利用できるようにすべきなのに空きがない。公営住宅も数が足りない。結果的に行き場のない人が無届け高齢者施設や宿泊所に集まってしまう」
 生活保護受給者のアパート入居を支援する認定NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」(東京都)。理事の稲葉剛さんは「受給者ら低所得の人に人間らしい住まいを確保するため、縦割りとなっている行政の取り組みを一本化するなど支援を強化すべきだ」と話す。
 生活保護法30条には、受給者はアパートなど居宅に住んでもらうという原則が明記されている。川崎市の簡易宿泊所にいた受給者について稲葉さんは「『彼らは選んであそこ(簡宿)に住んでいた』ととらえず、(居宅の)原則を実現するための支援が足りなかった結果とみるべきだ」。
 生活保護受給者の家賃の上限にあたる住宅扶助の基準額の引き下げについても稲葉さんは「これまでにも増して、住まいの選択肢は狭まってしまう」と心配している。
 (中村靖三郎、久永隆一)

 

【2015年4月9日】 産経新聞に個室シェルター「つくろいハウス」に関する記事が掲載

メディア掲載 日々のできごと

2015年4月9日付け産経新聞記事(共同通信配信)に、一般社団法人つくろい東京ファンドの個室シェルター「つくろいハウス」に関する記事が掲載されました。

生活困窮者向け宿泊施設「個室化」進む
次のステップへ「安心」提供

住まいを失った生活困窮者向け宿泊施設の「個室化」を進める動きが都内でも広がっている。地価が高い23区内などでは相部屋形式が多く、心の病などで施設になじめない人が路上生活に戻ってしまうこともある。支援関係者は「困窮者が次のステップに進めるよう、安心して過ごせる場所を提供したい」と話している。

150409産経記事

中野区の鉄筋コンクリート3階建てビルに入る「つくろいハウス」。3階部分の6畳と4畳半の8部屋を、1~6カ月程度宿泊できるシェルターとして使っている。昨年7月の開設以降、今年3月末までに計23人を受け入れてきた。

「着の身着のままでここに来た」と、昨年秋から暮らす小林勇さん(84)。介護保険の要支援2の認定を受け、週に1回ヘルパーに洗濯や掃除を手伝ってもらっている。「この年になると借りられるアパートを探すのは難しい。本当にありがたい」と話す。

シェルターは短期の滞在が基本。新たな住居に移れるまで、スタッフが生活保護の申請を手伝うなどサポートする。家賃は入居者の経済状態によって設定しており、月に数万円が目安だ。負担ゼロの場合もある。

ハウスを運営するのは、ホームレス支援を続けてきた稲葉剛さん(45)らがつくる「つくろい東京ファンド」。自己資金に加え、インターネットを通じて小口の出資を募るクラウドファンディングなどを活用し、運営の初期費用約200万円を集めた。

部屋はビルのオーナーが「暮らしに困っている人のために使ってほしい」と安く貸してくれた。生活困窮者が宿泊できる施設は目的によってさまざまなだ。シェルターは緊急一時宿泊事業として、自治体がNPO法人などに委託して運営しているケースが多い。
入居者の相談に応じて就労を図る「自立支援センター」という形態もある。民間事業者による「無料・低額宿泊所」は23区内など都市部を中心に増えているが、一部に悪質な「貧困ビジネス」が疑われるケースも指摘される。

つくろいハウスに入居する別の男性(42)は、公園やネットカフェでの寝泊まりを繰り返してきたという。
「公園ではアルミの防寒シートで体をぐるぐる巻いて寝ていた。落ち着いたところで寝られると疲れがとれる」

これで意欲が湧き、ホームレスが街頭で立ち売りする雑誌「ビッグイシュー日本版」の販売員として働き始めて貯金をし、3月中旬からは自分でアパートを借りた。

ホームレス支援に取り組むNPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、「居住環境が整うことで、今後の生活がイメージできる。頑張ろうという意欲が出て、自立につながる」と、施設個室化が全国的に広がることを期待している。

 

【2015年3月26日】 毎日新聞:貧困の若者:過半数家賃払えず…実家に「居候」

メディア掲載

http://mainichi.jp/select/news/20150326k0000e040187000c.html

貧困の若者:過半数家賃払えず…実家に「居候」

毎日新聞 2015年03月26日09時35分(最終更新03月26日09時40分)

低所得の若者の7割超が「家賃を払えない」などの理由で実家で親と同居している−−。市民団体「住宅政策提案・検討委員会」が行った調査からそんな現実が見えてきた。2月に同団体とNPO法人ビッグイシュー基金が東京都内で開いたシンポジウムでは深刻な現状も報告された。同居の場合、親が年を取れば、経済的にも介護面でも若者を取り巻く問題が一気に顕在化するとされる。出席者からは住宅政策の転換を求める声が上がった。

●過半数家賃払えず

「両親から『自立しろ』といわれるが、家賃を負担できるか不安で踏み出せない」(埼玉県の20代男性)、「過労で退職した30代の息子と同居しているが、ストレスから暴力をふるわれる」(東京都内の80代女性)−−。シンポジウムでは、同委員会メンバーで、若者の貧困問題に取り組むNPO法人「ほっとプラス」(電話048・687・0920)の藤田孝典代表理事が、日ごろの活動の中で受けた相談例を紹介した。いずれも低所得の若者が親と同居した場合に見られる深刻なケースの一端だ。

同委員会の調査は、年収200万円未満の20〜30代を対象にし、1767人から回答があった。「親と同居」は77・4%に上り、同居する理由は、「住居費を負担できない」が53・7%と過半数に。職種別では「無職」が39・1%で、パート・バイトが38・0%。これに対し正規雇用は7・8%に過ぎなかった。

対象者のうち、年収「なし」が26・8%、「50万円未満」が22・8%で、2人に1人が家賃を払う余裕がないことがうかがえる。

最終学歴でみると、大卒以上が37・2%もいる。ただ、大学を出ても、希望通り就職できなかったり、勤務先で過労や人間関係のトラブルによって退職したりすることも珍しくない。

また、学校生活でいじめを受けた経験のある人が3割、不登校・ひきこもりの経験があった人も2割を超えるほか、ホームレス状態の経験がある人も6・6%いた。

●行政の支援少なく

将来も厳しい。親の年収と合わせた世帯年収で、200万円未満が4割に上る。所得が低いと親の退職や介護、住宅の修繕などができない可能性も高い。さらに、結婚できると思っている人は6・6%、予定がある人は2・5%しかおらず、配偶者ら家庭の支えも期待できない。

市民レベルでの支援活動をするNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の稲葉剛理事は、住居のない生活困窮者のために東京都中野区のビルを改装して、個室シェルターを提供する団体「つくろい東京ファンド」を昨年、設立したことを紹介した。会場からは、不動産投資をしているという男性から、低所得の若者向けに部屋を提供したいとの提案もあった。

一方で、行政レベルの動きは鈍い。住宅政策提案・検討委員会委員長の平山洋介神戸大大学院教授(土木・建築工学)は「かつては大学を出て正社員となり、家庭を作って家を買うのが普通であり、住宅政策も家族がある人の住宅購入を助けることが中心だった。その前提が崩れたのに、単身者や低所得者向けの政策が少なく現状についていけていない」と指摘し、「住まいがないと雇用が不安定になる。家賃補助や低家賃の公営住宅整備の促進などの政策が必要」と訴えた。稲葉さんも「現状で使える制度は少ない。失業中であれば就労支援があるが、低所得でも職があれば難しい。4月以降、生活困窮者自立支援法施行に伴い、福祉事務所で相談が可能になればよいが」と話す。

●過労で「出戻り」

親と同居中の若者はどう考えているのか。東京都八王子市のフリーライター、浅野健太郎さん(33)は、専門学校卒業後、非正規で映像関係の仕事をしながら1人暮らしをしたが、過労のため1年でダウン。親元に戻り、現在はライターだけでなく、チラシ配りのアルバイトなどをする。収入は月17万円ほど。3万円を家賃として親に渡している。

「親との関係は良好だけど、立場としては居候のようで気を使う。家を出られるなら出た方がいいのだけど……」。無理をすれば1人暮らしも可能だが、その場合、生活を切り詰めなければならない。特に「交際費を削りたくない。人とのつながりは保っていきたい」という。

自営業の親はまだ60歳で元気だが、高齢になるにつれ、収入減が懸念される。先行きは不透明だ。

そんな自分の体験を基に「脱貧困ブログ」を書き、同世代の若者と情報共有をしている。「収入が増え、いつかはシェアハウスのようなものを作って、家のない人を救えれば」と夢を語った。【柴沼均、写真も】

 

※関連記事:『若者の住宅問題』―住宅政策提案書 調査編― が完成しました(NPO法人ビッグイシュー基金ウェブサイト)

【2015年3月8日】 「ダ・ヴィンチニュース」に『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』のレビュー掲載

メディア掲載

「ダ・ヴィンチニュース」に、川澄萌野さんによる拙著『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために——野宿の人びととともに歩んだ20年』のレビューが掲載されました。

ぜひご一読ください。

野宿の人びととともに歩んで20年…今語られる路上のリアル | ダ・ヴィンチニュース 

 

 

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