対談・インタビュー

女子高生とホームレス~安心できる場所を作るために:対談 仁藤夢乃さん(一般社団法人女子高生サポートセンターColabo 代表理事)

対談・インタビュー

きっかけは「私達高校生も同じじゃん!」

稲葉:本日はあわやハウスにお越しいただき、ありがとうございます。今日の対談は、一般社団法人女子高生サポートセンターColabo代表理事の仁藤夢乃さんに来ていただきました。よろしくお願いします。
仁藤:よろしくお願いします。
稲葉:仁藤さんをご存知の方は多いと思いますけれども、「女子高生の裏社会」という本を私も読ませていただきましたが、JK産業の実態について大変詳しい報告をしていただきまして、また、最近テレビなどのメディアなどでも活躍されています。先日、反貧困全国集会でもシンポジウムで一緒だったんですけど、そこでもいろいろ話していただいたんですけど…。ご存知の方も多いと思うのですけど、仁藤さんがなぜこのような活動を始められたかというところから話していただけますか?
仁藤:私の高校時代は家とか学校でいろいろうまくいかなくて家庭も崩壊していて、学校も、「不登校」という言葉が嫌で「登校拒否」と言っていたんですけど、まわりにいる大人達ともすれ違いというか、理解し合えない生活をしていて、家庭では結構物が飛んだり、暴力的な言葉も飛び交うようだったのが中高時代でした。私は高校を辞めてしまったんですけど、そのあと家とか学校とかに居場所がなく、安心できる場所がなくて、私は渋谷の街で過ごすようになりました。一ヶ月の内25日くらいは渋谷で過ごして、高校生なんでアルバイトもしていたんですけど、まだ漫画喫茶とかネットカフェにでも泊まれる時はいい方で、お金のないときはビルの屋上にダンボールを敷いて一夜を過ごしたりとかしてました。その時は「うちらリアルホームレスだよね」とか、マスメディアで30代男性達がネットカフェ難民になっているニュースを知って「問題だよね」とか言い合っている時代でした。
稲葉:いつくらいですか?
仁藤:2006年に私は高校を中退したんですけど、だから、2004年、2005年くらいからそんな感じでした。
稲葉:もやいもそのくらいからネットカフェ暮らしの若者の相談が増えたんです。
仁藤:そうですか。私達もテレビ見ながら、「うちらもだね」なんて言ってました。
稲葉:この本のサブタイトルにも”関係性の貧困”という言葉が使われていますけど、私と湯浅誠が中心になって2001年に「もやい」という団体を立ち上げた時のキーワードが”人間関係の貧困”という言葉でした。1990年代からホームレスの人たちが各地で増え始めて、私達はその人達の支援をしてホームレスの人たちの状況を見るにつけ、経済的に貧困状態にあると同時に人間関係、繋がりの面で貧困状態にあるなと感じたんですね。ですから、その両方のサポートをしていかないといけないということで、特にホームレスの人たちがアパートに入る時に必要な保証人を提供するという事業を始めたわけですけども、それと全く同じような状況が2000年代からネットカフェという言葉がでてきたように、若年の働いている人たちに拡がって、それがいまや高校生にまで拡がっているというのが(仁藤さんの本には)克明に描かれていて、すごくショックを受けたのですけど、こういう中でどのような活動をしてらっしゃるのですか?
仁藤:そうですね、今は女の子達との関わり作りというか、関係づくりをしているんですけど、私も高校中退したあと、19歳くらいになって大学に進学しようかと思った時に、知人に勧められて湯浅さんの本を読んで、そこで湯浅さんや稲葉さんがおっしゃってる「貧困というのは経済的なものだけでなく、精神的や人間関係の貧困もある」というのをその時に学んで、「私達高校生も同じじゃん!」と思ったのが今の活動に通じているんだと思います。
稲葉:なるほど
仁藤:ホームレス支援に本当に似てると思うんですけど、夜の街を巡回して、22時半以降とか終電前に帰れない、または帰ろうとしない女の子達に話しかけて、そこから繋がって話を聞いたり相談を聞いたり。一緒にご飯食べよって会を開いて、いろんなお姉さん達を呼んで視野を広げたりしてもらったり、繋がりを作ったりとほそぼそとやっていたんですけど、それが本も出て、すごい注目するようになって、女の子たちからもSOSやいろんな声がすごく増えてきて、もうちょっと女の子達に届けられる活動にこれからしていきたいなぁと思っているんですけど、出会う女の子の中にも本当にホームレスの方々と同じような状況にある方がいらっしゃいますよね。家とか学校に居場所がないとか、たとえば虐待を受けているんだけど周りは気づいていないとか、気づいていても誰も手を出せない状態であるとか、そうやって安心して過ごしたり帰る場所がないときに女の子たちの行き場がないんですね。そんな時に街に立ったりとか、ネットにSOSを書いたりとかするわけですけど、そこに気づいて手を差し伸べようとする大人がほぼいないんです。
私も高校生の時に街に立っていた時に、周りの大人は冷たい目を投げかけ通り過ぎると思っていました。声をかけてくる大人っていうのは、買春目的のおじさんだったり、JKビジネスのような危ない仕事に誘うようなスカウトだったり、自分たちを性的な対象とか商品として見るようなそんな大人しかいないんです。
でも、そうではなくて本当はもっと支援したり支えたいという大人たちが街に立って声を掛けたり支援に繋げたりする必要があると思うし、そうしていきたいと思います。pic-b

行き場をなくした子どもたちはどこにいる?

稲葉:本の中でも、裏社会でのスカウトは力があるってお話を書いておられましたけど、社会的に孤立しがちな人たちが自分からどこに助けを求めていけばいいのか分からないという中で、向こうから声を掛けてくる人はむしろ搾取をする側の人っていうのは、ホームレスの世界も全く同じなんです。JK産業のスカウトが高校生に声をかけていくやり方と、日雇い労働者を集める手配師という、場合によっては住み込みの施設に入れてタダ働きさせるような人たちがいるんですが、そういう人たちが一見優しい感じで、ホームレスのおじさん達にご飯食べさせてやったり缶コーヒーおごってやったりして、気持ちをほだしてから取り込んでいくという、そのやり方と全く同じだなぁと思ったんですね。
で、それに対して、NPOの活動、ホームレス支援はすでに20年くらいの歴史がありますから行政側の支援も徐々に進んできたというところもあって、各地のNPOは動いているんですけど、それでも裏社会の方がどんどん新しい形態を作り出していきます。例えば貧困ビジネスといって生活保護の施設に囲い込んでいくといかですね、本当にいつもイタチごっこで、多分僕らの方が負けている。きちんと支援をしていこうとする力がまだまだ足りないなと思っているんです。今後仁藤さん達の団体として、厳しい状況の中でどういうアプローチをしていこうと思っていますか?
仁藤:そうですね、まず私もそういう女の子たちが今日帰るところがないという時に来れる場所を作りたいと思っていて、そこにご飯があったりとか、休める布団があったりとか、そこに安心できる、信頼できる大人がいるような場所を作りたいなあと思っています。それは、街でいろんな女の子に出会って声を掛けると、「本当に気づいてくれてありがとう」って言われたり、「女の人と話すの3週間ぶり。いつも声を掛けてくるのは男の人だから」とか答えてくる。事情を聞いみると、日常的な虐待というほどではなくても、週に一回だけ帰ってくる父親がすごい暴力を振るってくるとか、その父親から性的虐待を受けているとか、なかなか周りに言えない話が多くて。
でも、外の人にそういう話をすると、「児童相談所は何してるんだ」とか、「学校は何してるんだ」とか、「福祉に繋げ」とか「警察に通報しろ」とか言われるんですけど、実際は警察に補導されたところで「家があるでしょ、帰りなさい」って言われちゃったり、児童養護施設で保護される対象の年齢未満だったり、行き場がないんです。
私が高校時代はまだネットカフェに入れたりしてけれど、今は身分証なければダメだし、未成年は夜は入れない。街でも規制が厳しくなって補導員がすごくたくさんいて、街にいるもの危ない。
稲葉:ファーストフード店にもいられないという感じですか?
仁藤:女の子たちが夜に入ると、渋谷、新宿などは厳しくて私服警官が回っているので、マックにいても補導されたりした女の子から連絡がきたりするんですね。
稲葉:では、子どもたちはどこにいるんですか?
仁藤:そうなんですよ。そうなると、みんなスマホ持ってるので、ラインだとかカカオトークとか、子ども達に流行ってるアプリがあるので、そういうところで「今夜泊めてくれる人いませんか?」とか、「飲みに行かない?」とか、泊まるとこあるよって誘ってくれるおじさんに着いていくしかない。子どもたちは街にもいられなくなっている。pic-c

「とにかく今どうにかしなくちゃいけない」

稲葉:保護未満の子ども達がいると本でも強調されていますけど、そうした待機場所のない子どもたちを一時的には保護できるような、役所ではない気軽に相談できる場所で且つちょっと泊まれる場所っていうのが必要だなって思うんです。なかなか親権の問題とかあって難しいと思いますが。
仁藤:未成年に対する子達の支援って、本当に「親が一番」という方向で出来ているし、親権の問題ももちろんあるし、家に戻すのが一番幸せだという考え方で児童福祉とかも作られているので。でも、関わってる女の子達を見ていると、とにかく今どうにかしなくちゃいけないっていう状況があって。本当はそこに親への支援、親も子もどちらもサポートしていく必要があると思っています。ただ、今は子への支援も親への支援も中途半端な状況だし、当事者である親も子もSOSを出せなかったり、そもそも自分の状況に気づいていないという問題があったりしています。でも、私は目の前にいる子たちが、行くところがない時に援交おじさんに着いて行かなくていいようにしたいんですよ。
女の子達がなんで児童養護施設に行きたがらないかって言うと、そこに入る前に一回行政とか弁護士とか警察とか通さなくちゃいけないですけど、そこで時間が掛かったり、一泊しなくちゃならない時に携帯を取られたりするんです。でも携帯がないと、虐待されている子などは親が来るかもしれないと思って怖くなる、という事情があるんです。だから携帯を奪い返して脱走して、結局また援交おじさんとこに行くことになっちゃう。
だから私達が作りたいなと思っているのは、誰でも来られる開かれた場所で、避難が必要で制度に繋げなくてはいけないという女の子達の入り口になれる場所なんです。今ある行政の窓口も4時とか5時とかまでなので、私達としてはむしろ22時以降からっていうイメージでやっていきたいなと思っています。
稲葉:この7月にこの個室シェルターを開設して、つくろい東京ファンドという団体で運営しているんです。つくろい東京ファンドのコンセプトとしては、ホームレス支援の分野でも制度はできたんだけど、そこからこぼれ落ちる人たちがまだまだいらっしゃると、今お話を聞いていて、まさに福祉が抱えている問題は一緒だなぁと思ったんです。現在の制度はやっぱり手続きが雑であったり、行政側の紹介する施設が融通利かなかったり、使う人の立場に立っていない。だから、使う人の立場に立ってまず安心で安全な場所を提供しようということで、このシェルターを開設しました。
このシェルターはワンフロアーなので、男性限定にしているんですけど、将来的には女性のシェルターも何らかの形で作れないかなぁと考えていて、今後ともいろいろ連携させていければと、全面的に応援していきますのでよろしくお願いします。
仁藤:はい、是非、よろしくお願いします。
稲葉:本日はどうもありがとうございました。pic-a

「人間の条件」へ迫るリアル:対談 みわよしこさん(ノンフィクション作家)

対談・インタビュー

生活保護との関わり~単なる「頼られキャラ」だった頃~

稲葉:今日の対談はダイヤモンドオンラインで『生活保護のリアル』を連載されてきて、昨年ご本も出版された、みわよしこさんに来ていただきました。みわさんは今年度の「貧困ジャーナリズム大賞」を受賞されました。おめでとうございます。
みわ:ありがとうございます。もう一ヶ月以上経っていますけれども、お祝いというのは何回言われても嬉しいものですね(笑)。今日はよろしくお願いします。
稲葉:よろしくお願いします。みわさんと最初にお会いしたのは、確か2011年の秋だと思うんですけれども、生活保護問題対策全国会議で開催をした、生活保護の当事者の方の声を聞いていただこうということで、国会の中で座談会的院内集会という、当事者の生の声、生活の暮らしぶりについて話していただいて、それを国会議員や様々な人に聞いてもらうという集会を企画したんですけど、その時に取材にこられたのが最初だったかと思うんですけども。
みわ:はい、そうです。
稲葉:その間ずっと生活保護というテーマを取り上げるようになったきっかけを教えていただけますか?
みわ:はい。『生活保護のリアル』の前書きにも書いてありますので、ご関心をお持ちの方は出来ればお買い上げいただければ大変嬉しいのですけれども(笑)。私は42歳の時、2005年に運動障害を抱えまして、中途障がい者となったわけです。まず自分自身が生き延びるための情報やノウハウを得る必要があるのですが、そのうちに、まわりに障がい者の知り合いや友達がどんどん増えていく感じになります。中には、「他に生きるための手段がないから」という理由で、生活保護で暮らしてらっしゃる方が非常にたくさんいらっしゃるんですね。そして、その方々は生活保護に対してスティグマ感をもっていたり、卑下していらっしゃるわけではなく、そもそも「学校教育を受けて社会に接続されて、職業生活を始めて、自分の稼いだお金で食べていく」というコースから、最初から弾き出されているわけなんです。特に私の世代、50歳以上の方になりますと、その傾向は強いですね。
障がい児に対する就学猶予・就学免除が原則行われなくなったのは、今ちょっと正確に覚えていないのですけど、1970年過ぎてからなんですよ(注:正確には1979年。この年、障がい児に対する養護教育が義務化され、障がい児が教育を受ける権利は一応は保障された。しかし「分離教育」という新しい問題も発生することに)。私は1970年に小学校へ入っていますので、考えてみますと、私より年上の先天性障害や乳幼児期に障害を負った方だと「学校教育を受けて職業生活をするというコースからは最初から弾き出されている」という感じです。特別な幸運に恵まれない限り、教育を受ける権利を主張しなければ義務教育も受けられなかったわけです。ですから「就労の前提になる教育を受けておらず、就労という選択肢がないので生活保護」という単純な話です。障がい者は、生活保護をベーシック・インカムのように肯定的に捉えていることも多いです。
いずれにしても、いざとなったら「生活保護」というものを使えばいいんだな、という風に認識しておりました。
稲葉:なるほど
みわ:それ以前も、私は身体障害を抱える以前から精神障害を持っております。お世話になってきた精神科医のうち数名からは、ほぼ先天性に近かったのではないかと見られています。障害者手帳を取ったのは、かなり後なのですけれども。長年、精神科のクリニックやデイケアセンターなどに通っていますが、そこで友達になった人たちの中に、生活保護を利用して療養生活を送っている方がたくさんいたんです。彼ら・彼女たちにとっては、「落ち着いて生活を営む」ということが、まず治療の一環であったり目標であったりします。「あくまでも、どこかで雇われて働かなくちゃいけないんだ」というようなプレッシャーをかけられることはありません。もし、プレッシャーをかけられたとしても、応じることは出来ない状況なんですね。その彼ら・彼女らの治療を受けながらの生活を支えるものが、生活保護。ですから、私自身は生活保護の暮らしに対して「惨めさ」とか「卑屈になるべき」とか「隠れてなくちゃいけない」というようなイメージは、全く持っていなかったんです。
稲葉:そうなんですか。
みわ:はい。さらに私は精神科友達から、たとえば「福祉事務所のワーカーが今ちょっと性格悪い人になっちゃってて」とか「(身体疾患の)病院の主治医にきついことをいわれちゃって」などいわれた時に「ちょっと一緒についてきて」とよく頼まれていたんです。
稲葉:じゃあ、結構、福祉事務所へも一緒に同行するなどされていたんですか?
みわ:そうですね。ただ、カウンターの前まで行くことはあまりなくて。本人が自分で言えれば一番良いわけですから、福祉事務所まで一緒に行って、何をどう話すか簡単に打ち合わせて「埒が明かなかったら携帯で呼んで」というような手筈にしておいて、私自身は表で待っていることが多かったんです。たいていは、乗り込まなくても何とかなる感じですね。
稲葉:(笑)
みわ:ただ、東日本大震災のあとから「みわさん、助けて!」の頻度が増えちゃったんです。
稲葉:ああ。
みわ:それまでは多くても月3回、たいていは月1回か2回で、そのぐらいだったら「仕事が煮詰まっている時の気分転換にいいか」となるんですけど、月5回を越えるとなると「ちょっとね」となりまして。
稲葉:ほとんど「ひとり支援団体」ですよね。
みわ:そうなんです(笑) 私が応じられなければ、他の誰かを探すのでしょうけれども、「誰か見つかって、うまくいったのかな?」とヤキモキしなきゃいけないわけです。それにやはり、「助けを求められたのを見捨てた」というのは、気分のいいことではありませんし。
稲葉:震災のあとに増えたというのはどういう要因があるんですか?
みわ:はっきりとはわからないんですけれども、ひとつは、福島などから避難されてきた方を受け入れた自治体で、「その方々の相当数は時間の問題で生活保護しかなくなるのでは?」という状況の中で、福祉事務所の方で保護を出すのを渋るということがあったんじゃないかと思います。
稲葉:なるほど。
みわ:それから、もしかすると、様々な(都度申請する扶助の)申請に対して難色を示されるということは実際にはなくて、その方が「こんなこと(大震災)があったから、福祉を絞られるに違いない」と先読みして「何だか嫌がらせされているみたいだ」と感じられたのかもしれないですね。データを見た限りでは、「大震災直後の数ヶ月のうちに、東京都内で生活保護が利用しづらくなった」という事実の裏付けになるようなものは何もないです。
稲葉:2011年というのは、私が院内集会を企画したのも、国政レベルで国と地方の協議、生活保護制度のあり方をめぐる協議が始まって、その中で生活保護を利用しづらくしようという動きが顕在化した最初の時期だったんですね。だからもしかすると、そういう影響が現場にも出て来たのかもしれないですね。
みわ:そうですね。現場のケースワーカーさんの一部に、厚労省の方針を先読みして動いたということがあったかもしれないですね。conversation01

「マス」読者層へ届けるために

稲葉:それで2012年の6月から、『生活保護のリアル』の連載を始めたとのことですけど。
みわ:そうなんです。自分の友達が生活保護を利用していて、それゆえにいろんな嫌な思いをしているのを「見捨てておくのは気持ちが悪いけれども、個別に対応していたのでは埒があかないな」という思いがあって。自分で対応しきれないなりに、「信頼できる障害者団体を紹介する」などの対応はしていましたが、もう少し何かできないものかと。そこで「世の中にきちんと制度が知られていない状況を改善すれば、助けを差し伸べてくれる方も増えるだろうし、本人もいろんな人に『助けて』と言いやすくなるんじゃないか」と、かなり甘っちょろく(笑)考えました。なので、「ビジネス媒体か女性誌に生活保護の話を書きたい」と思ったんです。世の中を動かせる可能性を考えるなら、そういう「マス」読者層にアクセスしないとどうにもならない、と思いました。2011年秋には記事企画は通していたんですけども、最初は、単発か前後編ぐらいの予定だったんです。
稲葉:ダイヤモンドオンラインでですね。
みわ:そうです。その時に、担当編集さんから、非常に大切なアドバイスをいただきました。私の知っている生活保護利用者は、その時までは、障がい者に偏っていたんです。でも編集さんは、「障がい者の話だけ書くと、読者さんたちが『自分に関係のない話だ』と思ってしまうから、いろいろな当事者の方を入れて下さい」と。
それで「どうしようかな?」と思っていたところに、先ほど稲葉さんがおっしゃっていた院内集会のお話を伺いまして。その時に座談会に参加していらした当事者の方に別途インタビューして伺ったお話も、連載『生活保護のリアル』と書籍『生活保護リアル』に載っています。
あの院内集会をきっかけにして、私は「本当にいろいろな事情で、生活保護を必要とする状況になるんだな」と思いました。その後、積極的に、いろいろな当事者の方々にお話を聞かせていただくようになったんです。
ところが、その単発記事の掲載予定がどんどん後ろにずれこんでいったんです。当初は2011年の12月が公開予定だったんですが、年末特集とかち合ったか何かで、後送りになったんです。
稲葉:確かに、私もその時「なかなか出ないな」と思ってたんです。
みわ:そうですよね。ずいぶん時間がかかりまして、すみませんでした。
稲葉:いえいえ。
みわ:それで、2012年の1月にも公開できなくて。2月は毎年、アメリカに国際学会の取材に行っているんです。なので、2月スタートは無理。「3月はどうかなぁ」などと考えているうちに、、「取材結果がどんどん溜まっていくけれども記事化が全然出来てない」という状況になりまして。それで3月、担当編集さんと「どうしましょうか?」と相談していたところ、編集長さんが「これ、連載でいきましょう」と決断して下さって、連載開始が決まったんです。最初は、4月スタート予定でしたが、ゴールデンウィーク前にスタート出来なくて、いろいろと編集部と私の両方の事情でずれこんで、「6月の末頃にスタートしましょう」ということになったんです。ところが、皆さん覚えてらっしゃると思うんですけれども、4月に河本準一さんのお母さんが生活保護を受けていたことが問題になり始めて、6月27日あたりに謝罪会見なさいましたよね。
よりによって、その翌日に第一回が公開されることになってしまったんですよ。
稲葉:(笑)
みわ:狙ったわけじゃないんですけど、結果としてそうなってしまって。大変な数のアクセスをいただきました。公開された日、私、ランキング1位に自分の記事がずっと出ているのを見て「明日からスーパーでお買い物出来なくなるんじゃないか」というような心配をいたしました(笑)
稲葉:芸能人の方のバッシングがあった時に、私達も記者会見をしたりしました。「生活保護に関する誤った情報がかなりマスメディアに出てしまったので、それを修正したい」という思いで発信をしていたんですけれども、なかなか限界があって。
みわ:そうですよね。
稲葉:そうした中で、ダイヤモンドオンラインというビジネスパーソン向けの媒体で、きちんと制度の実態や当事者の声を出してもらえたことが、私達にとってとてもありがたかったです。
みわ:そう言っていただけると本当に嬉しいですけど、私は「ちゃんと報道しないと自分が気持ち悪い」という、それだけで動いているに近いところがあります。
稲葉:そうして始まった連載がかなりの長期の連載になっていて、昨年には単行本化されて、ということなんですけども、プラスマイナスも含めて、かなりいろいろな反響があったかと思うのですが。
みわ:ありました、ありました。
稲葉:代表的にはどんな声がありました?
みわ:そうですね。バッシングの反応というのは、いちいち内容を言わなくても想像がつくと思うんですけれども、それは非常に強かったです。ただ、「本当はそうだったのか。よくぞ書いてくれた」というような肯定的な反応も多くて、バッシングが非常に強い時でもその半分くらいは肯定的な反応があったので、励まされて書いてこれた、という感じですね。
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「歯止め」が消えていく社会で

稲葉:みわさんはYahoo!個人ニュースなどを始め、ネットでの発信にも力を入れてらっしゃいますけれども、すごく丁寧に生活保護に対する誤解を解くような記事を書かれていて、その他、SNSなどでも間違ったことを言っている方に対していちいち反論されていて、「いや凄いな、凄いエネルギーだな」と私はいつも思っているんですよ。
みわ:(笑)
稲葉:私なんかは絡まれても大体スルーしちゃうんで、きちんと答えてらっしゃって「ここはこう違うんだよ」とやってらっしゃるというのは凄いな、と思っているんです。その原動力って何なんでしょう?
みわ:どうでしょうね。私自身はそんなにSNSでの反応を几帳面にやっているつもりはなくて、本当に「目について気が向いたらやることもある」程度なんですけど。その程度のスタンスが、長続きしてやれているコツなのかもしれないですね。ネットでの発信に力を入れているのは、「誰でも無料で読めるから」です。お金を持っていない方ですとか、あるいは本屋さんに行く習慣を持っていない方も含めて、数多くの方々に届く文字メディアは、今、他にないですから。
稲葉:この間、生活保護バッシングもそうですが、一方で在日外国人の方に対するヘイトスピーチや、あと障害をお持ちの方に対してのバッシングや嫌がらせが横行するなど、本当に嫌な雰囲気が社会に漂ってしまっているんですけれども、そうした中で発信を続けていくというのはすごく疲れることだと思うのですけれども。
みわ:いやぁ、やりがいの宝庫ですよ(笑)。
稲葉:どうしていけば、こういう社会的な風潮が変えられると考えられますか?
みわ:どうでしょうね? 私自身、障害を持っている個人としても、物書きとしても、実は試行錯誤の真っ直中なんです。ときどき、「何故、バッシングが起こるのか」を考えてみるんです。私の考えですけれども、何か鬱憤ですとか憤懣ですとかが溜まっている時に、何かに対して晴らしたくなるわけじゃないですか?
稲葉:はいはい。
みわ:私自身は「人や生き物に対して晴らしたい」とは思わないんですけれども、「そうしたい」と思う人も一定数はいるだろうな、と思います。じゃあ、その時にどういう相手を選ぶのか。何かラベリングされている人、「バッシングしていいよ」というラベルが貼られている相手をバッシングするのではないでしょうか? 「バッシングしたい人が、その人達は『人』ではないというラベルを見たら、『人ではないから』という理由でバッシングに走る」と考えないと説明出来ない気がするんですよ。
稲葉:そうですね。
みわ:たとえば、在日コリアンの方に対して「死ね」とか「殺せ」とか、凄まじいことを言う方がいらっしゃるわけなんですよね。、私はそれを見て「人に対して、何ということを言うのだ」と思うんですが。
でも、言う人達は、相手が「人」であるという歯止めをなくしちゃっているので、「死ね」「殺せ」と言えるわけですよね、きっと。同じことは、おそらく野宿者襲撃についても言えると思っています。そもそも「野宿者=人ではない=襲撃してよろしい」というような回路があって、その回路が何かの調子に発動してしまうと、「襲撃する」という行動になるのだろう、と理解しています。
稲葉:なるほど。
みわ:障がい者については、ずいぶん当事者たちが障がい者運動で声を上げて来たので、これまでは、それほどあからさまに酷いバッシングの対象にはなってこなかった、という認識をしています。でもこのところ、いろいろなきっかけで理性の歯止めが簡単に外れてきているとは感じています。たとえば(ゴーストライター騒動があった作曲家の)佐村河内さんのケースでは、少なくとも持っていた障害者手帳の級に見合うだけの聴覚障害ではなかったということが解った時に「障がい者はみんな疑え」というようなツイートが吹き荒れましたよね? あの時、私はアメリカにいたんですけど、ツイッターを見て「日本に帰りたくない」と思いました。そういったことが一回あるごとに歯止めが掛かりにくくなって、次にまた何かあったら、また歯止めが掛かりにくくなって……ということが、ここしばらく繰り返されているように思えます。ですから、障がい者が「死ね」「殺せ」と言われるのは、そう遠い将来の話じゃないのかもしれないな、という悲観はしています。
稲葉:みわさんも書かれていましたけれど、みわさん自身も車椅子で生活されていて、車椅子で生活されている方の中で、人によっては全く立てない・歩けないわけではなくてちょっとの短い距離であれば立ったり歩いたりすることが出来るんだけど、生活の必要上車椅子を使っている方がいらっしゃる。
みわ:よくいらっしゃいます。
稲葉:それを「車椅子に乗っている人が立ち上がった!」というのを何か写真で撮ってバッシングするみたいな風潮がかなり出て来ていますね。
みわ:私自身も、よくやられます。最近は、「別に、撮られてもいいや」と思っているんです。撮って晒されたら、晒した人が無知だということを晒しているだけですから。でも、特に佐村河内事件直後の3月あたりは、電車に乗っていて足をちょっと動かしただけで、スマホをじっと向けられたりとかしましたね。
稲葉:ああー。
みわ:「あんた撮っているでしょ?」って言いたいんですけれども、「違います」と言われたらどうしようもないので、非常に不愉快ですけれど、見ないふりをして、本を読んでいるふりをしていたりしました。でも、本の内容は全然頭に入ってないとか(笑) そういうことは、よくありました。

「人間の条件」に迫っていく

稲葉:今日はハンナ・アーレントの本を持ってきて頂いたのですが。
みわ:最近私は、ある人たちは「人」であり、別の人たちは「人ではない」というようなラベリングが、なぜ行われ、いろんな暴力が顕わになってしまうのか、しばらく考えていまして。ハンナ・アーレントも、ユダヤ人虐殺からそういう問題を考え始めた人で、この『人間の条件』はそういった問題について考えた本ですね。それで、このような本を読みながら日々考えております。ちなみに今、大学院にも行っていまして、生活保護制度の研究をやっております。
稲葉:そうなんですか。
みわ:そうなんです。今年の春からです。指導教員が立命館大学の立岩真也先生で。
稲葉:え? 立岩先生なんですか?
みわ:そうなんです(笑)
稲葉:じゃあ、関西に行っているということですか?
みわ:はい、月に一回ぐらい。飛んでいって指導を受けて、飛んで帰る感じです。立岩先生も、アーレントと同じ『人間の条件』というタイトルの本を書いてらして、サブタイトルがついているんです。「そんなものはない」と。
稲葉:(笑)
みわ:「人間である」「人間でない」という線引きは出来るかどうかという問題は、非常に難しいです。「結局は、そんな線引きなど出来ない」と考えたほうが、いろいろと都合がよいだろうとも思っております。そういった本質から考えて、「臭い匂いは元から断たなきゃ」という昔のCMソングじゃないですけれど、本質の方に働きかけていかないと、と思います。そうしないと、バッシングを止めるのは難しいでしょう。仮に、本質に働きかけることがてきても(止めることは)難しいというのが現状かもしれません。少なくとも、今のままだと、何十年たっても「バッシングの度に消火活動を繰り返す」ということにしかならない、と思うんですよね。
ただ、難しくても、単純な「出火したら消火」ではなく、だんだんと本質に迫っていくことは可能だろう、と思っています。「出来れば、、ババアになって死ぬまでに、その傾向くらいは見えればなあ」と思いながら、モノを書いています(笑)。
稲葉:今日は本当に深い話までありがとうございました。
みわ:いえいえ、長くなりまして。
稲葉:是非また、色々な形で連携していければと思っております。
みわ:こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
稲葉:また取材して下さい(笑)
みわ:はい、ありがとうございました。
稲葉:ありがとうございました。

「コミュニケーションのマンガとして描く、現場のリアル」対談:柏木ハルコさん(漫画家) [後編]

対談・インタビュー

週刊スピリッツで『健康で文化的な最低限度の生活』を連載中の漫画家、柏木ハルコさんと稲葉剛の対談(後編)をお送りします。
※前半はこちら
(2014年10月@個室シェルター つくろいハウスにて)

■長い長いタイトルの話

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稲葉: このタイトルはいつ思いついたんですか?
柏木: これはかなり最初の方で、生活保護をマンガにしようと思った直後です。なんかキャッチーな感じがしたし、覚えやすいかなぁということもありましたが……。取材を進めていく中で、最終的なテーマは人権ってことになっていくのかなぁと気づいたので、このタイトルで良かったと思っています。結局は、このタイトルの意味を考えるマンガなのかなって。ただ、それは連載をずっと進めてみないとわかんないですけどね。
稲葉: 「健康で文化的な最低限度の生活」っていう憲法第二五条・生存権の言葉が繰り返されるわけですけど、それ自体が一つの問題提起「健康で文化的な最低限度の生活」って何?という問いかけになっているというのはすごいなぁと思いました。そうか、この手があったかと。自分の本を書くときにこうすれば良かったかなと。(笑)
柏木:やっぱりこう、パッと文字にした時に、マンガですからね、印象に残るのがいいって思ったんですよね。
稲葉: 残りますねぇ。
柏木: よく、どうやって略してるのって聞かれますけどね。
稲葉: 編集部では何て言ってるんですか?
柏木: 最終的には今、「健康」って感じで。長すぎるんで。デザイナーさんは「健文最生」って呼んでますね。
稲葉: 健文最生!それはすごいな。

■気になる今後の展開は……

稲葉: 差支えない範囲で、今後どう展開していくのかを聞かせていただけますか? 今、第2クール目でしたよね。第1クールが就労支援の話で、第2クールで不正受給の問題という非常にホットな問題を取り上げているんですけど、今後はどのように展開していくんでしょうか?
柏木: これは……言っちゃっていいのかな?(笑) 生活保護っていうと、やはり就労とか不正受給ってホットな話題で、もう一つホットな話題が、扶養義務なんですよ。そこは早めに行きたいなっていうのがあるんですけど。
稲葉: 生活保護バッシングが拡がる中で、割と一般的な人たちが普通に持ってしまっている疑問があって、柏木さんのマンガは、敢えてそこに切り込んでるなっていう感じは持ちましたね。
柏木: そうですね、やっぱり読者が興味のあるところを描いていきたいというのがありますね。不正受給を描きたいのはそういう理由なんですけど。あと、就労支援編を一番最初にやったのは、ほとんどの人が「あいつらどうして働かないんだ」って思ってるってことから、興味あるかなって思って一発目はあれで行ったんです。
稲葉: なるほど。
柏木: 細かいことで取り上げたいこともいっぱいあるんですよね。依存症の人のこととか、住まいのこととか。住まいの問題もどんどん新たにいろんなことが起こってますし。でも、住まいの問題で活動してらっしゃる稲葉さんの動きを見ると、取材して載るまでの間に、もう状況がめまぐるしく変わってるんじゃないかとも思っています。

■このテーマに「踏み込む」

稲葉: さきほど、「最終的には人権になる」っておっしゃいましたけど、私も人権を「人権」という言葉を使わないで表現するって、すごく大変だなっていつも感じています。
柏木: そうですよね。分かります、すごく。
稲葉: 人権は大切だって言っても、本当の大切さは伝わらないじゃないですか。学校の校長先生の朝の挨拶みたいになっちゃうので。本当にそれが大切だということを伝えるためには、すごく微に入り細に入り暮らしを描くしかないという気がしているのですが。
柏木: 人権って、普通に生きていると空気みたいに当然あるものだって気がしちゃうので、それが奪われたらどんな大切だったか分かると思うんですよね。空気なかったら生きていけないので。日頃、普通の家庭で普通に育ってきたら気付かないで済んでしまうと思うんですよ。
稲葉: そうですね。
柏木: だから大切さに気付かない人は多いし、考えなかったり、どうでもいいって思ってる人はたぶんいっぱいいると思うんです。私も正直、このテーマに取り組む前はそういうところがあったんですけど。でも、奪われた時にすごく困ることなので、そこのせめぎあいなんですよね。まだ、そこまで踏み込んだ描写っていうのはしてないんですけどね。
稲葉: 是非、長期連載して踏み込んで下さい!
柏木: そうですねぇ。人権って、こう、認めようと社会が合意するまですごく大変だったと思うんですよ。昔の、明治時代みたいなところから考えたら、人権ってものを認めようとなるまで、人間ってすごく苦労したと思うんです。
稲葉: ヨーロッパなんかだと血で血を洗うような歴史があって……
柏木: その結果、獲得したものですよね。
稲葉: 日本の場合はそれを数十年でやろうとしているっていうことなんで、上滑りになっちゃうのかなって感じますね。
柏木: でも、やっぱり絶対大切なものだと思うんですよね。獲得するまでの大変さを思うと、大事にしなくちゃいけないんじゃないかなっていうのはありますね。
稲葉: ただ、その伝え方で私もいつも悩むことではあるんですけどね。ともすれば私の本を見ていただければ分かるように、漢字ばっかりになっちゃうんですよ。
柏木: あはははは(大笑)
稲葉: 分かりやすく伝えようと努力はしているんだけど、どうしても漢字で伝えた方が、伝える側にとっては伝えやすく、そこに頼ってしまうところがあります。受け取る側がリアルにイメージできるようにどう伝えたらいいかというのがすごく課題だと常に思っていて。そういう意味でも、柏木さんのマンガは、私たちが日ごろ伝えようとしながらも、できないでいるメッセージが伝わりにくい人たちにも伝わるような形で描いてらっしゃるので、すごく感謝はしています。
柏木: ありがとうございます。
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「コミュニケーションのマンガとして描く、現場のリアル」対談:柏木ハルコさん(漫画家) [前編]

対談・インタビュー

今回は週刊スピリッツで『健康で文化的な最低限度の生活』を連載中の漫画家、柏木ハルコさんと稲葉剛の対談(前編)をお送りします。
(2014年10月@個室シェルター つくろいハウスにて)

漫画家と活動家/ふたりの出会い

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稲葉: 柏木さんとお会いしたのは、確か3年前ですかね、2011年震災後の……
柏木: 秋か冬くらいでしたかね。年明ける前の。
稲葉: その頃ぐらいに編集の方が連絡を取って下さって、新宿の炊き出しとか、もやいに来られて。それ以来、私も何度か取材を受けましたし、あと生活保護問題の関連の集会にいつも来ていただいて。
柏木: 私、最初「もやいはどういう活動してるんですか?」って聞いた時に、稲葉さんが「そこからですか」って答えたので、「ああ、すみませーん、恥ずかしい~!!」って。なんかもう、我ながらひどいなって思ったんですけど……。
稲葉: いえいえ。
柏木: 「もやい」はもっとビルみたいなところでやってると思っていたら、住宅街にある普通の民家で活動していて、ああ、こんな家庭的な場所でやっているんだって不思議な感じでした。
稲葉: 私に対する漫画家さんの取材って結構あるんですけど、柏木さんはあんまりガツガツしていなかったですね。それで、最初の取材が終わったあとも淡々とイベントのいろんな手伝いとかで継続的に関わって下さっていたので、半年くらいになると「いつになったら描くのかなぁ」と心配になって。
柏木: (笑)
稲葉: 今でこそ、淡々と積み重ねておられたのだなぁということがよく分かったのですが、当時はこれ、大丈夫なのかなぁ?って思っていました。

ケースワーカーが主人公?

稲葉: 早速ですが、なぜ今回、生活保護そしてケースワーカーを主人公にしたマンガを描こうかと思ったかというところからお話しを伺えますか?
柏木: はい。 何か、いろんなところでいろんなことを書いているので、どうだったか・・・(笑) 5~6年くらい前に、ある相談機関に勤めている友達がいて、仕事の愚痴を聞いていたら、いろんな人がいろんな相談をしに来る仕事は面白いなって漠然と思っていました。それで、震災のあとくらいからでしょうか。自分は今まで、自己表現ということだけやってきたんですけど、社会に目を向けなきゃいけないなって気持ちにだんだんなってきたんですね。
稲葉: それで生活保護を描こうと?
柏木: はい、生活保護って社会のいろんな問題が集約している場所だって思ったんですね。だから、マンガにしたらいろんなドラマを作れるんじゃないかなって。ケースワーカーを主人公にしようと思ったのは、あれは「新人」ケースワーカーなんですね。生活保護のこと、私も知らないし読者も知らないので、全く知らないところから「いろんな人がいるんだな」と同じ立場で分かっていくことができるかな、と思ったので。
稲葉: なるほど。
柏木: 最初、5人新人ケースワーカーを出したんですけど、かなり最初の頃は青春群像にして、いろんな人がいろんな風に思うという形にしたかったんです。結局は彼女(義経えみる)が主人公になっていますが、最初はもっとバラける予定だったんです。
稲葉: そうなんですか。
柏木: はい。でも、生活保護っていろいろ描くことが多すぎて、5人の青春群像なんかとても描けないっていう風になって、現在の形になっています。でも、キャラクターそれぞれに思い入れはありますし、ぼんやりと何人かがモデルになっていたりっていうのはあります。生活保護を受給している方もそうなんですけど、ケースワーカーも実際どういう人がやってるのか全然想像ができなかったので、イメージを掴むのに時間掛かりましたね。

長期に渡った取材の理由

稲葉: 2011年の暮れから取材を始められて、結構長かったですよね。2年半以上ですか?
柏木: そこから考えるとそうですね。まぁ、大体2年くらいって言ってるんですけど。
稲葉: かなり突っ込んだ取材をされてきて……
柏木: やっぱり、取材にすごい時間が掛かったのが想定外で。最初は勉強すればいいだろうと思っていたんですけど、本を読んでもお会いしないと想像できないんですね。会った人でないと画に起こせないし、雰囲気も出せないし。そもそも最初が知らなさすぎたので、どうやって取材していいかも分からなかったんですね。まず、ケースワーカーに知り合いが一人もいなかったので、稲葉さんに一人紹介していただいて。でも、その最初に紹介していただいた方は、もう会った瞬間に「(マンガに描くのは)無理だと思います」って。
稲葉: え、そうなんですか?あの人が?(笑)なんでまた。
柏木: 本当のことは描けないとか……。
稲葉: ああ、プライバシーの問題ですね。
柏木: あと、「取材でもみんな本当のことを喋ってくんないと思うよ」とも言われました。ただ、そう言いながらもその方は、高校生のバイトの不正受給の話などバーッといろいろ喋ってくれたあと「じゃっ!」って感じで帰って行かれて(笑)。
稲葉: ご存じの通り、もやいのような民間相談機関を通じて当事者の方の取材をされていると、ここは福祉事務所側と協力する場面もあるけれど、対立する場面も多い現場なんです。柏木さんは受給者側と福祉事務所側両方の取材をされていますが、見方の違いやスタンスの取り方で悩まれたりしましたか?
柏木: それはずっと悩んで、今でも悩んで、多分これからも悩むことなんだと思うんですよね。一つの事柄でもこっちから見るのとあっちから見るのでは、受け取り方が全然違うので。例えばケースワーカーの人が「あの人、何も喋ってくんない」と言っている当事者の方がいても、当事者から言わせれば「あんなこと言われたら何も喋れない」と思ってる。そういうすれ違いを、なるべく両方から描きたいなというのはありますね。
稲葉: なるほど。
柏木: もちろん、私がどちら側だけになりたくないなというのがあるんですけど、読者もいろんな方がいろんな見方をすると思うんですね。だから、いろんな人が「自分の意見もここに入ってる」と、そう思えるようにしたいなと。難しいですけどね。100%客観なんて無いと思うんで。

感情のメディアとしてのマンガ

稲葉: この前の社会保障関連のイベントでインタビューを受けられていて、その中で「マンガってのは感情にスポットを当てたメディアだ」とお答えになっていて非常に印象的だったんです。私たちは支援者であり活動家なので、割と生活保護問題っていうのを俯瞰して喋ることが多いんですけど、柏木さんのマンガは主人公や当事者がこの時にどう感じたののかがすごくリアルに描かれていると感じました。感情にスポットを当てることで、どっちが正しくてどっちが正しくないっていう視点ではなく、「現場のリアル」を伝えられているのかなと読んだのですが。
柏木: はい、そういう風にしたいなって思っています。うまくいってるか分からないですけど。やっぱりマンガの面白いところって、感情が動くところがドラマになるので、そこをどう物語に盛り込んでいくかなぁ……と思っています。マンガだから、やっぱり面白くないと読まれないので。イベントの時も言ったんですけど、一人一人の人間は、生活保護を受けていようが、一括りにできないと思うんです。私も取材していく中で、こんなにいろんな人がいるんだって結構びっくりしたんですね。

稲葉: まったくその通りですね。
柏木: まとめて総論、「生活保護受給者ってこうだ。こういう人たちだ。」って、絶対に言えない。だから、ケースワーカーも一人一人に向き合っているので、結局その人とのコミュニケーションってことでしかないと思うんですよね。
稲葉: 福祉事務所の担当ケースワーカーと利用者・受給者っていう、そこのあり方がすごく描かれていていると感じました。コミュニケーションしようとするんだけど、お互いの力関係だったり制度によってコミュニケーションがうまくいかなくて断絶する様子がすごくリアルに描かれている。その両者がどうやって乗り越えていくのかみたいなところも一つのテーマになっているのかな、と思っているのですが。
柏木: 総論ではない、一人一人のコミュニケーションのマンガっていう感じで描きたいというのはすごくあります。

※後編はこちら

「同世代から同世代に伝えたら一番伝わりやすいから伝えよう」 対談:川口加奈さん(NPO法人Homedoor代表理事)

対談・インタビュー

稲葉:本日はあわやハウスにお越しいただき、ありがとうございます。

川口:ありがとうございます。

稲葉:恒例の対談シリーズですけども、今日は大阪のNPO法人Homedoorの代表理事の川口加奈さんに来ていただいています。よろしくお願いします。

川口:よろしくお願いします。

稲葉:まず、「Homedoor」の活動から教えていただきたいのですけど、ま、ホームレス状態をそもそもなくしていこうというようなコンセプトで活動していらっしゃると聞いていますが、具体的にどういう活動を?

川口: ま、そうですね。と言うより、ホームレス状態になってしまったとしても、そこから脱出できる道、出口があったり、そもそもホームレスになりたくないと望んだらならずに済む社会を作っていきたいなぁっていう思いで2010年から活動を始めたのですけども、いまそのホームレス状態からの出口づくりと啓発という部分をやっていて、出口作りだと大きく5つに分けることができ、啓発だと4つやってます。

出口づくりの一つは「HUBchari」っていう、ホームレス・生活保護状態からの就労による出口のサポートとして、大阪市内に20個拠点があって、その拠点のどこでも自転車を借りても返してもいいというコミュニティサイクルをおっちゃん達が運営していくというもの。2つ目は、「HUBchari」だとちょっと接客もあるので、少し高度な仕事なので、その前段階の仕事で、「HUBgasa」っていう、傘のリサイクル販売をやっています。内職のように傘を修繕して、それを卸していくっていうことですね。
3つ目は、中間的就労研究所です。就労支援で携わったケース数が溜まってきたので、対外的に発信していこうというので、財団から助成を貰い、白書の刊行をやっています。4つ目は、就労の部分のみでなくて、生活の部分もサポートしていこうよっていうので、一、二週間に一度、講座を定期的に提供する「CHANGE」っていうのをやっています。5つ目は夜回り活動です。毎月1〜2回、梅田を3コースに分かれてまわっています。
で、啓発の方だと、2ヶ月にいっぺん、「釜Meets」という、釜ヶ崎の街歩きと炊き出しとワークショップをイベントとしてやっています。
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稲葉:街歩きっていうのは、野宿のおじさん達が案内しているんですか?

川口:そうですね。経験者と事務局のメンバーでやってます。あと、街歩きだけに特化して、中学、高校、大学、企業から依頼を受けて実施するという「釜歩き」と、あとは講演やワークショップ(元ホームレスの人々と一緒にまわって)をやっているのと、あとは稲葉さんも理事である一般社団法人【ここで事務所に飾ってあった風船が割れて一同ビックリする】の「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」の事務局をやらせていただいております。

稲葉:仕事を自分たちで作っていくという指向性が強いなと思ってるんですけど、ホームレスの支援といった時に、私も2つの方向性が大切だと思っていて、一つは行政に対してきちんと生存権の保障を求めていくという方向と、それでいて自分たちで仕事と住まいを作っていこうという両方の2本柱だなと思っていて、ここの「つくろい東京ファンド」では、「住まい」を自分たちで作っていこうと、住宅提供していこうと考えているんですけど、一方で仕事を作るってすごく大変じゃないですか。
そこに踏み出して行こうっていうふうに考えたきっかけって何かあるんですけ?

川口:そうですね、もともと私自身14歳の時にホームレス問題に関わることになったんですけど、それまではごく普通の中学生でバスケ部でって感じだったんですけど…。

稲葉:14歳っていうと、今から何年前ですか?

川口:9年前?今、23歳なので9年前なんですけど、そうですね、釜ヶ崎が大阪にはあるんですけど、中学の時にそこを電車で通っていたんですね。で、ある時その駅をわざわざ避けるために地下鉄に乗って通学している友達の存在を知って、なんでそこまでしてあそこを避けなければいけないのかと。まぁ、そこがホームレスの方が多い地域だって、全く知らなかったんですけど、で、親や周りの人に「なんであそこに行ったらいけないの?」って聞いたんです。すると、「あなたも行ったらあかんよ」と言われ、ちょうど反抗期を迎えていたので、「行ったらいけない」と言われると余計に行きたくなって行ってみたたのがきっかけです。何だか隠されているっていう感じがあったので、その隠されてることは何だろう?っていう興味本位でネットで調べて炊き出しに参加したんですね。

で、参加した時に、その施設の方に、「あなたのように、孫くらいの年齢の子どもから、おっちゃん達にとっては命の綱であるおにぎりを受け取る気持ちを考えて渡しなさい」って言われて、ハッとしました。「そんなことも考えずに自分本位な気持ちで来てしまった。申し訳ない。」っていう気持ちがあって、じゃあどうしたらおにぎりをそんなにダメージなくって言ったらアレですけど、渡せるかなって考えた時、そもそもホームレスってどんな人なんだろうっていうところに気づいて、私正直思っていたのは、彼らはもっと勉強したら、もっと頑張ったらホームレスにならなかったんじゃないかって。で、おっちゃんに聞いてみたんです。「おっちゃん、もっと勉強したらホームレスならなかったんちゃうん?」って。

稲葉:ストレートに?

川口:そう、ストレートに。そしたらおっちゃんに、「バカ言え!」って言われたんです。「ワシの家には勉強机無かったぞ!」みたいな。で、そう言われた時にまたハッとした自分がいて。私はあたりまえのように小学1年生の時に勉強机とランドセルを買ってもらって、勉強できる環境がある中で、自分が頑張るか頑張らないかという選択ができた。おっちゃんの話を聞くと、そういう環境になかったり、機会に恵まれない人が多いことがわかり、これって自業自得っていう言葉だけじゃ片付けられないんじゃないかなってとこだったり、そのあと日雇いの話とか聞いた時に、やっぱり自分の生活を支えてくれている日雇いの人たちがホームレスになりやすかったりするっていうのは、日本の構造自体、間違ってるんじゃないの?ってところで関心が高まっていったんですね。
そんなある日、新聞を読んでいたら、自分と同世代の中高生がホームレスを襲撃したという記事を見かけました。その供述も、「ホームレスは社会のゴミだ、俺達はいいことをしたんだ」とか。これを読んだ時に、なんてひどいことをするんだって、私が出会ったおっちゃん達の中で、殺していいおっちゃんなんて一人もいなかったのにって思いました。でももう一方で、正直に思ったのは、自分もその中高生達と同じような考えをそもそも持っていたなってことで、じゃあ、その中高生と自分の違いは何かっていうと、グレているかグレてないかとか、いろいろあるんですけど、でも、一つは知る機会があったかなかったかっていうところで。じゃあ、せっかく自分には知る機会があったわけだから、知ったからには知ったなりの責任というか、今度は伝える側に回る責任があるんじゃないかと思った時に、同世代から同世代に伝えたら一番伝わりやすいから伝えようと考えました。

稲葉:その時、まだ中学生ですよね。20140913183834

川口:中学生です。

稲葉:中2の間に、今、話されたようなことをずっと考えていたんですか、すごいですね。

川口:稲葉さんの本も高校生の時に読んでますから、今すごいっ!って。ジャニーズに会えたようなそんな感じで。ずっと勉強して、それを友達に伝えてってやってました。

稲葉:中学の時から友達を釜ヶ崎に連れて行ったり・・・

川口:そうです、そうです。ワークを開いたりとか。

稲葉:活動として始めてた?

川口:あんまり認識はなかったですけど、でもその、講演というか、最初は自分の学校の全校生徒の前で自分の思ってることを話させてもらったら、他の先生が聞きつけて、

稲葉:ぜ、全校生徒…。

川口:依頼が来るようになったりとか、実際に釜ヶ崎に行って欲しいと思って二泊三日でワークショップを企画したりとか、そんなことをやっていたんですけど、そろそろ高校も卒業するぞっていうときに、結局活動始める前と後で何も変わってないなっていうのを正直感じて。夜回りしてても、おっちゃんがせっかく心開いて、「路上脱出できんかな」ってポツンと呟いた時に、何も言えない自分がいて、役に立たない自分がいて。結局変わってなかったので、どうしたらいいのかなって思った時に、今まで自分がやっていた活動っていうのが、ホームレス状態を単に良くするような対処療法でしかない。そうでなくて、もっと根本的な解決を考えながら、やらないと意味がないんじゃないかなって思うようになって、じゃあ大学どこ行こうってなって、大阪市立大学はいっぱい先生いるからそこ行こうってなって、大学二年の時にようやくそういう思いに賛同してくれる友達に出会えて、ようやく団体を立ち上げたっていうのが19歳の時。で、今で4年目に、あ、5年目か!になりますね。

稲葉:じゃあ、活動歴って9年、10年くらいなんですね。すごいですね。

川口:いやいや。

稲葉:実際、どうですか?HUBchariという仕事を野宿のおじさんたちがやっていて、やっぱり変化っていうのはあるんでしょうか?

川口:そうですね。予想以上に変化してるっていったら何ですけど、変わられるので。私達が特に何かしているっていうんじゃなくって、仕事をしてもらうってだけで、すごく水を得た魚くらいに生き生きされる様子がありました。やっぱり最初、私達としては、専門的福祉の知識ってそんなにないし、おっちゃん達に関わってる年数だってそんなに多くないし、私にとってはお爺ちゃんくらいの年齢の人達を雇うわけなので、すごい抵抗あるんじゃないかっていろいろ心配してたんですけど、そんなのが気にならないくらいイキイキと働いて下さって、良かったなという思いと、あとはHUBchariをきっかけに次の仕事を見つけて、自立の道を、自分らしく生きる道を探していってくれるおっちゃん達が55%になっているので、確率的にも上がってきたなって言うところに良かったなって。

稲葉:具体的にはどういう仕事、作業というか・・・。

川口:そうですね。あのー、一番目に言っていたHUBchariだと、自転車の貸出しや返却の手続きの業務、自転車の清掃・修理、メンテナンスの業務がありますね。

稲葉:放置自転車を利用して?

川口:今は協賛でいただいたキレイな自転車を使っているんですけど、でも、お客さんに貸し出すもので利用者数も多いので、結構メンテナンスが必要となるので、毎日やってもらっていますね。
あとは、自転車対策のお仕事を行政からいただいてるので、それだと自転車をここに停めないでねーってアナウンスをしたり、ハンドルにつけるタグをつける仕事だったり清掃の仕事をやってもらったりしています。あと、やっぱりそういう仕事も難しいという方には、企業さんから内職作業を取ってきて、それを事務所でみんなでやったりとか、あとはそのおっちゃんが「こんな仕事就きたい」って言えば、そういう系の企業さんに交渉に行って、民間企業からお仕事をもらってくるっていうのをやっています。今だと水やりの仕事とか、昔だと調理の仕事とか、そういうのもありましたね。

稲葉:NPOもやいでも「こもれびコーヒー」と言って、元ホームレスの人たちが自家焙煎のコーヒーを焙煎し、販売するというささやかな仕事を作ってるんですけど、そこで働いている皆さんは収入的には大きなものではないんですけど、コーヒーを買って下さるお客さんとの交流が嬉しいっていう話があります。多分、HUBchariでも観光客の方とか街のHUBchariユーザーとの交流が楽しいのでしょうね。

川口:そうですね。それが大きいというおっちゃんもいますし、あとHUBchariだと、どうやったらお客さんが増えるかなってディスプレイを考えたりとか、チラシ配りをやってみようとか、おっちゃんが自発的にこういうのやってみようってあれこれやってみる中で自分の好きなポイントっていうのを見つけてもらいやすいところはあるかなぁっていうのはありますね。

稲葉:それと同時に啓発活動にも力を入れてらして…。
東京でも最近いくつかの支援団体で調査をして、野宿している人たちの約4割が襲撃をされた経験があるという非常にショッキングなデーターが出たんですけど、大阪でも一昨年ですか、梅田で襲撃されて亡くなった方が出たりという状況があったりしました。今も続いていますか?

川口:そうですね、襲撃の件数自体は、多分私がホームレス問題に関わり始めた当初に比べたら少なくなってきているなぁとは思うんですけど、ただそのニュースにならない部分、例えば、寝ていたら通りがかりの人が蹴っていった、空き缶を投げられた、オシッコをかけられたとか、そういうのは減らないなぁっていうのはすごく感じますね。

稲葉:実際、川口さんご自身もそういう襲撃を無くすためにいろんな学校に行って話をされたりとかされているんですか?

川口:そうですね。講演とかだと、80本くらいなんですけど、その中でHUBchariで働いてるおっちゃん達とも行って、そのおっちゃんが自分の襲撃された経験を語ってくれたりとか。

稲葉:中学校とかもあるんですか?

川口:そうですね。最近は特に教職員関係の研修が多くなっていますね。

稲葉:なるほど。最後に、今後の「Homedoor」としてのこれからの展開、もちろんそれは私達の課題でもあるんですけど、今後どうやってホームレスの人たちの状況、どうやって出口を作っていくかという課題についてどう考えてらっしゃいますか?

川口:出口の設計の部分では、住まいと仕事のリンクは非常に重要だなぁっていうのは今感じていて、特に最近路上からHUBchariだったり、自転車対策の仕事に来られる方いるんですけど、自分で稼いだお金の中でやりくりして部屋に住むんですけど、それだとどうしても「働く」ってことが金稼ぎにしかならないっていう部分で、やっぱり住まいっていうのがあってから働く中で働くのが生き甲斐っていうふうに感じてもらってやってもらう方が長続きして、次のステップっていうのを考えていただけるなぁと思います。なので、そういうリンクをさせていきたいというのは非常にありますね。なので、是非「つくろい大阪ファンド」を…(笑)
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稲葉:大阪では作れないですけど(苦笑)。今まだ「つくろい東京ファンド」でシェルターを作ったばかりなんですけど、ここでの経験を是非活かしていただければと。なんでもお伝えしますので、いろいろと連携していこうと思っていますんで、どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。

川口:ありがとうございました。

「どんなに小さなことでも、きちんとやるってことが大切」 対談:松本春野さん(絵本作家)×稲葉剛

対談・インタビュー


稲葉: 今日のゲストは松本春野さんです。
松本: よろしくお願いします。
稲葉: 松本春野さんは絵本作家として活躍されていますけれども、今回、新しく立ち上げた「つくろい東京ファンド」のマスコットキャラクターである、繕い猫の「ぬいちゃん」を作って下さいました。本当にありがとうございます。
松本: たくさん、いろんな所で使ってもらっていて光栄です。
20140805011018_tsukuroi稲葉: これから「ぬいちゃん」のいろんなキャラクターグッズも作って行こうと思っているんですけど、まぁ、この「ぬいちゃん」のコンセプトはですね、社会のセーフティネットの穴を縫っている、繕っている猫をキャラクターにして欲しいとお願いしたところ、本当にイメージ通りのものを作っていただいたということで・・・どうでしたか?作ってみて」
松本: 稲葉さんの頭の中にあるものを、ただただ絵にしただけでしたので。コンセプトが明確だったので、すごくやりやすかったですよ。何も迷わずに。
稲葉: これまでにも春野さんが投票率を上げるキャンペーンなどで猫のキャラクターを使っているのを「かわいいなぁ」と前々から思っていて。
松本: 猫好きの人の拡散率が高くて。絵本でも犬よりも猫の方が売れるんですよ。猫好きはお金を落とすっていうか、行動に出るみたいで。(笑)
稲葉: そうなんだ。そこまでは考えていなかった。(笑)
松本: それで、裏をかいて「投票に行こう」の時にも猫を一個入れといて。(笑) まぁ、猫、好きなんですけど。
稲葉: もともと松本春野さんとは、多分2006年ころだったと思うんですけど、もやいで「こもれびコーヒー」という自家焙煎事業を始めたときに、コーヒーの販売に使ういろんなキャラクターやイラストを描いていただいたというところからご縁が始まったんですけど・・・。
松本: 何者でもない私を使っていただいてありがとうございます。
稲葉: いやいや。最初はサロンに遊びにいらしたんですよね?
松本: そうなんです。ちょうど、あの頃、反貧困フィーバーみたいのありませんでした?
稲葉: 2006~7年頃くらいですかね。
松本: やたらメディアを賑わしていて、本もたくさん出てて。連日、非正規雇用の派遣切りとか、ああいうものが報じられていて。あの時、私は大学を卒業して、イラストレーターとして何とかやって行こうとアルバイトをしながら生計を立てていたので、それって正社員でもないし…。だから自分のこととして、本当に実家がなかったら路上の世界だなっていうふうには思っていたんですね。本当に自分とはかけ離れた世界というふうに思っていたものが、何かこう、知れば知るほど、すぐそこの世界という感じがして、他人事じゃないし、(生活困窮者は)私のような生活をしていた人達だったんだなという見方をするようになったのは、やっぱり自分が非正規でアルバイトしながらその日その日で暮らしていたような生活だったので。先も見えなかったし。何かこう、夢を追いづらい時代で、非正規がダメとか、正社員にならなきゃダメとかいうプレッシャーが強い中で、「何で絵なんか描いてるんだろう?」ってすごい罪悪感を持ちながら、でもいつかこれで生計を立てたいから何とか頑張るぞって思ってたんですけど、たまに心が折れそうになると、自分のためにもセーフティネットはしっかりしてないとなって。
20140805010911_matumoto稲葉: 貧困問題は美大生だったころから関心があった?
松本: そうですね。美大ではそんな社会のこととか教えてもらえるような授業って無くって、せっかくなら絵を描くにしても世の中のためになるようなモノづくりをしたかったし、そのためには世の中のことを知らなくてはいけないなと思って、東大の「法と社会と人権ゼミ」という過労死を扱う川人博弁護士のゼミに2年間潜らせてもらって、そこでいろんな人権問題を勉強して、問題の根底にあるのが貧困問題かなって自分で何となく思って。どんな問題も結局、貧しい人とか力のない人たちが当事者になって被害者になって抜け出せない。これは格差の問題だと思ったんですね。 なので、その流れで「もやい」に行きました。
稲葉: 特にここ数年、311以降だと思うんですけど、社会に余裕がなくなっているような気がして、例えばヘイトスピーチの問題もそうですけれども、貧困や格差が広がる中で、本来貧困を生み出している原因に対して「どうにかしろ
って言うのではなく、お互い足を引っ張ったり、叩き合ったりするという動きが広がってきているなぁと懸念しているんですけど。
春野さんは311以降の福島の問題も含めていろんな活動をされていますけど、よかったらその辺のところを…。
松本: そうですね、できることがあればと思って。311という、すごく大きなことがあったので、まず一番に福島がやはり心配だったので、福島に足を運んだんです。その現状を報道する機関はいっぱいあったんですけど、子どもの心っていうものをきちんと伝えるのは新聞とかテレビっていう機関じゃないなと。やっぱりそこで絵本の出番かなって思ったんですね。で、そういう場でもきちんと記録して、伝えるってわけではないのですけれども、書き記していかなくちゃいけないかなって思って、続けています。
稲葉: 絵本作家になられたのは、やはり…?
松本: 祖母が絵本作家の岩崎ちひろという人だったっていうのはやはりあって。岩崎ちひろ美術館で育ったっていうのもあって、絵本は身近だったんですけども。
稲葉: 美術館の中で?
松本: そう、中で育ったんです。自宅と美術館がくっついているような、自宅を改装してどんどん増設してっていう美術館だったので。今は違うんですけど。バリアフリーにするのをきっかけに一家で隣の駅に引っ越したんですけど。
稲葉: それまでは美術館に。
松本: 高校生までは美術館に住んでました。だからいつでもいろんな世界の絵本を見られる環境にあったし、あと勉強が嫌いだったので。
稲葉: 絵を描くのは好きだったんですか?
松本: 落書きが好きでした。だけど、すっごくだらしない子だったので、いつも絵具セットとか忘れちゃうんで、図工の時間とかはずっとお喋りしていて、きちんと評価されるようなことは何一つやってませんでしたけどね。
稲葉: でも、自分で描くのは…
松本: そうですね。人を描くのが好きで、人の生活とか。人間が好きだったんですよね。
稲葉: それが一番ですよ。
で、福島の絵本も出されて、絵本作家として社会の問題にも関わってという活動をされていますけども、つい最近のことですけど、7月1日に集団的自衛権の閣議決定がなされたということもあって、私も連日官邸前の抗議に参加していたんですけど、ツイッターとかFBで見ていると、春野さんも何度か駆けつけて声を出していたようですね。同じ場所にいたんだろうなと思うんですけど。
松本: 私も運動家じゃないんで分かんないんですよ。ああいうことがどれくらい効果があるのかとか。冷やかに見る人たちもたくさんいるじゃないですか。でも、何もやらないよりはやった方がいいというスタンスで。人に笑われようが。困ることには「困る!」とひとこと言っておきたいし。アレと投票以外にやり方が分からないんですよね。投票はなかなかちょっと、それだけだと・・・。
稲葉: そんなしょっちゅうあるわけでもないですからね。
松本: 何かいい方法ありませんかねぇ?
稲葉: 私たちも日常的にもロビー活動やったりとか。私たちも生活保護の問題とかで議員さんのところに行ったりとか、厚生労働省に申し入れをしたりとかはしていますけど、まだまだこう、いろいろな方法を開発していく余地というのはあるんだろうなとは思っていますけどね。
20140805010113_inaba松本: 何かあの、柳澤協二さんっていう元防衛官僚だった人の話を聞きに行った時に、集団的自衛権に反対していて、「デモって官邸からどういうふうに見えてましたか?」って質問したんですよ。そしたら、その時は「ケッ!」って思ってたんですって。「そんなの何にも変わんないよ」って。でも、今、彼は反対する立ち場になって、とにかくメディアがきちんと情報を載せて、世論調査に響くようなことになるのであれば何でもやって欲しいって言っていて。若い人はSNSも使いこなして必死でやってくれって。「ケッ!」って思っていた人でも、反対する立ち場になれば、必死でデモも肯定するんだなってことが分かって、ああ、意味あるんだなって。
稲葉: 聞こえてますもんね。テレビでやってましたけど、官邸の中で取材していて外のデモの声が聞こえていたりとか。私も議員会館とかでロビー活動していると、外の抗議活動が聞こえてますから、意識はせざるを得ないと思うんですよね。
松本: そう、あとは世論を動かすってことがすごく重要なんだって元官僚は言っていました。(笑)
稲葉: 今日はその時に官邸前に持って行かれたプラカードを持ってきてもらいました。これ実物ですよね。これ持って電車に乗って来たんですか?
松本: そうですよ、異様ないでたちで。何でこっちの面に文字がないかというと、文字が多いプラカードの中では、絵だけのプラカードは結構目立つので。あと海外のメディアが撮ってくれるんですよ。だから、(周囲に)文字が多い時は絵の面を使って、少ない時は文字を書いた方を使ってって、リバーシブルでやってるんです。(笑)
稲葉: 私、今回公式サイトを作って、今回の対談も掲載させていただくんですけども、まぁ、貧困の問題だけでなくて、平和の問題も含めて、いろいろなテーマで発信させていただこうと思っていますんで、また是非連携させてもらえればと思っていますし、今回「つくろい東京ファンド」でキャラクター作っていただいたということで、いろんな形でコラボできればと思っています。最後に「つくろい東京ファンド」に聞きたいことを。
松本: 最初私も何が何だか分からずに「描いてください」って頼まれて、これがどれくらいの規模のものなのかということも分かってなかったんですよ。クライドファンディングというのも、聞いたことあるけどどんなものなのかは。まぁ、私もやってみました。ちゃりちゃりーんって。(笑)
稲葉: ああ、ありがとうございます。
松本: きちんとこうやって行動を起こすと、メディアがそのあと取り上げてくれたりして、活動を広げていくのも抜かりなくやってらして・・・。
稲葉: この「ぬいちゃん」のお陰です。
松本: どんなに小さなことでも、きちんとやるってことがどれだけ大切かっていうことを稲葉さん見ていると教えられて、これを批判しようと思えば、「こんな部屋数じゃあ足りないじゃないか」とか、いろんなことを言う人がいると思うんですけど、この行動はこの先もきっともっと広がって行くんだろうなと、見ていて思いました。応援しています。
稲葉: ありがとうございます。そういえば、雨宮処凛さんがこの「ぬいちゃん」を見て、「かわいすぎる!」って絶叫に近いようなツイートをされていて、結構そういう効果もあって広がったのかなぁと。
松本: 本当ですか?あー、嬉しい!!稲葉さんの頭の中が、こんなかわいいメルヘンで出来ていたお陰でこれができましたので。(笑)
稲葉: 今後ともよろしくお願いします。
松本: よろしくお願いします!

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ビッグイシュー販売者の路上脱出を応援したい!対談:瀬名波雅子さん(ビッグイシュー基金)×稲葉剛

対談・インタビュー


稲葉:今日はお越しいただき、ありがとうございます。ビッグイシュー基金の瀬名波雅子さんとの対談を始めたいと思います。実は本日対談するこの場所はですね、今朝からみんなで大掃除をやっていたのですけども、私が新しく立ち上げた新団体「つくろい東京ファンド」で開設するシェルターの一部屋になっております。
瀬名波:ねぇ、なんかすごいいいお部屋! 住む方も喜ばれるんじゃないですか?すごいキレイ。
稲葉:みんなできれいにしたんです。
瀬名波:私、初めてお邪魔したので、ちょっとあとで撮影させてください。
稲葉:まず最初に、瀬名波さんがビッグイシューに関わるきっかけとか、動機を伺えればと思います。
瀬名波:そうですね、2006年に大学を卒業し、一般企業に就職したのですが、その頃から一般企業かNPOに就職するかですごく悩んで、結局一回は企業に入ろうと思い、新卒で企業に入りました。 会社の仕事はすごく楽しかったんですけど、やっぱり何か自分の思いに近い仕事をしたいなと思っていた頃、ちょうど2011年3月に東日本大震災が起きて、私はその時ビルの12階にいたのですが、大きな揺れに驚いて「死ぬかも」と思いました。その時にすごく後悔したのが、自分がやりたいなと思った仕事を選ばなかったことだったんですね。いつまで人生が続くか分からないって考えたときに、ずっと興味のあったビッグイシューのような仕事をしたいと。 もともと海外の貧困に興味があったので・・・
稲葉:学生時代から海外の貧困に興味が?
瀬名波:そうですね、結構バックパックで一人旅とか・・・。 留学や国際協力のNGOとかで海外に行くことが多く、学生時代は正直日本の貧困問題にはあまり目を向けていなかったんですけど、会社に入って、湯浅さんの「反貧困」を読んだことや、あとは身近な友達がふとしたきっかけで困難な状況に陥っていくのを見ていて私も考え方が変わっていきました。日本の貧困問題に関心をもつようになり、2011年、ちょうど求人があったビッグイシューの門を叩いたということになります。この八月で丸三年になります。senaha
稲葉:ビッグイシューには有限会社ビッグイシュー日本と認定NPO法人ビッグイシュー基金の二つがあるのですが、この動画をご覧になっている方にはよく分からない方もいらっしゃるかもしれないので、ちょっとビッグイシューの仕組みについて説明していただけますか?
瀬名波:はい。 ビッグイシューというと、ご存じの方はおそらく「雑誌販売」の仕事と認識される方が多いと思います。大きな駅などで目にされた方もいらっしゃると思います。
まず、「有限会社ビッグイシュー日本」と、「NPO法人ビッグイシュー基金」のざっくりした仕事の違いは、雑誌を制作することと、ホームレスの方たちに雑誌を販売するためのサポートをするというのが有限会社ビッグイシュー日本の仕事になります。なので、多くの方が認識されているのは、有限会社ビッグイシュー日本が行っている事業なんです。NPO法人ビッグイシュー基金の方は、ホームレスの方たちの生活、仕事など自立に向けた相談ですとか、あとは「路上脱出ガイド」という小さな冊子をもやいさん達と協力して作ったり、「若者ホームレス白書」を作ったりということをしています。
有限会社ビッグイシュー日本は雑誌を制作しているんですが、今年の4月からそれまで300円だった雑誌を350円に値上げしました。販売できる方の条件をは、ホームレス状態にある方のみに限定している雑誌です。一番はじめに販売希望の方がいらっしゃったときに、10冊雑誌を無料で差し上げて、その売上げ(3500円)を元手に次に販売する雑誌を一冊170円で仕入れてもらう。なので、雑誌1冊の定価350円の雑誌と仕入れ額170円との差額である180円がホームレスの方の収入になるという仕組みです。
NPO法人ビッグイシュー基金の方は、ホームレスの方々の、仕事を探したい、家を探したいなどという要望があったときのサポートの他に、リーマンショック前後で急増した若者ホームレス問題に取り組んでいて、「若者ホームレス白書」や「社会的不利・困難を抱える若者応援プログラム集」を発行していたり、いろんな分野の団体の方たちとつながりながら、サポート体制を探っていっています。また、住宅政策や若者政策の提案なども行っています。すごく簡単な説明なんですけど。
稲葉:あと、文化・スポーツ活動も。
瀬名波:そうです。 文化・スポーツ活動もビッグイシュー基金の活動の一つです。毎年どこかの国で行われているホームレスワールドカップですとか、最近公演も増えてきたダンス・ソケリッサですとか、英会話クラブが始まったり…。大阪の方では野球が盛り上がっていたり、販売者さんが町を案内する「歩こう会」とか…。販売者さんが主体的に楽しめる活動を応援しています。その「楽しめること」が生活を立て直すときにふんばれる力になると考えているので、販売者の方を中心とした文化・スポーツ活動の場を大事にしています。
稲葉:ビッグイシューの販売が始まったのは2003年?
瀬名波:そうですね、有限会社ができたのは2003年ですね。
稲葉:最初、大阪で始まって、その後東京でも始められたんですよね。私、よく覚えていまして。私自身は1994年から新宿を中心にホームレスの人たちの支援活動をしてきて、いろんなところでホームレス問題について講演をしていたんですけど、時々講演の参加者から、海外ではホームレスの仕事を作るストリートペーパーってありますが、そういうのが日本にもできないんですか?という質問を90年代から何回か受けていたんです。私は「いや、それは結構難しいんじゃないですか?」って答えていたんです。というのも、以前はホームレスの人たちに対する偏見が非常に強く、ストリートペーパーを売るってことは、人前で自分がホームレスであることをさらけ出すということで、なかなかそういう一歩踏み出すような勇気は日本の社会だと持ちにくいのではないかと。 自分がホームレスであると知られてしまうことになりますので・・・。あと、日本で販売したときに、どれだけの人が買ってくれるんだろうと。非常に有意義な取り組みだとは思うけれども、日本でビッグイシューのような事業を始めるのは難しいのではないのでしょうか?という話をしていたんですよ。それが、佐野章二さんが大阪で始められて、その後東京でも始められた。「え、やるんだ!」とすごくびっくりしたのを覚えています。inaba201407102
瀬名波:91年にイギリスのロンドンでビッグイシューが生まれて、世界各地でストリートペーパーの前例はすでにあったんですね。ですが、日本で始めると言った時、主に4つのむずかしさが指摘されたそうです。まず、日本は道でものを売るという文化がなかったこと、次に、若者の活字離れがすでに進んでいたこと、そしてネットで情報が無料で手に入る時代になったこと、最後に、ホームレスの人たちから物を買う人たちがいるのだろうか?という疑問。なかなか難しいものはあったと聞いているんですけれども、いろんな創意工夫とエネルギーで起業して今に至ると。昨年、ちょうど会社の方は10周年を迎えました。
稲葉:東京で販売が始まったときには、私も当初かかわっていた新宿の炊き出しの場に販売者の勧誘に行ったことが・・・(笑) あとは、販売が始まってからは講演会などでもいつもご紹介させていただいています。ビッグイシューが定着するかどうかが日本におけるホームレス問題の一つのリトマス試験紙になるんじゃないかみたいな話をよくさせてもらっていました。まぁ、でもそれが定着して10年以上続いているというのはすごいことだなと。
瀬名波:ありがとうございます。経営的にはなかなか厳しいところがあるんですけどね。
稲葉:それで、実際に売ってらっしゃる販売者さんの生活の状況、収入の状況というのはどれくらいになるんでしょうか?
瀬名波:今、ビッグイシューは1日と15日の月2度、雑誌を出しているんですけど、平均して一人大体一号につき200冊くらいの売上げですね。収入でいうと、月に6万後半から7万前後の収入ですね。大阪などはドヤの数も多く、値段もとても安いのですが、東京の場合はネットカフェでも一泊1500円とかしますので、今回の稲葉さんのシェルターのようなところがあったら本当にいいのにという希望がありました。平均7万円っていう金額は、どういうふうに見るかだとは思うのですが、もう少し販売をがんばって、安価な住まいが確保できれば何とか自分で生活できていけなくもない金額です。住まいが安定すれば、安定した販売につながる面もあると思うのですが、東京の住まいの問題はとても深刻ですね。
稲葉:私も「もやい」でいろんな人の保証人や緊急連絡先になっていて、何人かビッグイシューの販売者のサポートもしてきたんですが、販売者さんの中には10万円以上の収入がある方もいらっしゃるじゃないですか?だから、2万とか3万の安いアパートだったら払えるという人はいらっしゃるんですが、どうしても初期費用・・・敷金、礼金、不動産手数料等が払えないというのが大きなハードルになっているんじゃないかなと感じます。
瀬名波:そうですね。あと、現住所がないということで、身分証明書が持ちづらいんですね。家に入るにしても、現住所がないことがハードルになる方も結構いらっしゃいますね。
稲葉:このたび、クラウドファンディングでお金を集めている(住まいのない人が安心して暮らせる個室シェルターを作りたい! – クラウドファンディング MotionGallery/モーションギャラリー)このシェルターは、「あわやハウス」と名付けたんですが、8部屋の個室を作って、うち2部屋につきましてはビッグイシューの方専用にしようと思っています。実は、今いるこの部屋がそうなんですが。(笑)ビッグイシューの販売者さんであれば、月3万円くらいなら家賃として払えるのではないかと。で、いったんそこに入っていただいて、お金を貯めるなり、あるいはいったん住民票をここに置けば仕事も得やすいのではないかと思うんですね。そしてゆくゆくはアパートに入れるように支援していければと思っているのですが、手前味噌なんですけど、どうでしょうかね?futari
瀬名波:ビッグイシューの販売者にお部屋を貸していただけると伺った時に、ビッグイシュースタッフの間でも、「ならば、どうやってその部屋を利用しようか?」という話になったんですよね。私たちが目指すところは、ビッグイシューの仕事や基金の活動を通して、自分でチャンスを掴んで、チャンスを活かして生きていく基盤を整えるということでやっていますので、販売者の中でもアパートの入居を現実的に考えている人に入っていただきたいなと思っているんですね。先ほどもお話ししたように、路上生活からそのままアパートに入るのはむずかしく、すごく販売を頑張っていても、初期費用が貯まらない、現住所がなく大家さんに断られてしまう、あとは保証人が立てられないなどで、アパート入居のハードルがとても高いです。なので、あわやハウスはアパートに入る前のステップハウスとして準備をするために使っていただきたいなと。ここに入っている間に現住所を設定したり、初期費用を貯めたりして、あとは実際に暮らしてみることによってシュミレーションができるというか、自炊してみたりとか、いろんな生活面での準備もできるかなと思っているので、私たちもすごく楽しみにしているところがあります。屋根のある、自分の部屋と呼べるところに住む安心感が、ビッグイシューの販売やその後の就職活動をがんばれる基盤になるといいなと思っています。
稲葉:ありがとうございます。これまでも「もやい」でいろいろなプロジェクトをご一緒してきましたが、今後はこのシェルターも活用しながらホームレスの方々のサポートをしていきたいと思っています。本日はどうもありがとうございました。
瀬名波:ありがとうございました。

もやい理事長交代記念 対談×大西連(後編)

対談・インタビュー

※前編はこちらから
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稲葉剛の「いままで」

●大西
逆に稲葉さんに聞きたいんですが、任意団体時代も含めて13年間、理事長を担ってこられましたね。こんなに長い間やると思っていました?
●稲葉
いつも目の前のことに手いっぱいで、良くも悪くもあんまり先のことを考えてこなかったんだよね。
●大西
おおー。最初に、これは「イケる」と思って(もやいを)立ち上げたんですか?
●稲葉
うーん。最初は任意団体としてもやいを設立して、個人で保証人を受けていた時代が5年間、あったんだよね。
●大西
保証人を引き受けるとかぶっ飛んだ活動ですよね。
●稲葉
特に設立2年目の2002年は、年間で二百数十件の保証人を受けてました。
当時のもやいは生活相談はあまりやってなくて、ほとんどが今でいう入居支援、連帯保証人の提供ということで、朝から晩までハンコを押しているという時期があったんですね。
で、それがどんどん増えていくので、このまま個人で保証人を引き受け続けていても大丈夫なんだろうか?、みたいな不安はありましたね。
●大西
もともと設立した時は「自立支援センター」が出来た頃ですよね。
●稲葉
東京では最初の路上生活者自立支援センターである台東寮と新宿寮が2000年に出来て、そこに炊き出しなどの活動を一緒にしていた野宿の当事者の方たちが入寮していったんです。
そして、入寮した人たちの相談を受けていく中で、アパートの保証人問題があるとわかった。家族や友人との人間関係が切れているために保証人が見つけられず、そのことがハードルになってアパートに移れないと。それを自分たちで何とかしようということで始めたんです。
●大西
勝算はあったんですか?
●稲葉
湯浅が最初に「300万集まれば何とかなるだろう」という大雑把な計算をしていましたね。
幸い出来たばかりの頃、朝日新聞の「天声人語」欄で活動を取り上げてくださったので、全国から支援金が集まったんです。初期の頃は「もやい債」といって市民債権という形をとっていたのですが。
そのおかげで何とかスタート出来たと。
●大西
結局13年間ですか。この間、「ネットカフェ難民」とか「派遣村」とか、いろいろありましたけど。
●稲葉
まぁ、長いよね(笑)
●大西
日本の貧困問題が可視化されてきた歴史を、もやいも歩み続けていると考えてもいいんじゃないですか。
●稲葉
はいはい。
●大西
具体的には、それこそ2006年「貧困はなかった」と言われていた時代から、貧困問題が国家レベルで解決すべき課題だと認識されてきた流れの中で、もやいが担ってきた役割というのは大きかったと思うんですけど。
実際、もやい内部にいる人間としては、その時々でどういうビジョン、どういう狙いをもって、自分たちがやっていることの社会に与えるインパクトを考えてきたのか。仕掛けがあったのか、あるいは偶然だったのか、その辺なんかが気になります。
●稲葉
うーん。仕掛けは主に湯浅くんの担当だったので、私はとにかく現場でずっと相談に来る人に対応してきたんですけど(笑)
意識してきたのは、困っている人はどんな方でも相談にのるというスタンスを変えないということ。入り口で選別をしない、ということを念頭に入れていました。
たとえば、初期の頃、相談に来ていたのは50代・60代で日雇い労働をずっとしてきた路上生活者が中心だったんだけども、時代を経るに従って、ネットカフェ難民問題・派遣切り問題で若い人たちがどんどん相談に来るようになり、その後女性ももっと気軽に相談に来られる場にしなくてはいけないんじゃないか、というような提起がもやい内部であって、そのための対応をしてきた結果、今では女性の相談も増えてきています。
こんな風に、私はどちらかというと受け身なんですが、自分たちのスタンスを変えないで継続してきた結果、徐々に間口を広げてきたのではないかと思います。con0701_005

なぜこの「タイミング」か?

●大西
なるほど。今日の本題の一つかもしれませんが、どうして理事長をやめようと思ったんですか?
●稲葉
もともと、一人の人がずっと長くやるのはそもそもよくないと思ってたんですね。
2011年ぐらいの時に、任意団体時代から数えると10年経つので、そろそろ交代かな、と思っていたんですが、東日本大震災があって、それの対応に追われてしまったと。で、その後、2012年から生活保護バッシングが始まって、昨年は生活保護法の改悪とか引き下げとかでてんやわんやになってしまった。
●大西
お互いよくがんばりましたね(笑) もうたくさん文章書きましたもん(笑)
●稲葉
そんな経緯だったので、なかなか体制の見直しというところに着手出来なかったということがあって、今年になってようやくその辺の議論が出来てきたかな、と思ってます。
●大西
対外的にはそうだけど、対内的にはどうでした?
それこそ「外」は逆風ですよね。貧困問題・貧困業界っていいのかわからないけど、生活困窮者をとりまく社会環境はどんどん厳しくなっていっている。
だから外に出て当事者と一緒に発信をしたりとか、支援団体を束ねて何かアクションを起こしたりとかをやらざるをえなかったというか、担わざるをえなかった部分があって。
そんな「外」を受けて「内」では、組織変革の必要性とか、もやいの在り方を変えよう、とかあんまり起きなかったんですかね?
●稲葉
うーん。いろいろ議論はしたんですけどね。『貧困待ったなし』(自立生活サポートセンター・もやい編、岩波書店)の中でも書いたけれども、2009~2010年頃、体制自体を変えようと議論をしたんですが、最終的には今のままの方がいいという意見も強くて、よくも悪くも変わりませんでした。
●大西
何でこのタイミングで変えるんですか? それを。
●稲葉
まず人が変わって、形も変わればいいんじゃないかと。同じような人がやっていくと同じような形になってしまうので。
●大西
僕は参加した経緯が稲葉さんに誘われたからという非常に受動的なものでした。
もやいの活動はもちろん重要だし、その中で自分の役割というものをもちろん担う必要もあった。また、対外的にももやいが中核となって発信していく必要があると思っていたので、やれることはやろうと思い、実際にコミットしてきました。
でも、どちらかというと、組織全体の方向性とか運営に積極的に関わろうとは、実はあまり思ってなかったんですね。やっぱり、途中から参加したというイメージがすごくあったんです。
少し受け身でいた部分、もやいの中でこういう役割をやっていればいいや、という部分があったんです。もやい以外にもいろんな団体に関わっていたし。
●稲葉
うん。
●大西
けれど、近年の急速な動き。生活保護バッシングに生活保護法改悪、基準の切り下げ、それから生活困窮者自立支援法の成立。
そんな中で議員にロビイングしたりとか、こういう質問を書いてほしいとお願いしたりとか、具体的に社会システムに対してのアクションというのを担う機会があって、また、多くの人に問題を知ってもらうために文章を書いたりする機会もたくさんあって、ま、そうもいってられないな、と、思ったんです。
このままだと生活困窮者支援という現場自体が瓦解しかねない、融解しかねない。これはちゃんと責任をもってコミットしなければと感じたんです。
あと「もやい」という役割をきちんと再定義したい、担っていくべき役割は何か、また貧困問題に取り組む団体が、どういうことをやっていったらいいのか、ということを考えなければいけない時期に来ているなと。
なんか偉そうに聞こえるかもしれないですけれども。
●稲葉
いえいえ
●大西
っていうのを、感じるようになって、まずもやいの運営にもきちんと主体的に関わりながら、その中で稲葉さんにどう新しい事業をチャレンジさせるかとかね。
●稲葉
なんだよそれ(笑)
●大西
まぁ、冗談ですけど(笑)
で、その流れの中で年末年始に「ふとんで年越しプロジェクト」を呼びかけたりとか、今度新宿で炊き出しをまたやろうとしていたりとか。
もやいの活動もそうですが、ホームレス支援や生活困窮者支援の活動は、どこも始まってから十年、十五年と経っているところが多いですよね。時代の変化とともにで少しずつアップデートしなければならない部分があります。
いい部分・守るべき部分を活かしつつ、必要な部分をどうアップデート出来るか、どう支えていけるか、ということ考えていかないと、この先の十年・十五年を考えた時に、日本の貧困問題、生活困窮者支援をめぐる情勢というのは、かなり大きな危機に陥ってしまうのではないかなと。
今は、いろいろ切り替えていかなければならないタイミングなんじゃないかな、という。
●稲葉
はいはい。昨年、生活保護法が改悪され、生活困窮者自立支援法ができたことで、今後、公的な支援の領域では制度化される部分と切り捨てられる部分がはっきりしてくると思っています。民間団体の多くもその流れに巻き込まれているけど、そういう状況で何ができるか改めて考えていく必要がありますね。
●大西
稲葉さんも最近「フェーズが変わった」といってるじゃないですか。いまは「転換点」にあるのかもしれません。

これからのもやい

●編集部
今後のお互いに活動について、稲葉さんは「新理事長大西連」へ、大西さんからは「活動家稲葉剛」に対して、期待することのメッセージをお願いします。
●大西
じゃあ、稲葉さんから。
●稲葉
いやいや。あんまり前任者があれこれ言うのはよくないと思いますんで、好きにやってください(笑)
●大西
そうですか(笑) 僕も別に好きにやって、ということで。あと、あえていえば「もやい愛」が試されてますよっていう(笑)
●編集部
13年間支えてくださった支援者へのメッセージをお願いします。
●稲葉
もやいがこれまで13年間活動を続けてこられたのは、やはり多くの支援者の方々が資金や物資を寄付してくださったり、ボランティアとして参加してくださったおかげであって、本当にさまざまな形でのご支援やご協力があって、これまで活動を続けてこられたと思っています。新体制になっても、引き続き、是非ご協力をお願いいたします。
●大西
もやいの良さって、組織決定がトップダウンではなくて、ボトムアップ、みんなで議論して決めることをすごく大事にしている部分なんです。
貧困問題に興味があるよ、一緒にやりたいよ、という方は誰でもウェルカムです。いろんな人と一緒に、この社会のなかで、貧困問題をどうやったら解決出来るのかな、というのを一緒に考えていきたい。また、多くの方のご支援を頂いて、持続可能な組織運営をしていきたいと考えています。
今後ともボランティアや寄付等でのご協力を何卒よろしくお願いいたします。con0701_004
(7月1日 もやい事務所にて)

もやい理事長交代記念 対談×大西連(前編)

対談・インタビュー

退任と就任のごあいさつ

●稲葉
本日(2014年7月1日)、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事会が開かれまして、そこの場で理事長が交代することが決まりました。
私は、もやいがNPO法人になってから11年間理事長を務めてきたのですけれども、このたび退任することになりました。
新理事長は大西連さんになりました。そこで理事長交代を記念して、新旧理事長による対談を始めたいと思います。
●大西
よろしくお願いします。
●稲葉
よろしくお願いします。まず自己紹介をお願いします。
●大西
みなさま、初めましての方は初めまして。お世話になっている方は、お世話になっております。新理事長に就任しました大西連と申します。
僕がもやいに本格的に関わりだしたのは、多分震災のちょっと前くらいからですね。もやいのセミナーに初めて参加したのが2010年の秋ぐらい、いわゆる「年越し派遣村後」で、担当は稲葉さんでした。
●稲葉
そうだっけ?
●大西
そうですよ。最前列で悪口言いながら見てたんですけど(笑)con0701_001

大西連の「きっかけ」

●大西
もともと、その前から新宿の炊き出しに行ってて、そこで稲葉さんと一緒に活動していました。
ただ火曜日は当時アルバイトとかぶっていて、(火曜日の)もやいには参加できなかったんですね。でも、同じく新宿で炊き出しをしていた人から「一回、もやいのセミナーに行こう。稲葉さんの回だから」と誘われたんですよ。
セミナー当日は雨の日だったんですけど、僕はたどり着けなくて辺りをうろうろして(笑)
「これはもう(開始時間の)7時に間に合うのは無理だ」と、一旦は諦めかけたんですが、7時半ぐらいになってようやくたどり着いたんです。それが一番最初です。
●稲葉
そもそも貧困問題や社会的な活動に関わるようになったきっかけは何?
●大西
貧困問題に関していえば、新宿の炊き出しに行ったのがきっかけです。
じゃあなんで行ったかっていうと、貧困問題に興味があったっていうわけではなくて(笑)。
●稲葉
(笑)
●大西
もちろん社会問題として貧困問題というのがあって、それは大事だよね、解決しなければならない課題だな、とは思っていたんですが、特に自分がコミットするとはまったく思っていなくて。
ただ、そういう中で人に誘われて、ふらっと新宿の炊き出しに行ったんです。当時はリーマンショック後だから、400人くらい(炊き出しに)並んでいたのかな?
●稲葉
うん。2010年頃だと300人から400人くらいかな。その前年はもっと多かったですね。
●大西
やっぱり自分の中にもっているイメージってあるじゃないですか。
たとえば、ホームレスの人って、お風呂に入っていなくて、空き缶を集めていて、ちょっと話しかけるの怖そうだな、みたいな。でも、実際は必ずしもそうじゃない人たちがたくさん並んでいた。若い人もいれば、数は少ないが女性がいたり、車いすの人がいたり。自分の持っていたイメージが裏切られたんですね。
また、メディア等では「年越し派遣村」とか知っていたけれども、実際どういった人たちが関わっていて、どういう人たちが相談に来ていて、実際どうやって過ごしているのか、っていうことも知らなかった。
それまでは、「ホームレス」というと「駅で寝てるのかな」「仕事してないのかな」「なんかよくわかんないな」っていうレベルの理解だったのが、実際にお会いして、お話をして、その人のストーリーを聞いてすごく身近に感じたんです。「ああ、親戚のおじさんにこういう人いてもおかしくない」と。
●稲葉
一人ひとりの顔や人生が見えてきたんだね。
●大西
なので、「ホームレス」の人たちについて、彼ら・彼女らをとりまく状況や社会環境について、興味をもつようになりました。自分がそこですごく恵まれていたな、と思うのは、単純に毎週炊き出しに行くだけで終わったのではなくて「これは何だろう?」とか「これは不思議だな?」ということを聞く相手として稲葉さんがいた、ということです。このことがいまの自分につながっているし、非常に大きかったですね。
●稲葉
ほお。
●大西
最初話しかけたらこうやって(背中を仰け反る)反ってて、すごい嫌がられていたのを覚えているんですけど、覚えてますか?
●稲葉
いやいやいや(笑)聞かれたことはちゃんと答えてましたよ(笑)
●大西
いろいろ質問していたのは?
●稲葉
そんなこともあったような気もする。
●大西
あの場を僕がすごく面白いと感じたのは、当事者の人も一緒に炊き出しや夜回りに参加したり、支援団体の人もいたり、それからいわゆる専門職の人もいたりとか、様々な立場の人が同じ活動を同じ場所で同じ目的のためにやっている、というところでした。
ただ、一方で自分も炊き出しと夜回りをやっていて「あれ? どうしてこの人たちはずっと路上にいるんだろう?」と疑問に思ったんですね。
これだけ毎週「相談ないですか?」「病気ないですか?」「役所いきませんか?」って支援しているのに、なんでホームレスの問題というのは解決していないんだろうかと。もちろん解決していない理由がたくさんあることは、あとで解ったんですが。
当初は、そういうことわからないものですから、とにかく自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じたかった。それで、いわゆる「福祉行動」という、新宿では月曜日に行っていた生活保護の申請同行に行ってみたいと稲葉さんに言ったんです。そうしたら、すごく嫌がられたんです、最初。
●稲葉
そうだっけ?
●大西
「えー、誰も来ないよ」って言って(笑)
●稲葉
(笑)
●大西
「来ても別に何もないよー」とか言って。
●稲葉
(笑いながら)そうだっけ?以前と違って、その頃は相談があったり、なかったりだったんだよね。
●大西
「なんだ、このサポーティブじゃない感じは」とか思ってました。
●稲葉
いやいやいや(笑)
●大西
でも、勇気をもって参加したら……いや、役所の窓口はこんな冷たいんだなと。
役所の窓口では、ホームレスの人が「人」として見なされていなかったんですね。宿がなくて足が痛いって言っているのに、病院には行かせるけど、支援はそこまでで路上に帰したり。
●稲葉
そうですね。それでも90年代に比べたら役所の対応は改善していて、昔は病院にも行かせてくれないということがありました。
●大西
最初は僕も熱いハートを持っているから(笑)「これはおかしいんじゃないか」と思ったりもしたんだけれど……。でも、関わっていくなかで路上の人たちが抱えている悩みや想い、役所側の理由や対応出来ない事情、あるいは本当は出来るのにやっていないことなど、いろんなことを知るようになりました。知ったというより、経験したり体感した、と言った方がいいかも知れません。
それで、これはいわゆるミクロ的な問題を越えて、もっと大きな社会構造の問題として考えなきゃいけないな、ということを思うようになりました。
貧困問題にコミットしなければと。この活動に関わるようになったきっかけです。con0701_002

もやいに来た頃

●稲葉
その後、2011年に震災があったことで、それまでもやいの中核を担っていたスタッフが2名、東北の被災地での支援活動に入っていくということがありました。その穴を埋めるような形で大西さんはめきめきと頭角を現したわけですが。
●大西
あれ、覚えてないんですか? 僕がもやいに来たのは稲葉さんに誘われたからですよ。
●稲葉
そうだっけ?
●大西
あ、ほら覚えていない(笑) あの震災後に稲葉さんに……
●稲葉
あ、そうそう。
震災の直後に土曜日のサロンをどうしようかという話があり、さすがに3月12日(土)はお休みにしたんですけど、その次の開催日(3月19日)はどうしようかと議論になったんです。
福島第一原発の事故も起こり、東京も安全かどうか解らないという状況の中で、通常のサロンという形では出来ないけれども、不安に思っている人や困っている人もいるだろうから、集まれる人は集まろうという話になったんですね。
特にあの時はスーパーマーケットやコンビニから商品がなくなったりして、食糧を買えなくて困っている人もたくさんいたので、こもれび莊を一日開放して、缶詰などの備蓄してあった食糧を来た人に配布したんですよね。
その時に声をかけた気がする。
●大西
そう、人足りないから手伝って、って言われたんです。で、手伝ったんですけど。
僕もちょうどその時、反貧困ネットワークとライフリンクと共同で自殺対策のプロジェクトがあって……
●稲葉
年度末の集中キャンペーンですね。
●大西
そうです。
3月は自殺対策強化月間で、僕は冊子を作ったりとかいろいろやってたんですけど、それが全部流れたんですね。だからすごく時間があったんです。
それこそ震災後だし、世の中どうなっちゃうんだろうなとか、そういう迷いもあったんですけど……。でもやれることはやろうと思って、もやいへ手伝いに行ったんです。
●稲葉
すばらしい。でも、震災でスケジュールが白紙になったのがきっかけになった、というのも不思議だね。
●大西
そこで稲葉さんに「火曜日来た方がいいですか?」と尋ねたら、「是非来て下さい」と。
それで毎週火曜日に来るようになった。
覚えてます?
●稲葉
………(笑)
●大西
あ、覚えてないな、この顔は。
●稲葉
覚えてる覚えてる(笑)
それで、いつからスタッフになったんだっけ?
●大西
スタッフになったのは、1年後? 2012年ですね。
●稲葉
そうそう。1年間ボランティアで生活相談をしていて。
●大西
2012年の夏ぐらいに、うてつさん(うてつあきこさん:もやいの当時のスタッフ)に誘われて、もやいのデータチームのアルバイトを始めたんです。
●稲葉
ああ、なるほどなるほど。
●大西
もやいのデータチームは、生活相談に来られた方のデータ入力と分析をしていたのですが、生活相談に携わっている人にも参加してほしいということで。
その時期は週4日とか5日とかもやいに来ていたという。
●稲葉
スタッフになってから入居支援の家庭訪問とかをやってたよね。
●大西
そうそうそう。生活相談と入居支援を両方やっていました。
●稲葉
それで、いろいろ見えてくるものがあったんじゃないの?
●大西
そうですね。というか、実は個人的に2010年・2011年で、かなり相談を受けてたんです。
新宿での路上でもそうだし、他の団体とかいろんなところで。
申請同行は年間100件以上、自分でもよくわからないくらい行ってたし、携帯電話の番号が路上に出回っていて知らない人から電話が来たり、個人的にアパート入居の際の緊急連絡先も受けたりして。
そういうことがあって、個人で受けているときりがないな、受けきれないな、ということは少し感じていたんです。
●稲葉
抱え込みだったのね。誰でもそういう時期はあるよね。
●大西
抱え込みって言われると嫌だなぁ。まあ、炊き出しをやっていた頃っていうのは、その入り口の部分でいっぱいいっぱいじゃないですか。
けれど実際に、一度支援につながった人がまた路上に戻ったりとか、せっかくアパートに入っても地域の中で孤立していたり、借金のことで困ってもこちらに相談してくれずに失踪してしまったりとか、そういうことが起きてしまう。
いわゆる入り口の向こう側、その後の生活をどう支え続けるかとか、どう維持するためのお手伝いが出来るかっていうことが、中長期的に見てもすごく大事だな、と改めて思ったんです。
あとは支援の難しさというか、その人の人生で考えたときに、その日その時という「点」で関わる以上にどう関わっていけるか。それらはすごく、入居支援事業をやって感じましたね。
あと、不動産の知識がついた。本当に契約条項とか特約とか、基本的な書式が揃っていないものがたくさんあるし、不当に住環境の悪い物件もあったり。
●稲葉
そうだね。なんとか路上生活を抜け出して、施設やアパートに移れたとしても、そこにはまた新たな課題がある、というのはもやいの活動の原点ですからね。
●大西
すごく生活に困って、やっと役所に相談に行って、なんとか支援に繋がった先で、複数人部屋のシェルターに入れられる。
なんとかアパート入りたい人が頑張って頑張って、やっとアパート入るんだけど、そこが風呂なしだったりとかトイレ共同だったり。
得られる情報が少ない人、自分でやることが難しい人ほど、過酷な環境に居ざるをえない。もしくは過酷な環境にいないと支援を受け続けられない。
そんな状況をすごく感じましたね。これはおかしいだろうと。
稲葉さんもその辺は感じていると思うんですけど。(後編に続く:7月7日公開予定)con0701_003

湯浅誠×稲葉剛対談(後編)

対談・インタビュー

マイノリティの声をどう伝えるか

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稲葉:はたから見てると、大学院時代の湯浅誠に戻っている気がする。政治思想史の研究をしていた湯浅誠の問題意識がここにきて出てきていて、路上やって貧困やって、という経験っていうのがどこにどう生かされているのか正直よく分からない所があるわけ。例えば、僕の場合は「反貧困」っていうより「反差別」という意識がとても強いので、野宿者差別に対する怒りというのが根本にある。この年末年始にも渋谷の宮下公園で強制排除があったりしたけど、この手の問題はなかなかマジョリティの側は分かってくれない。以前の君の話で、すごく印象的で覚えているのは、神戸の震災の時に避難所から野宿の人たちが排除されたという話に君がすごく怒って、今度東京で震災があったら…。
湯浅:野宿の人たち専用の炊き出しをしようと。言っていたね。若気の至りです。
稲葉:逆に住まいのない人だけの避難所を作って、住まいのある人は排除するんだって言っていて。まぁ、冗談だけど、マイノリティに対する差別への怒りみたいなものが原動力としてあったんだけど、今はそのむしろマジョリティ側に声を掛けていく反面、「もともとの現場で培ってきた怒りはどこへ行ったの?」って気がするわけ。
湯浅:それは、さみしい感じなの?
稲葉:寂しいっていうか、「どう思ってんのかな」と思って。
湯浅:渋谷の排除の話は、この間、ラジオの番組で取り上げたんだよね。そこで話す話は、やっぱり言い方に工夫が必要。そうでないと、結局発信することはできても伝える(届ける)ことができない。
稲葉:そういう問題自体にコミットしないっていう姿勢に見えたのね。それは生活保護の問題も含めてなんだけど。もちろん、今の世の中、テレビに出るリベラルな知識人は必要なんだけど、それを「君がやるの?今までの経験はどうなったの?」っていう気は正直あるよ。
湯浅:私は今まで、イメージで言うと、レフトのファールグラウンドにいた。それが今、できるかぎりセンターに寄ろうと努力している。それが納得できないとか、何となく合点できないとか、いろんな人がいるとは思う。でも、それは常にあるんだよね。もやいを始めたときは、路上じゃなくアパートに行ける人たちを相手にするのかと言われ、派遣村やった時にはホームレスじゃなくて派遣切りされた人を相手にするのかと言われ、参与やった時には運動でなくて政府に関わるのかと言われ、何かやれば常にそういうリアクションはある。
稲葉:ただ、派遣村の時は開村時に「ここは派遣切りされた人ばかりじゃなくて、もともと路上だった人も含めて支援するんだ」と宣言したわけでしょ。
湯浅:それは君の耳にそれが届いたってだけなんだよ。そうじゃないところで判断している人はいる。
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社会運動とソーシャルビジネス

稲葉:マジョリティの人たちにアピールをする際に、「提言型の活動や社会的な企業こそが社会を変える活動のメインだ」と、軸がそっちに寄ってしまうことに違和感がある。社会運動として抵抗するとか、反対するとかっていうのは古くて、「今やソーシャルビジネスですよ。スマートにやりましょう」という時代の潮流があるわけじゃない? 私はどちらも必要だと思っているし、ソーシャルビジネス系の人とも付き合いがある。だけれども、「こっちはダサくて新しいのはこっちだ」みたいな風潮自体に、君が乗っかっているのは「それでいいの? それが君の役割なの?」という気はするけどね。
湯浅:いま話を聞いていて、稲葉には、湯浅はこういうふうにあるべきで、そこからずれているのはおかしいんじゃないか、という違和感があるように感じた。だけど、私には私の経験とそこから出てきた問題意識があるので、こうあるべきと言われても困ってしまう。
稲葉:活動家はやっぱり現場の視点を忘れてはならないと思っている。生活保護の基準が下がれば、〈もやい〉でアパートの保証人を引き受けた人がエアコン代を払えなくなって、熱中症で倒れてしまう。そういうリアルな現場が活動の原点なわけね。僕はそこからものを言ってるわけだし、そこからものを言っていきたいと思っている。
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湯浅:それはまったく問題ないし、共感する。ただし、同じ起点を持ちながらも、どう言うかという方法論は多様にありえる。ソーシャルビジネスの手法を使う人もいるだろうし、いやそうじゃないと言う人もいるだろう。稲葉が言ったように両方必要だというのであれば、理解の広がりを追求する中でいろんな言い方とかやり方があっていいんじゃないだろうか。
稲葉:いまいち、どこに向かってるのか、わからないんだよね。
湯浅:もう少し長い目で見ていてもらえるとうれしいです(笑)。

(2014年1月14日、もやい事務所にて)

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