私の想い
いのち 路上で人が亡くなる社会はおかしい
広島出身の被爆二世として生まれ育った私は、大学時代に湾岸戦争に反対するデモに参加するなど、平和運動に関わってきました。
1994年、24歳の時、新宿の路上生活者のコミュニティ「新宿ダンボール村」に出会いました。そこで私が見たのは「ホームレス」と呼ばれる人々が次々と路上で餓死や凍死、病死へと追い込まれていく現実でした。
頻発する路上死に大きなショックを受けた私は、「路上で人が亡くなるような社会は間違っている」という想いから、路上生活者を支援する活動に飛び込みました。
以来、20年間、路上に暮らす人々に声をかけていく夜回りや、福祉事務所への生活保護申請同行などの活動を通して、貧困ゆえに人が命を落とさざるをえない状況を変えようとしてきました。
また、全国各地の路上では若者たちによる路上生活者襲撃事件が跡を絶ちません。私は各地の学校や地域で「路上生活者の人権」をテーマにした授業や講演をおこなうことで、襲撃の背後にある差別や偏見をなくしていく活動にも力を入れています。
すまい すべての人に安心して暮らせる住まいを
2000年代に入り、路上で人が亡くなる状況は徐々に改善され、行政の支援を得て路上生活から抜け出す人も増えてきました。
しかし、私のもとには「アパートに入るための連帯保証人が見つからない」という相談が次々と寄せられるようになりました。
そこで、湯浅誠らと一緒に自立生活サポートセンター・もやいを立ち上げ、自分たちが連帯保証人になることで元ホームレスの人々が「安心して暮らせる住まい」を確保するためのお手伝いをすることにしました。
2004年以降、〈もやい〉には路上生活者だけでなく、ネットカフェなど「路上一歩手前」の状態にある人々の相談がたくさん寄せられるようになりました。
私は近年の貧困の広がりの背景に、非正規労働の拡大といった雇用の問題だけでなく、「ハウジングプア」(住まいの貧困)の問題もあることに気づきました。
そこで、2009年には住まいの貧困に取り組むネットワークを設立し、住宅政策の転換を求める活動に着手しました。以来、賃貸住宅の「追い出し屋」問題や「脱法ハウス問題」などの諸問題に取り組み、「住まいは人権」に基づく政策の実現を求めています。
けんり 権利としての社会保障を確立したい
長年、日本社会では貧困は個人の責任だと考えられてきましたが、2006年以降、若年層にも貧困が拡大していることが報道などを通して知られるようになり、少しずつ貧困問題に対する人々のまなざしが変わってきました。
しかし、生活保護の利用者が200万人を突破した2011年頃から、マスメディアでは生活保護利用者へのマイナスイメージを植えつける報道が増え、2012年には芸能人の親族の生活保護利用をきっかけに大規模な「生活保護バッシング」が起こりました。
そして2012年12月に成立した安倍政権は、バッシングを利用して生活保護基準の引き下げや法改悪を強行しました。
本来、生活に困った時に生活保護などの社会保障制度を利用することは、後ろめたいことや恥ずかしいことではなく、当然の権利として保障されていることです。その利用を抑制しようとすることは、人が人間らしく生きる権利を否定することにつながります。
私は、全国の法律家や当事者、支援者とともに、生存権を侵害する動きに反対し、生活保護制度に関する誤解や偏見をなくすための活動をおこなっています。
「いのち」、「すまい」、「けんり」にこだわり、貧困の現場から当事者の方々と共に声をあげていくことで、人間の「生」が肯定される社会を実現していきたいと願っています。