もやい理事長交代記念 対談×大西連(後編)

対談・インタビュー

※前編はこちらから
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稲葉剛の「いままで」

●大西
逆に稲葉さんに聞きたいんですが、任意団体時代も含めて13年間、理事長を担ってこられましたね。こんなに長い間やると思っていました?
●稲葉
いつも目の前のことに手いっぱいで、良くも悪くもあんまり先のことを考えてこなかったんだよね。
●大西
おおー。最初に、これは「イケる」と思って(もやいを)立ち上げたんですか?
●稲葉
うーん。最初は任意団体としてもやいを設立して、個人で保証人を受けていた時代が5年間、あったんだよね。
●大西
保証人を引き受けるとかぶっ飛んだ活動ですよね。
●稲葉
特に設立2年目の2002年は、年間で二百数十件の保証人を受けてました。
当時のもやいは生活相談はあまりやってなくて、ほとんどが今でいう入居支援、連帯保証人の提供ということで、朝から晩までハンコを押しているという時期があったんですね。
で、それがどんどん増えていくので、このまま個人で保証人を引き受け続けていても大丈夫なんだろうか?、みたいな不安はありましたね。
●大西
もともと設立した時は「自立支援センター」が出来た頃ですよね。
●稲葉
東京では最初の路上生活者自立支援センターである台東寮と新宿寮が2000年に出来て、そこに炊き出しなどの活動を一緒にしていた野宿の当事者の方たちが入寮していったんです。
そして、入寮した人たちの相談を受けていく中で、アパートの保証人問題があるとわかった。家族や友人との人間関係が切れているために保証人が見つけられず、そのことがハードルになってアパートに移れないと。それを自分たちで何とかしようということで始めたんです。
●大西
勝算はあったんですか?
●稲葉
湯浅が最初に「300万集まれば何とかなるだろう」という大雑把な計算をしていましたね。
幸い出来たばかりの頃、朝日新聞の「天声人語」欄で活動を取り上げてくださったので、全国から支援金が集まったんです。初期の頃は「もやい債」といって市民債権という形をとっていたのですが。
そのおかげで何とかスタート出来たと。
●大西
結局13年間ですか。この間、「ネットカフェ難民」とか「派遣村」とか、いろいろありましたけど。
●稲葉
まぁ、長いよね(笑)
●大西
日本の貧困問題が可視化されてきた歴史を、もやいも歩み続けていると考えてもいいんじゃないですか。
●稲葉
はいはい。
●大西
具体的には、それこそ2006年「貧困はなかった」と言われていた時代から、貧困問題が国家レベルで解決すべき課題だと認識されてきた流れの中で、もやいが担ってきた役割というのは大きかったと思うんですけど。
実際、もやい内部にいる人間としては、その時々でどういうビジョン、どういう狙いをもって、自分たちがやっていることの社会に与えるインパクトを考えてきたのか。仕掛けがあったのか、あるいは偶然だったのか、その辺なんかが気になります。
●稲葉
うーん。仕掛けは主に湯浅くんの担当だったので、私はとにかく現場でずっと相談に来る人に対応してきたんですけど(笑)
意識してきたのは、困っている人はどんな方でも相談にのるというスタンスを変えないということ。入り口で選別をしない、ということを念頭に入れていました。
たとえば、初期の頃、相談に来ていたのは50代・60代で日雇い労働をずっとしてきた路上生活者が中心だったんだけども、時代を経るに従って、ネットカフェ難民問題・派遣切り問題で若い人たちがどんどん相談に来るようになり、その後女性ももっと気軽に相談に来られる場にしなくてはいけないんじゃないか、というような提起がもやい内部であって、そのための対応をしてきた結果、今では女性の相談も増えてきています。
こんな風に、私はどちらかというと受け身なんですが、自分たちのスタンスを変えないで継続してきた結果、徐々に間口を広げてきたのではないかと思います。con0701_005

なぜこの「タイミング」か?

●大西
なるほど。今日の本題の一つかもしれませんが、どうして理事長をやめようと思ったんですか?
●稲葉
もともと、一人の人がずっと長くやるのはそもそもよくないと思ってたんですね。
2011年ぐらいの時に、任意団体時代から数えると10年経つので、そろそろ交代かな、と思っていたんですが、東日本大震災があって、それの対応に追われてしまったと。で、その後、2012年から生活保護バッシングが始まって、昨年は生活保護法の改悪とか引き下げとかでてんやわんやになってしまった。
●大西
お互いよくがんばりましたね(笑) もうたくさん文章書きましたもん(笑)
●稲葉
そんな経緯だったので、なかなか体制の見直しというところに着手出来なかったということがあって、今年になってようやくその辺の議論が出来てきたかな、と思ってます。
●大西
対外的にはそうだけど、対内的にはどうでした?
それこそ「外」は逆風ですよね。貧困問題・貧困業界っていいのかわからないけど、生活困窮者をとりまく社会環境はどんどん厳しくなっていっている。
だから外に出て当事者と一緒に発信をしたりとか、支援団体を束ねて何かアクションを起こしたりとかをやらざるをえなかったというか、担わざるをえなかった部分があって。
そんな「外」を受けて「内」では、組織変革の必要性とか、もやいの在り方を変えよう、とかあんまり起きなかったんですかね?
●稲葉
うーん。いろいろ議論はしたんですけどね。『貧困待ったなし』(自立生活サポートセンター・もやい編、岩波書店)の中でも書いたけれども、2009~2010年頃、体制自体を変えようと議論をしたんですが、最終的には今のままの方がいいという意見も強くて、よくも悪くも変わりませんでした。
●大西
何でこのタイミングで変えるんですか? それを。
●稲葉
まず人が変わって、形も変わればいいんじゃないかと。同じような人がやっていくと同じような形になってしまうので。
●大西
僕は参加した経緯が稲葉さんに誘われたからという非常に受動的なものでした。
もやいの活動はもちろん重要だし、その中で自分の役割というものをもちろん担う必要もあった。また、対外的にももやいが中核となって発信していく必要があると思っていたので、やれることはやろうと思い、実際にコミットしてきました。
でも、どちらかというと、組織全体の方向性とか運営に積極的に関わろうとは、実はあまり思ってなかったんですね。やっぱり、途中から参加したというイメージがすごくあったんです。
少し受け身でいた部分、もやいの中でこういう役割をやっていればいいや、という部分があったんです。もやい以外にもいろんな団体に関わっていたし。
●稲葉
うん。
●大西
けれど、近年の急速な動き。生活保護バッシングに生活保護法改悪、基準の切り下げ、それから生活困窮者自立支援法の成立。
そんな中で議員にロビイングしたりとか、こういう質問を書いてほしいとお願いしたりとか、具体的に社会システムに対してのアクションというのを担う機会があって、また、多くの人に問題を知ってもらうために文章を書いたりする機会もたくさんあって、ま、そうもいってられないな、と、思ったんです。
このままだと生活困窮者支援という現場自体が瓦解しかねない、融解しかねない。これはちゃんと責任をもってコミットしなければと感じたんです。
あと「もやい」という役割をきちんと再定義したい、担っていくべき役割は何か、また貧困問題に取り組む団体が、どういうことをやっていったらいいのか、ということを考えなければいけない時期に来ているなと。
なんか偉そうに聞こえるかもしれないですけれども。
●稲葉
いえいえ
●大西
っていうのを、感じるようになって、まずもやいの運営にもきちんと主体的に関わりながら、その中で稲葉さんにどう新しい事業をチャレンジさせるかとかね。
●稲葉
なんだよそれ(笑)
●大西
まぁ、冗談ですけど(笑)
で、その流れの中で年末年始に「ふとんで年越しプロジェクト」を呼びかけたりとか、今度新宿で炊き出しをまたやろうとしていたりとか。
もやいの活動もそうですが、ホームレス支援や生活困窮者支援の活動は、どこも始まってから十年、十五年と経っているところが多いですよね。時代の変化とともにで少しずつアップデートしなければならない部分があります。
いい部分・守るべき部分を活かしつつ、必要な部分をどうアップデート出来るか、どう支えていけるか、ということ考えていかないと、この先の十年・十五年を考えた時に、日本の貧困問題、生活困窮者支援をめぐる情勢というのは、かなり大きな危機に陥ってしまうのではないかなと。
今は、いろいろ切り替えていかなければならないタイミングなんじゃないかな、という。
●稲葉
はいはい。昨年、生活保護法が改悪され、生活困窮者自立支援法ができたことで、今後、公的な支援の領域では制度化される部分と切り捨てられる部分がはっきりしてくると思っています。民間団体の多くもその流れに巻き込まれているけど、そういう状況で何ができるか改めて考えていく必要がありますね。
●大西
稲葉さんも最近「フェーズが変わった」といってるじゃないですか。いまは「転換点」にあるのかもしれません。

これからのもやい

●編集部
今後のお互いに活動について、稲葉さんは「新理事長大西連」へ、大西さんからは「活動家稲葉剛」に対して、期待することのメッセージをお願いします。
●大西
じゃあ、稲葉さんから。
●稲葉
いやいや。あんまり前任者があれこれ言うのはよくないと思いますんで、好きにやってください(笑)
●大西
そうですか(笑) 僕も別に好きにやって、ということで。あと、あえていえば「もやい愛」が試されてますよっていう(笑)
●編集部
13年間支えてくださった支援者へのメッセージをお願いします。
●稲葉
もやいがこれまで13年間活動を続けてこられたのは、やはり多くの支援者の方々が資金や物資を寄付してくださったり、ボランティアとして参加してくださったおかげであって、本当にさまざまな形でのご支援やご協力があって、これまで活動を続けてこられたと思っています。新体制になっても、引き続き、是非ご協力をお願いいたします。
●大西
もやいの良さって、組織決定がトップダウンではなくて、ボトムアップ、みんなで議論して決めることをすごく大事にしている部分なんです。
貧困問題に興味があるよ、一緒にやりたいよ、という方は誰でもウェルカムです。いろんな人と一緒に、この社会のなかで、貧困問題をどうやったら解決出来るのかな、というのを一緒に考えていきたい。また、多くの方のご支援を頂いて、持続可能な組織運営をしていきたいと考えています。
今後ともボランティアや寄付等でのご協力を何卒よろしくお願いいたします。con0701_004
(7月1日 もやい事務所にて)

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