「人間の条件」へ迫るリアル:対談 みわよしこさん(ノンフィクション作家)

対談・インタビュー

生活保護との関わり~単なる「頼られキャラ」だった頃~

稲葉:今日の対談はダイヤモンドオンラインで『生活保護のリアル』を連載されてきて、昨年ご本も出版された、みわよしこさんに来ていただきました。みわさんは今年度の「貧困ジャーナリズム大賞」を受賞されました。おめでとうございます。
みわ:ありがとうございます。もう一ヶ月以上経っていますけれども、お祝いというのは何回言われても嬉しいものですね(笑)。今日はよろしくお願いします。
稲葉:よろしくお願いします。みわさんと最初にお会いしたのは、確か2011年の秋だと思うんですけれども、生活保護問題対策全国会議で開催をした、生活保護の当事者の方の声を聞いていただこうということで、国会の中で座談会的院内集会という、当事者の生の声、生活の暮らしぶりについて話していただいて、それを国会議員や様々な人に聞いてもらうという集会を企画したんですけど、その時に取材にこられたのが最初だったかと思うんですけども。
みわ:はい、そうです。
稲葉:その間ずっと生活保護というテーマを取り上げるようになったきっかけを教えていただけますか?
みわ:はい。『生活保護のリアル』の前書きにも書いてありますので、ご関心をお持ちの方は出来ればお買い上げいただければ大変嬉しいのですけれども(笑)。私は42歳の時、2005年に運動障害を抱えまして、中途障がい者となったわけです。まず自分自身が生き延びるための情報やノウハウを得る必要があるのですが、そのうちに、まわりに障がい者の知り合いや友達がどんどん増えていく感じになります。中には、「他に生きるための手段がないから」という理由で、生活保護で暮らしてらっしゃる方が非常にたくさんいらっしゃるんですね。そして、その方々は生活保護に対してスティグマ感をもっていたり、卑下していらっしゃるわけではなく、そもそも「学校教育を受けて社会に接続されて、職業生活を始めて、自分の稼いだお金で食べていく」というコースから、最初から弾き出されているわけなんです。特に私の世代、50歳以上の方になりますと、その傾向は強いですね。
障がい児に対する就学猶予・就学免除が原則行われなくなったのは、今ちょっと正確に覚えていないのですけど、1970年過ぎてからなんですよ(注:正確には1979年。この年、障がい児に対する養護教育が義務化され、障がい児が教育を受ける権利は一応は保障された。しかし「分離教育」という新しい問題も発生することに)。私は1970年に小学校へ入っていますので、考えてみますと、私より年上の先天性障害や乳幼児期に障害を負った方だと「学校教育を受けて職業生活をするというコースからは最初から弾き出されている」という感じです。特別な幸運に恵まれない限り、教育を受ける権利を主張しなければ義務教育も受けられなかったわけです。ですから「就労の前提になる教育を受けておらず、就労という選択肢がないので生活保護」という単純な話です。障がい者は、生活保護をベーシック・インカムのように肯定的に捉えていることも多いです。
いずれにしても、いざとなったら「生活保護」というものを使えばいいんだな、という風に認識しておりました。
稲葉:なるほど
みわ:それ以前も、私は身体障害を抱える以前から精神障害を持っております。お世話になってきた精神科医のうち数名からは、ほぼ先天性に近かったのではないかと見られています。障害者手帳を取ったのは、かなり後なのですけれども。長年、精神科のクリニックやデイケアセンターなどに通っていますが、そこで友達になった人たちの中に、生活保護を利用して療養生活を送っている方がたくさんいたんです。彼ら・彼女たちにとっては、「落ち着いて生活を営む」ということが、まず治療の一環であったり目標であったりします。「あくまでも、どこかで雇われて働かなくちゃいけないんだ」というようなプレッシャーをかけられることはありません。もし、プレッシャーをかけられたとしても、応じることは出来ない状況なんですね。その彼ら・彼女らの治療を受けながらの生活を支えるものが、生活保護。ですから、私自身は生活保護の暮らしに対して「惨めさ」とか「卑屈になるべき」とか「隠れてなくちゃいけない」というようなイメージは、全く持っていなかったんです。
稲葉:そうなんですか。
みわ:はい。さらに私は精神科友達から、たとえば「福祉事務所のワーカーが今ちょっと性格悪い人になっちゃってて」とか「(身体疾患の)病院の主治医にきついことをいわれちゃって」などいわれた時に「ちょっと一緒についてきて」とよく頼まれていたんです。
稲葉:じゃあ、結構、福祉事務所へも一緒に同行するなどされていたんですか?
みわ:そうですね。ただ、カウンターの前まで行くことはあまりなくて。本人が自分で言えれば一番良いわけですから、福祉事務所まで一緒に行って、何をどう話すか簡単に打ち合わせて「埒が明かなかったら携帯で呼んで」というような手筈にしておいて、私自身は表で待っていることが多かったんです。たいていは、乗り込まなくても何とかなる感じですね。
稲葉:(笑)
みわ:ただ、東日本大震災のあとから「みわさん、助けて!」の頻度が増えちゃったんです。
稲葉:ああ。
みわ:それまでは多くても月3回、たいていは月1回か2回で、そのぐらいだったら「仕事が煮詰まっている時の気分転換にいいか」となるんですけど、月5回を越えるとなると「ちょっとね」となりまして。
稲葉:ほとんど「ひとり支援団体」ですよね。
みわ:そうなんです(笑) 私が応じられなければ、他の誰かを探すのでしょうけれども、「誰か見つかって、うまくいったのかな?」とヤキモキしなきゃいけないわけです。それにやはり、「助けを求められたのを見捨てた」というのは、気分のいいことではありませんし。
稲葉:震災のあとに増えたというのはどういう要因があるんですか?
みわ:はっきりとはわからないんですけれども、ひとつは、福島などから避難されてきた方を受け入れた自治体で、「その方々の相当数は時間の問題で生活保護しかなくなるのでは?」という状況の中で、福祉事務所の方で保護を出すのを渋るということがあったんじゃないかと思います。
稲葉:なるほど。
みわ:それから、もしかすると、様々な(都度申請する扶助の)申請に対して難色を示されるということは実際にはなくて、その方が「こんなこと(大震災)があったから、福祉を絞られるに違いない」と先読みして「何だか嫌がらせされているみたいだ」と感じられたのかもしれないですね。データを見た限りでは、「大震災直後の数ヶ月のうちに、東京都内で生活保護が利用しづらくなった」という事実の裏付けになるようなものは何もないです。
稲葉:2011年というのは、私が院内集会を企画したのも、国政レベルで国と地方の協議、生活保護制度のあり方をめぐる協議が始まって、その中で生活保護を利用しづらくしようという動きが顕在化した最初の時期だったんですね。だからもしかすると、そういう影響が現場にも出て来たのかもしれないですね。
みわ:そうですね。現場のケースワーカーさんの一部に、厚労省の方針を先読みして動いたということがあったかもしれないですね。conversation01

「マス」読者層へ届けるために

稲葉:それで2012年の6月から、『生活保護のリアル』の連載を始めたとのことですけど。
みわ:そうなんです。自分の友達が生活保護を利用していて、それゆえにいろんな嫌な思いをしているのを「見捨てておくのは気持ちが悪いけれども、個別に対応していたのでは埒があかないな」という思いがあって。自分で対応しきれないなりに、「信頼できる障害者団体を紹介する」などの対応はしていましたが、もう少し何かできないものかと。そこで「世の中にきちんと制度が知られていない状況を改善すれば、助けを差し伸べてくれる方も増えるだろうし、本人もいろんな人に『助けて』と言いやすくなるんじゃないか」と、かなり甘っちょろく(笑)考えました。なので、「ビジネス媒体か女性誌に生活保護の話を書きたい」と思ったんです。世の中を動かせる可能性を考えるなら、そういう「マス」読者層にアクセスしないとどうにもならない、と思いました。2011年秋には記事企画は通していたんですけども、最初は、単発か前後編ぐらいの予定だったんです。
稲葉:ダイヤモンドオンラインでですね。
みわ:そうです。その時に、担当編集さんから、非常に大切なアドバイスをいただきました。私の知っている生活保護利用者は、その時までは、障がい者に偏っていたんです。でも編集さんは、「障がい者の話だけ書くと、読者さんたちが『自分に関係のない話だ』と思ってしまうから、いろいろな当事者の方を入れて下さい」と。
それで「どうしようかな?」と思っていたところに、先ほど稲葉さんがおっしゃっていた院内集会のお話を伺いまして。その時に座談会に参加していらした当事者の方に別途インタビューして伺ったお話も、連載『生活保護のリアル』と書籍『生活保護リアル』に載っています。
あの院内集会をきっかけにして、私は「本当にいろいろな事情で、生活保護を必要とする状況になるんだな」と思いました。その後、積極的に、いろいろな当事者の方々にお話を聞かせていただくようになったんです。
ところが、その単発記事の掲載予定がどんどん後ろにずれこんでいったんです。当初は2011年の12月が公開予定だったんですが、年末特集とかち合ったか何かで、後送りになったんです。
稲葉:確かに、私もその時「なかなか出ないな」と思ってたんです。
みわ:そうですよね。ずいぶん時間がかかりまして、すみませんでした。
稲葉:いえいえ。
みわ:それで、2012年の1月にも公開できなくて。2月は毎年、アメリカに国際学会の取材に行っているんです。なので、2月スタートは無理。「3月はどうかなぁ」などと考えているうちに、、「取材結果がどんどん溜まっていくけれども記事化が全然出来てない」という状況になりまして。それで3月、担当編集さんと「どうしましょうか?」と相談していたところ、編集長さんが「これ、連載でいきましょう」と決断して下さって、連載開始が決まったんです。最初は、4月スタート予定でしたが、ゴールデンウィーク前にスタート出来なくて、いろいろと編集部と私の両方の事情でずれこんで、「6月の末頃にスタートしましょう」ということになったんです。ところが、皆さん覚えてらっしゃると思うんですけれども、4月に河本準一さんのお母さんが生活保護を受けていたことが問題になり始めて、6月27日あたりに謝罪会見なさいましたよね。
よりによって、その翌日に第一回が公開されることになってしまったんですよ。
稲葉:(笑)
みわ:狙ったわけじゃないんですけど、結果としてそうなってしまって。大変な数のアクセスをいただきました。公開された日、私、ランキング1位に自分の記事がずっと出ているのを見て「明日からスーパーでお買い物出来なくなるんじゃないか」というような心配をいたしました(笑)
稲葉:芸能人の方のバッシングがあった時に、私達も記者会見をしたりしました。「生活保護に関する誤った情報がかなりマスメディアに出てしまったので、それを修正したい」という思いで発信をしていたんですけれども、なかなか限界があって。
みわ:そうですよね。
稲葉:そうした中で、ダイヤモンドオンラインというビジネスパーソン向けの媒体で、きちんと制度の実態や当事者の声を出してもらえたことが、私達にとってとてもありがたかったです。
みわ:そう言っていただけると本当に嬉しいですけど、私は「ちゃんと報道しないと自分が気持ち悪い」という、それだけで動いているに近いところがあります。
稲葉:そうして始まった連載がかなりの長期の連載になっていて、昨年には単行本化されて、ということなんですけども、プラスマイナスも含めて、かなりいろいろな反響があったかと思うのですが。
みわ:ありました、ありました。
稲葉:代表的にはどんな声がありました?
みわ:そうですね。バッシングの反応というのは、いちいち内容を言わなくても想像がつくと思うんですけれども、それは非常に強かったです。ただ、「本当はそうだったのか。よくぞ書いてくれた」というような肯定的な反応も多くて、バッシングが非常に強い時でもその半分くらいは肯定的な反応があったので、励まされて書いてこれた、という感じですね。
conversation02

「歯止め」が消えていく社会で

稲葉:みわさんはYahoo!個人ニュースなどを始め、ネットでの発信にも力を入れてらっしゃいますけれども、すごく丁寧に生活保護に対する誤解を解くような記事を書かれていて、その他、SNSなどでも間違ったことを言っている方に対していちいち反論されていて、「いや凄いな、凄いエネルギーだな」と私はいつも思っているんですよ。
みわ:(笑)
稲葉:私なんかは絡まれても大体スルーしちゃうんで、きちんと答えてらっしゃって「ここはこう違うんだよ」とやってらっしゃるというのは凄いな、と思っているんです。その原動力って何なんでしょう?
みわ:どうでしょうね。私自身はそんなにSNSでの反応を几帳面にやっているつもりはなくて、本当に「目について気が向いたらやることもある」程度なんですけど。その程度のスタンスが、長続きしてやれているコツなのかもしれないですね。ネットでの発信に力を入れているのは、「誰でも無料で読めるから」です。お金を持っていない方ですとか、あるいは本屋さんに行く習慣を持っていない方も含めて、数多くの方々に届く文字メディアは、今、他にないですから。
稲葉:この間、生活保護バッシングもそうですが、一方で在日外国人の方に対するヘイトスピーチや、あと障害をお持ちの方に対してのバッシングや嫌がらせが横行するなど、本当に嫌な雰囲気が社会に漂ってしまっているんですけれども、そうした中で発信を続けていくというのはすごく疲れることだと思うのですけれども。
みわ:いやぁ、やりがいの宝庫ですよ(笑)。
稲葉:どうしていけば、こういう社会的な風潮が変えられると考えられますか?
みわ:どうでしょうね? 私自身、障害を持っている個人としても、物書きとしても、実は試行錯誤の真っ直中なんです。ときどき、「何故、バッシングが起こるのか」を考えてみるんです。私の考えですけれども、何か鬱憤ですとか憤懣ですとかが溜まっている時に、何かに対して晴らしたくなるわけじゃないですか?
稲葉:はいはい。
みわ:私自身は「人や生き物に対して晴らしたい」とは思わないんですけれども、「そうしたい」と思う人も一定数はいるだろうな、と思います。じゃあ、その時にどういう相手を選ぶのか。何かラベリングされている人、「バッシングしていいよ」というラベルが貼られている相手をバッシングするのではないでしょうか? 「バッシングしたい人が、その人達は『人』ではないというラベルを見たら、『人ではないから』という理由でバッシングに走る」と考えないと説明出来ない気がするんですよ。
稲葉:そうですね。
みわ:たとえば、在日コリアンの方に対して「死ね」とか「殺せ」とか、凄まじいことを言う方がいらっしゃるわけなんですよね。、私はそれを見て「人に対して、何ということを言うのだ」と思うんですが。
でも、言う人達は、相手が「人」であるという歯止めをなくしちゃっているので、「死ね」「殺せ」と言えるわけですよね、きっと。同じことは、おそらく野宿者襲撃についても言えると思っています。そもそも「野宿者=人ではない=襲撃してよろしい」というような回路があって、その回路が何かの調子に発動してしまうと、「襲撃する」という行動になるのだろう、と理解しています。
稲葉:なるほど。
みわ:障がい者については、ずいぶん当事者たちが障がい者運動で声を上げて来たので、これまでは、それほどあからさまに酷いバッシングの対象にはなってこなかった、という認識をしています。でもこのところ、いろいろなきっかけで理性の歯止めが簡単に外れてきているとは感じています。たとえば(ゴーストライター騒動があった作曲家の)佐村河内さんのケースでは、少なくとも持っていた障害者手帳の級に見合うだけの聴覚障害ではなかったということが解った時に「障がい者はみんな疑え」というようなツイートが吹き荒れましたよね? あの時、私はアメリカにいたんですけど、ツイッターを見て「日本に帰りたくない」と思いました。そういったことが一回あるごとに歯止めが掛かりにくくなって、次にまた何かあったら、また歯止めが掛かりにくくなって……ということが、ここしばらく繰り返されているように思えます。ですから、障がい者が「死ね」「殺せ」と言われるのは、そう遠い将来の話じゃないのかもしれないな、という悲観はしています。
稲葉:みわさんも書かれていましたけれど、みわさん自身も車椅子で生活されていて、車椅子で生活されている方の中で、人によっては全く立てない・歩けないわけではなくてちょっとの短い距離であれば立ったり歩いたりすることが出来るんだけど、生活の必要上車椅子を使っている方がいらっしゃる。
みわ:よくいらっしゃいます。
稲葉:それを「車椅子に乗っている人が立ち上がった!」というのを何か写真で撮ってバッシングするみたいな風潮がかなり出て来ていますね。
みわ:私自身も、よくやられます。最近は、「別に、撮られてもいいや」と思っているんです。撮って晒されたら、晒した人が無知だということを晒しているだけですから。でも、特に佐村河内事件直後の3月あたりは、電車に乗っていて足をちょっと動かしただけで、スマホをじっと向けられたりとかしましたね。
稲葉:ああー。
みわ:「あんた撮っているでしょ?」って言いたいんですけれども、「違います」と言われたらどうしようもないので、非常に不愉快ですけれど、見ないふりをして、本を読んでいるふりをしていたりしました。でも、本の内容は全然頭に入ってないとか(笑) そういうことは、よくありました。

「人間の条件」に迫っていく

稲葉:今日はハンナ・アーレントの本を持ってきて頂いたのですが。
みわ:最近私は、ある人たちは「人」であり、別の人たちは「人ではない」というようなラベリングが、なぜ行われ、いろんな暴力が顕わになってしまうのか、しばらく考えていまして。ハンナ・アーレントも、ユダヤ人虐殺からそういう問題を考え始めた人で、この『人間の条件』はそういった問題について考えた本ですね。それで、このような本を読みながら日々考えております。
「人間である」「人間でない」という線引きは出来るかどうかという問題は、非常に難しいです。「結局は、そんな線引きなど出来ない」と考えたほうが、いろいろと都合がよいだろうとも思っております。そういった本質から考えて、「臭い匂いは元から断たなきゃ」という昔のCMソングじゃないですけれど、本質の方に働きかけていかないと、と思います。そうしないと、バッシングを止めるのは難しいでしょう。仮に、本質に働きかけることがてきても(止めることは)難しいというのが現状かもしれません。少なくとも、今のままだと、何十年たっても「バッシングの度に消火活動を繰り返す」ということにしかならない、と思うんですよね。
ただ、難しくても、単純な「出火したら消火」ではなく、だんだんと本質に迫っていくことは可能だろう、と思っています。「出来れば、、ババアになって死ぬまでに、その傾向くらいは見えればなあ」と思いながら、モノを書いています(笑)。
稲葉:今日は本当に深い話までありがとうございました。
みわ:いえいえ、長くなりまして。
稲葉:是非また、色々な形で連携していければと思っております。
みわ:こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
稲葉:また取材して下さい(笑)
みわ:はい、ありがとうございました。
稲葉:ありがとうございました。

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