「同世代から同世代に伝えたら一番伝わりやすいから伝えよう」 対談:川口加奈さん(NPO法人Homedoor代表理事)
稲葉:本日はあわやハウスにお越しいただき、ありがとうございます。
川口:ありがとうございます。
稲葉:恒例の対談シリーズですけども、今日は大阪のNPO法人Homedoorの代表理事の川口加奈さんに来ていただいています。よろしくお願いします。
川口:よろしくお願いします。
稲葉:まず、「Homedoor」の活動から教えていただきたいのですけど、ま、ホームレス状態をそもそもなくしていこうというようなコンセプトで活動していらっしゃると聞いていますが、具体的にどういう活動を?
川口: ま、そうですね。と言うより、ホームレス状態になってしまったとしても、そこから脱出できる道、出口があったり、そもそもホームレスになりたくないと望んだらならずに済む社会を作っていきたいなぁっていう思いで2010年から活動を始めたのですけども、いまそのホームレス状態からの出口づくりと啓発という部分をやっていて、出口作りだと大きく5つに分けることができ、啓発だと4つやってます。
出口づくりの一つは「HUBchari」っていう、ホームレス・生活保護状態からの就労による出口のサポートとして、大阪市内に20個拠点があって、その拠点のどこでも自転車を借りても返してもいいというコミュニティサイクルをおっちゃん達が運営していくというもの。2つ目は、「HUBchari」だとちょっと接客もあるので、少し高度な仕事なので、その前段階の仕事で、「HUBgasa」っていう、傘のリサイクル販売をやっています。内職のように傘を修繕して、それを卸していくっていうことですね。
3つ目は、中間的就労研究所です。就労支援で携わったケース数が溜まってきたので、対外的に発信していこうというので、財団から助成を貰い、白書の刊行をやっています。4つ目は、就労の部分のみでなくて、生活の部分もサポートしていこうよっていうので、一、二週間に一度、講座を定期的に提供する「CHANGE」っていうのをやっています。5つ目は夜回り活動です。毎月1〜2回、梅田を3コースに分かれてまわっています。
で、啓発の方だと、2ヶ月にいっぺん、「釜Meets」という、釜ヶ崎の街歩きと炊き出しとワークショップをイベントとしてやっています。
稲葉:街歩きっていうのは、野宿のおじさん達が案内しているんですか?
川口:そうですね。経験者と事務局のメンバーでやってます。あと、街歩きだけに特化して、中学、高校、大学、企業から依頼を受けて実施するという「釜歩き」と、あとは講演やワークショップ(元ホームレスの人々と一緒にまわって)をやっているのと、あとは稲葉さんも理事である一般社団法人【ここで事務所に飾ってあった風船が割れて一同ビックリする】の「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」の事務局をやらせていただいております。
稲葉:仕事を自分たちで作っていくという指向性が強いなと思ってるんですけど、ホームレスの支援といった時に、私も2つの方向性が大切だと思っていて、一つは行政に対してきちんと生存権の保障を求めていくという方向と、それでいて自分たちで仕事と住まいを作っていこうという両方の2本柱だなと思っていて、ここの「つくろい東京ファンド」では、「住まい」を自分たちで作っていこうと、住宅提供していこうと考えているんですけど、一方で仕事を作るってすごく大変じゃないですか。
そこに踏み出して行こうっていうふうに考えたきっかけって何かあるんですけ?
川口:そうですね、もともと私自身14歳の時にホームレス問題に関わることになったんですけど、それまではごく普通の中学生でバスケ部でって感じだったんですけど…。
稲葉:14歳っていうと、今から何年前ですか?
川口:9年前?今、23歳なので9年前なんですけど、そうですね、釜ヶ崎が大阪にはあるんですけど、中学の時にそこを電車で通っていたんですね。で、ある時その駅をわざわざ避けるために地下鉄に乗って通学している友達の存在を知って、なんでそこまでしてあそこを避けなければいけないのかと。まぁ、そこがホームレスの方が多い地域だって、全く知らなかったんですけど、で、親や周りの人に「なんであそこに行ったらいけないの?」って聞いたんです。すると、「あなたも行ったらあかんよ」と言われ、ちょうど反抗期を迎えていたので、「行ったらいけない」と言われると余計に行きたくなって行ってみたたのがきっかけです。何だか隠されているっていう感じがあったので、その隠されてることは何だろう?っていう興味本位でネットで調べて炊き出しに参加したんですね。
で、参加した時に、その施設の方に、「あなたのように、孫くらいの年齢の子どもから、おっちゃん達にとっては命の綱であるおにぎりを受け取る気持ちを考えて渡しなさい」って言われて、ハッとしました。「そんなことも考えずに自分本位な気持ちで来てしまった。申し訳ない。」っていう気持ちがあって、じゃあどうしたらおにぎりをそんなにダメージなくって言ったらアレですけど、渡せるかなって考えた時、そもそもホームレスってどんな人なんだろうっていうところに気づいて、私正直思っていたのは、彼らはもっと勉強したら、もっと頑張ったらホームレスにならなかったんじゃないかって。で、おっちゃんに聞いてみたんです。「おっちゃん、もっと勉強したらホームレスならなかったんちゃうん?」って。
稲葉:ストレートに?
川口:そう、ストレートに。そしたらおっちゃんに、「バカ言え!」って言われたんです。「ワシの家には勉強机無かったぞ!」みたいな。で、そう言われた時にまたハッとした自分がいて。私はあたりまえのように小学1年生の時に勉強机とランドセルを買ってもらって、勉強できる環境がある中で、自分が頑張るか頑張らないかという選択ができた。おっちゃんの話を聞くと、そういう環境になかったり、機会に恵まれない人が多いことがわかり、これって自業自得っていう言葉だけじゃ片付けられないんじゃないかなってとこだったり、そのあと日雇いの話とか聞いた時に、やっぱり自分の生活を支えてくれている日雇いの人たちがホームレスになりやすかったりするっていうのは、日本の構造自体、間違ってるんじゃないの?ってところで関心が高まっていったんですね。
そんなある日、新聞を読んでいたら、自分と同世代の中高生がホームレスを襲撃したという記事を見かけました。その供述も、「ホームレスは社会のゴミだ、俺達はいいことをしたんだ」とか。これを読んだ時に、なんてひどいことをするんだって、私が出会ったおっちゃん達の中で、殺していいおっちゃんなんて一人もいなかったのにって思いました。でももう一方で、正直に思ったのは、自分もその中高生達と同じような考えをそもそも持っていたなってことで、じゃあ、その中高生と自分の違いは何かっていうと、グレているかグレてないかとか、いろいろあるんですけど、でも、一つは知る機会があったかなかったかっていうところで。じゃあ、せっかく自分には知る機会があったわけだから、知ったからには知ったなりの責任というか、今度は伝える側に回る責任があるんじゃないかと思った時に、同世代から同世代に伝えたら一番伝わりやすいから伝えようと考えました。
川口:中学生です。
稲葉:中2の間に、今、話されたようなことをずっと考えていたんですか、すごいですね。
川口:稲葉さんの本も高校生の時に読んでますから、今すごいっ!って。ジャニーズに会えたようなそんな感じで。ずっと勉強して、それを友達に伝えてってやってました。
稲葉:中学の時から友達を釜ヶ崎に連れて行ったり・・・
川口:そうです、そうです。ワークを開いたりとか。
稲葉:活動として始めてた?
川口:あんまり認識はなかったですけど、でもその、講演というか、最初は自分の学校の全校生徒の前で自分の思ってることを話させてもらったら、他の先生が聞きつけて、
稲葉:ぜ、全校生徒…。
川口:依頼が来るようになったりとか、実際に釜ヶ崎に行って欲しいと思って二泊三日でワークショップを企画したりとか、そんなことをやっていたんですけど、そろそろ高校も卒業するぞっていうときに、結局活動始める前と後で何も変わってないなっていうのを正直感じて。夜回りしてても、おっちゃんがせっかく心開いて、「路上脱出できんかな」ってポツンと呟いた時に、何も言えない自分がいて、役に立たない自分がいて。結局変わってなかったので、どうしたらいいのかなって思った時に、今まで自分がやっていた活動っていうのが、ホームレス状態を単に良くするような対処療法でしかない。そうでなくて、もっと根本的な解決を考えながら、やらないと意味がないんじゃないかなって思うようになって、じゃあ大学どこ行こうってなって、大阪市立大学はいっぱい先生いるからそこ行こうってなって、大学二年の時にようやくそういう思いに賛同してくれる友達に出会えて、ようやく団体を立ち上げたっていうのが19歳の時。で、今で4年目に、あ、5年目か!になりますね。
稲葉:じゃあ、活動歴って9年、10年くらいなんですね。すごいですね。
川口:いやいや。
稲葉:実際、どうですか?HUBchariという仕事を野宿のおじさんたちがやっていて、やっぱり変化っていうのはあるんでしょうか?
川口:そうですね。予想以上に変化してるっていったら何ですけど、変わられるので。私達が特に何かしているっていうんじゃなくって、仕事をしてもらうってだけで、すごく水を得た魚くらいに生き生きされる様子がありました。やっぱり最初、私達としては、専門的福祉の知識ってそんなにないし、おっちゃん達に関わってる年数だってそんなに多くないし、私にとってはお爺ちゃんくらいの年齢の人達を雇うわけなので、すごい抵抗あるんじゃないかっていろいろ心配してたんですけど、そんなのが気にならないくらいイキイキと働いて下さって、良かったなという思いと、あとはHUBchariをきっかけに次の仕事を見つけて、自立の道を、自分らしく生きる道を探していってくれるおっちゃん達が55%になっているので、確率的にも上がってきたなって言うところに良かったなって。
稲葉:具体的にはどういう仕事、作業というか・・・。
川口:そうですね。あのー、一番目に言っていたHUBchariだと、自転車の貸出しや返却の手続きの業務、自転車の清掃・修理、メンテナンスの業務がありますね。
稲葉:放置自転車を利用して?
川口:今は協賛でいただいたキレイな自転車を使っているんですけど、でも、お客さんに貸し出すもので利用者数も多いので、結構メンテナンスが必要となるので、毎日やってもらっていますね。
あとは、自転車対策のお仕事を行政からいただいてるので、それだと自転車をここに停めないでねーってアナウンスをしたり、ハンドルにつけるタグをつける仕事だったり清掃の仕事をやってもらったりしています。あと、やっぱりそういう仕事も難しいという方には、企業さんから内職作業を取ってきて、それを事務所でみんなでやったりとか、あとはそのおっちゃんが「こんな仕事就きたい」って言えば、そういう系の企業さんに交渉に行って、民間企業からお仕事をもらってくるっていうのをやっています。今だと水やりの仕事とか、昔だと調理の仕事とか、そういうのもありましたね。
稲葉:NPOもやいでも「こもれびコーヒー」と言って、元ホームレスの人たちが自家焙煎のコーヒーを焙煎し、販売するというささやかな仕事を作ってるんですけど、そこで働いている皆さんは収入的には大きなものではないんですけど、コーヒーを買って下さるお客さんとの交流が嬉しいっていう話があります。多分、HUBchariでも観光客の方とか街のHUBchariユーザーとの交流が楽しいのでしょうね。
川口:そうですね。それが大きいというおっちゃんもいますし、あとHUBchariだと、どうやったらお客さんが増えるかなってディスプレイを考えたりとか、チラシ配りをやってみようとか、おっちゃんが自発的にこういうのやってみようってあれこれやってみる中で自分の好きなポイントっていうのを見つけてもらいやすいところはあるかなぁっていうのはありますね。
稲葉:それと同時に啓発活動にも力を入れてらして…。
東京でも最近いくつかの支援団体で調査をして、野宿している人たちの約4割が襲撃をされた経験があるという非常にショッキングなデーターが出たんですけど、大阪でも一昨年ですか、梅田で襲撃されて亡くなった方が出たりという状況があったりしました。今も続いていますか?
川口:そうですね、襲撃の件数自体は、多分私がホームレス問題に関わり始めた当初に比べたら少なくなってきているなぁとは思うんですけど、ただそのニュースにならない部分、例えば、寝ていたら通りがかりの人が蹴っていった、空き缶を投げられた、オシッコをかけられたとか、そういうのは減らないなぁっていうのはすごく感じますね。
稲葉:実際、川口さんご自身もそういう襲撃を無くすためにいろんな学校に行って話をされたりとかされているんですか?
川口:そうですね。講演とかだと、80本くらいなんですけど、その中でHUBchariで働いてるおっちゃん達とも行って、そのおっちゃんが自分の襲撃された経験を語ってくれたりとか。
稲葉:中学校とかもあるんですか?
川口:そうですね。最近は特に教職員関係の研修が多くなっていますね。
稲葉:なるほど。最後に、今後の「Homedoor」としてのこれからの展開、もちろんそれは私達の課題でもあるんですけど、今後どうやってホームレスの人たちの状況、どうやって出口を作っていくかという課題についてどう考えてらっしゃいますか?
川口:出口の設計の部分では、住まいと仕事のリンクは非常に重要だなぁっていうのは今感じていて、特に最近路上からHUBchariだったり、自転車対策の仕事に来られる方いるんですけど、自分で稼いだお金の中でやりくりして部屋に住むんですけど、それだとどうしても「働く」ってことが金稼ぎにしかならないっていう部分で、やっぱり住まいっていうのがあってから働く中で働くのが生き甲斐っていうふうに感じてもらってやってもらう方が長続きして、次のステップっていうのを考えていただけるなぁと思います。なので、そういうリンクをさせていきたいというのは非常にありますね。なので、是非「つくろい大阪ファンド」を…(笑)
稲葉:大阪では作れないですけど(苦笑)。今まだ「つくろい東京ファンド」でシェルターを作ったばかりなんですけど、ここでの経験を是非活かしていただければと。なんでもお伝えしますので、いろいろと連携していこうと思っていますんで、どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。
川口:ありがとうございました。
2014年9月14日