ビッグイシュー販売者の路上脱出を応援したい!対談:瀬名波雅子さん(ビッグイシュー基金)×稲葉剛

対談・インタビュー


稲葉:今日はお越しいただき、ありがとうございます。ビッグイシュー基金の瀬名波雅子さんとの対談を始めたいと思います。実は本日対談するこの場所はですね、今朝からみんなで大掃除をやっていたのですけども、私が新しく立ち上げた新団体「つくろい東京ファンド」で開設するシェルターの一部屋になっております。
瀬名波:ねぇ、なんかすごいいいお部屋! 住む方も喜ばれるんじゃないですか?すごいキレイ。
稲葉:みんなできれいにしたんです。
瀬名波:私、初めてお邪魔したので、ちょっとあとで撮影させてください。
稲葉:まず最初に、瀬名波さんがビッグイシューに関わるきっかけとか、動機を伺えればと思います。
瀬名波:そうですね、2006年に大学を卒業し、一般企業に就職したのですが、その頃から一般企業かNPOに就職するかですごく悩んで、結局一回は企業に入ろうと思い、新卒で企業に入りました。 会社の仕事はすごく楽しかったんですけど、やっぱり何か自分の思いに近い仕事をしたいなと思っていた頃、ちょうど2011年3月に東日本大震災が起きて、私はその時ビルの12階にいたのですが、大きな揺れに驚いて「死ぬかも」と思いました。その時にすごく後悔したのが、自分がやりたいなと思った仕事を選ばなかったことだったんですね。いつまで人生が続くか分からないって考えたときに、ずっと興味のあったビッグイシューのような仕事をしたいと。 もともと海外の貧困に興味があったので・・・
稲葉:学生時代から海外の貧困に興味が?
瀬名波:そうですね、結構バックパックで一人旅とか・・・。 留学や国際協力のNGOとかで海外に行くことが多く、学生時代は正直日本の貧困問題にはあまり目を向けていなかったんですけど、会社に入って、湯浅さんの「反貧困」を読んだことや、あとは身近な友達がふとしたきっかけで困難な状況に陥っていくのを見ていて私も考え方が変わっていきました。日本の貧困問題に関心をもつようになり、2011年、ちょうど求人があったビッグイシューの門を叩いたということになります。この八月で丸三年になります。senaha
稲葉:ビッグイシューには有限会社ビッグイシュー日本と認定NPO法人ビッグイシュー基金の二つがあるのですが、この動画をご覧になっている方にはよく分からない方もいらっしゃるかもしれないので、ちょっとビッグイシューの仕組みについて説明していただけますか?
瀬名波:はい。 ビッグイシューというと、ご存じの方はおそらく「雑誌販売」の仕事と認識される方が多いと思います。大きな駅などで目にされた方もいらっしゃると思います。
まず、「有限会社ビッグイシュー日本」と、「NPO法人ビッグイシュー基金」のざっくりした仕事の違いは、雑誌を制作することと、ホームレスの方たちに雑誌を販売するためのサポートをするというのが有限会社ビッグイシュー日本の仕事になります。なので、多くの方が認識されているのは、有限会社ビッグイシュー日本が行っている事業なんです。NPO法人ビッグイシュー基金の方は、ホームレスの方たちの生活、仕事など自立に向けた相談ですとか、あとは「路上脱出ガイド」という小さな冊子をもやいさん達と協力して作ったり、「若者ホームレス白書」を作ったりということをしています。
有限会社ビッグイシュー日本は雑誌を制作しているんですが、今年の4月からそれまで300円だった雑誌を350円に値上げしました。販売できる方の条件をは、ホームレス状態にある方のみに限定している雑誌です。一番はじめに販売希望の方がいらっしゃったときに、10冊雑誌を無料で差し上げて、その売上げ(3500円)を元手に次に販売する雑誌を一冊170円で仕入れてもらう。なので、雑誌1冊の定価350円の雑誌と仕入れ額170円との差額である180円がホームレスの方の収入になるという仕組みです。
NPO法人ビッグイシュー基金の方は、ホームレスの方々の、仕事を探したい、家を探したいなどという要望があったときのサポートの他に、リーマンショック前後で急増した若者ホームレス問題に取り組んでいて、「若者ホームレス白書」や「社会的不利・困難を抱える若者応援プログラム集」を発行していたり、いろんな分野の団体の方たちとつながりながら、サポート体制を探っていっています。また、住宅政策や若者政策の提案なども行っています。すごく簡単な説明なんですけど。
稲葉:あと、文化・スポーツ活動も。
瀬名波:そうです。 文化・スポーツ活動もビッグイシュー基金の活動の一つです。毎年どこかの国で行われているホームレスワールドカップですとか、最近公演も増えてきたダンス・ソケリッサですとか、英会話クラブが始まったり…。大阪の方では野球が盛り上がっていたり、販売者さんが町を案内する「歩こう会」とか…。販売者さんが主体的に楽しめる活動を応援しています。その「楽しめること」が生活を立て直すときにふんばれる力になると考えているので、販売者の方を中心とした文化・スポーツ活動の場を大事にしています。
稲葉:ビッグイシューの販売が始まったのは2003年?
瀬名波:そうですね、有限会社ができたのは2003年ですね。
稲葉:最初、大阪で始まって、その後東京でも始められたんですよね。私、よく覚えていまして。私自身は1994年から新宿を中心にホームレスの人たちの支援活動をしてきて、いろんなところでホームレス問題について講演をしていたんですけど、時々講演の参加者から、海外ではホームレスの仕事を作るストリートペーパーってありますが、そういうのが日本にもできないんですか?という質問を90年代から何回か受けていたんです。私は「いや、それは結構難しいんじゃないですか?」って答えていたんです。というのも、以前はホームレスの人たちに対する偏見が非常に強く、ストリートペーパーを売るってことは、人前で自分がホームレスであることをさらけ出すということで、なかなかそういう一歩踏み出すような勇気は日本の社会だと持ちにくいのではないかと。 自分がホームレスであると知られてしまうことになりますので・・・。あと、日本で販売したときに、どれだけの人が買ってくれるんだろうと。非常に有意義な取り組みだとは思うけれども、日本でビッグイシューのような事業を始めるのは難しいのではないのでしょうか?という話をしていたんですよ。それが、佐野章二さんが大阪で始められて、その後東京でも始められた。「え、やるんだ!」とすごくびっくりしたのを覚えています。inaba201407102
瀬名波:91年にイギリスのロンドンでビッグイシューが生まれて、世界各地でストリートペーパーの前例はすでにあったんですね。ですが、日本で始めると言った時、主に4つのむずかしさが指摘されたそうです。まず、日本は道でものを売るという文化がなかったこと、次に、若者の活字離れがすでに進んでいたこと、そしてネットで情報が無料で手に入る時代になったこと、最後に、ホームレスの人たちから物を買う人たちがいるのだろうか?という疑問。なかなか難しいものはあったと聞いているんですけれども、いろんな創意工夫とエネルギーで起業して今に至ると。昨年、ちょうど会社の方は10周年を迎えました。
稲葉:東京で販売が始まったときには、私も当初かかわっていた新宿の炊き出しの場に販売者の勧誘に行ったことが・・・(笑) あとは、販売が始まってからは講演会などでもいつもご紹介させていただいています。ビッグイシューが定着するかどうかが日本におけるホームレス問題の一つのリトマス試験紙になるんじゃないかみたいな話をよくさせてもらっていました。まぁ、でもそれが定着して10年以上続いているというのはすごいことだなと。
瀬名波:ありがとうございます。経営的にはなかなか厳しいところがあるんですけどね。
稲葉:それで、実際に売ってらっしゃる販売者さんの生活の状況、収入の状況というのはどれくらいになるんでしょうか?
瀬名波:今、ビッグイシューは1日と15日の月2度、雑誌を出しているんですけど、平均して一人大体一号につき200冊くらいの売上げですね。収入でいうと、月に6万後半から7万前後の収入ですね。大阪などはドヤの数も多く、値段もとても安いのですが、東京の場合はネットカフェでも一泊1500円とかしますので、今回の稲葉さんのシェルターのようなところがあったら本当にいいのにという希望がありました。平均7万円っていう金額は、どういうふうに見るかだとは思うのですが、もう少し販売をがんばって、安価な住まいが確保できれば何とか自分で生活できていけなくもない金額です。住まいが安定すれば、安定した販売につながる面もあると思うのですが、東京の住まいの問題はとても深刻ですね。
稲葉:私も「もやい」でいろんな人の保証人や緊急連絡先になっていて、何人かビッグイシューの販売者のサポートもしてきたんですが、販売者さんの中には10万円以上の収入がある方もいらっしゃるじゃないですか?だから、2万とか3万の安いアパートだったら払えるという人はいらっしゃるんですが、どうしても初期費用・・・敷金、礼金、不動産手数料等が払えないというのが大きなハードルになっているんじゃないかなと感じます。
瀬名波:そうですね。あと、現住所がないということで、身分証明書が持ちづらいんですね。家に入るにしても、現住所がないことがハードルになる方も結構いらっしゃいますね。
稲葉:このたび、クラウドファンディングでお金を集めている(住まいのない人が安心して暮らせる個室シェルターを作りたい! – クラウドファンディング MotionGallery/モーションギャラリー)このシェルターは、「あわやハウス」と名付けたんですが、8部屋の個室を作って、うち2部屋につきましてはビッグイシューの方専用にしようと思っています。実は、今いるこの部屋がそうなんですが。(笑)ビッグイシューの販売者さんであれば、月3万円くらいなら家賃として払えるのではないかと。で、いったんそこに入っていただいて、お金を貯めるなり、あるいはいったん住民票をここに置けば仕事も得やすいのではないかと思うんですね。そしてゆくゆくはアパートに入れるように支援していければと思っているのですが、手前味噌なんですけど、どうでしょうかね?futari
瀬名波:ビッグイシューの販売者にお部屋を貸していただけると伺った時に、ビッグイシュースタッフの間でも、「ならば、どうやってその部屋を利用しようか?」という話になったんですよね。私たちが目指すところは、ビッグイシューの仕事や基金の活動を通して、自分でチャンスを掴んで、チャンスを活かして生きていく基盤を整えるということでやっていますので、販売者の中でもアパートの入居を現実的に考えている人に入っていただきたいなと思っているんですね。先ほどもお話ししたように、路上生活からそのままアパートに入るのはむずかしく、すごく販売を頑張っていても、初期費用が貯まらない、現住所がなく大家さんに断られてしまう、あとは保証人が立てられないなどで、アパート入居のハードルがとても高いです。なので、あわやハウスはアパートに入る前のステップハウスとして準備をするために使っていただきたいなと。ここに入っている間に現住所を設定したり、初期費用を貯めたりして、あとは実際に暮らしてみることによってシュミレーションができるというか、自炊してみたりとか、いろんな生活面での準備もできるかなと思っているので、私たちもすごく楽しみにしているところがあります。屋根のある、自分の部屋と呼べるところに住む安心感が、ビッグイシューの販売やその後の就職活動をがんばれる基盤になるといいなと思っています。
稲葉:ありがとうございます。これまでも「もやい」でいろいろなプロジェクトをご一緒してきましたが、今後はこのシェルターも活用しながらホームレスの方々のサポートをしていきたいと思っています。本日はどうもありがとうございました。
瀬名波:ありがとうございました。

クラウドファンディングの目標額を達成しました!引き続き、ご協力を!

日々のできごと

6月10日から実施している個室シェルタープロジェクトのクラウドファンディングですが、昨夜、目標額(80万円)を達成することができました!

住まいのない人が安心して暮らせる個室シェルターを作りたい! – クラウドファンディング MotionGallery(モーションギャラリー) 

ちょうど1か月間で85人の方がコレクターになってくださいました。また、たくさんの方がSNSなどで情報の拡散に協力をしてくださいました。本当にありがとうございます。

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おかげさまで、セーフティネットのほころびを市民の力で修繕していく試みの第一歩を踏み出すことができます。

つくろい猫のぬいちゃんもパワーアップして、ほころびを縫う作業に励んでくれることでしょう。

個室シェルター(8部屋)は「あわやハウス」と命名されました。現在、開設準備を急ピッチで進めており、来週中には正式にオープンする予定です。

ただ物件の構造上、エアコンの設置にかなり費用がかかることが判明するなど、当初の予定より資金が必要になってきています。

引き続き、クラウドファンディングにご協力いただけるとありがたいです。

また、クレジットカードをお持ちでない方のために振り込み用の銀行口座も作っています。こちらもご活用ください。

みずほ銀行 飯田橋支店(061)
普通 2634440 「つくろい東京ファンド」
銀行にお振り込みをされた方は、「お問い合わせフォーム」でご連絡ください。

重ね重ねのお願いですみませんが、よろしくお願いいたします。

※シェルター事業の概要とシェルターの運営団体である一般社団法人つくろい東京ファンドについては、こちらのページをご覧ください。

 

 

生活保護の住宅扶助基準引き下げの動きに反対する記者会見を行いました

提言・オピニオン

本日(2014年7月9日13時~)、厚生労働記者会において、生活保護の住宅扶助基準引き下げの動きに反対する記者会見が行われました。kaiken

●プレス向け告知・主な発言者一覧はこちら
●共同声明(全文)はこちら

会見の冒頭「生活保護の住宅保護基準引き下げの動きに反対する共同声明」の趣旨説明をした稲葉剛の発言と、身体障がいをもつ生活保護利用当事者として登壇された川西浩之さんの発言を以下に書き起こします。

稲葉剛


hatugen01よろしくお願いします。
「住まいの貧困に取り組むネットワーク」の世話人で、「生活保護問題全国対策会議」の幹事も務めております稲葉と申します。
私からは生活保護の住宅保護基準引き下げの動きに反対する共同声明の内容についてご説明させていただきます。
お手元に共同声明の文章があるかと思いますが、それと基準額の一覧表がついた資料がありますので、あわせてご覧ください。

ご存知のように厚生労働省の社会保障審議会、生活保護基準部会で現在生活保護基準をめぐる議論が急ピッチで進められております。
基準部会では昨年一月に、まず生活扶助の基準について引き下げを容認する報告をまとめ、それに基づいて昨年8月から生活保護基準の段階的な引き下げが始まっております。
今年の4月にまた、第二段の引き下げが行われておりますが、その後基準部会では、今度家賃分にあたる住宅扶助に関する議論が進められております。

今年の5月16日には第17回の部会、30日には第18回の部会、一ヶ月の間に二度も部会が開催されるという状況になっていて、今後スケジュールと致しましては、7月以降調査を進めて、11月にはとりまとめを行うというような流れになっております。
7月以降には生活保護を受けている世帯の居住実態に関する調査を行うということで、細部について部会の中で作業部会を作って細部を詰めた上で実施して、その報告を受けて11月には取りまとめを行い、おそらく来年度から住宅保護基準の引き下げという動きになっていくのではないか、と推測しています。

こうした動きに対して反対するための共同声明を本日発表したわけですけれども、さまざまな問題点があるといえます。
まず、最初から、これは生活保護基準の時も同様のことがあったんですが、厚労省の方で最初から引き下げありきという形で議論を誘導しているのではないか、ということです。
たとえば第17回の部会の中では、財務省の財政制度等審議会の資料がそのまま出されているのですけれども、そこに「住宅保護基準の水準」ということで、生活保護基準の基準額と一般低所得世帯の家賃実態の棒グラフの比較がありまして、住宅保護基準が4.6万円、一般低所得者世帯の家賃実態が3.8万円ということで、わざわざグラフのところに「住宅保護基準の方が2割程度高い」というような指摘がなされています。

ただ、これを細かく見てみますと、住宅保護基準の方は、これは地域ごとに住宅保護の基準が定められてまして、これは上限額なわけですね。
あとで述べますように、特に大都市部においては住宅保護基準の上限額に家賃が擦り寄ってしまうという傾向はあるのですが、それでも実際は全ての生活保護世帯の方のアパートの家賃が全て上限額ということはありえないわけです。上限以下の方もたくさんいるわけです。
にもかかわらず、上限額と、一般低所得者世帯の家賃の平均額を比較するというのはミスリーディングではないかということが、実際部会の委員からも指摘が出ています。
これはあきらかに引き下げありきの方向に議論を誘導するものではないか。
おそらく財務省側からのいろんな圧力等もあるんじゃないかと予測していますけれども。

2つ目の問題点として、第18回の部会の中では住宅扶助に関する主な論点というものがまとめられています。
その中で最低居住面積水準に関する考え方というものも、いくつか出ています。
部会の資料の中において、質問の形で、住宅保護特別基準額の妥当性を検証するにあたって、健康で文化的な最低限度の住生活を営むことができる住宅かどうかを見るための基準・尺度は、住生活基本法に定められている最低居住面積でよいか、という、わざわざ質問にしてあって、その下に米印として、全国の民間借家で約三分の一の世帯でこの水準が未達成な状況にあると書いています。
さらに資料では、最低居住面積以下の世帯はどれくらいいるか、というデータが出ておりまして、全国の民間借家で約三分の一、東京の民間借家で四割を超えていると、わざわざこういう資料を出しているということでして。
これはあきらかに一般低所得者の世帯で、最低居住面積を割っているところが多い、だから、そうした基準というのは考慮しなくてもいいんだ、という方向に議論を誘導しているのではないかな、と考えております。

そもそも最低居住面積水準というのは、国土交通省のほうで定めている水準になります。
住宅政策に関しては、これは縦割りの問題があるんですけど、厚生労働省じゃなくて国土交通省の管轄ということになって、2006年以降、年によってこの基準は変わっていきますが、2006年度以上の基準についてはですね、単身で25平米以上というような基準が作られています。
2011年に閣議決定された住生活基本計画の全国契約の中でもですね、この最低基準面積水準の住宅については、早期に解消するようにということが指標として定められていると。
このように国土交通省で策定をして、国・政府として閣議決定をした指標を、こともあろうに厚生労働省が有名基準化してもいいんだ、そういう基準というのは無視してもいいんだ、といわんばかりの方向に議論を誘導している、というは、非常に由々しき事態ではないかと、考えています。

この最低居住面積水準というのは、今回は生活保護に関して議論が進んでおりますが、たとえば公営住宅であるとか、たとえば行政が民間の改修費の補助を出す際のさまざまな基準としても活用されているということで、こうした基準を有名無実化する、ないがしろにするということは、生活保護世帯だけではなくて、社会全体の住まいの貧困化、住まいの貧困の悪化、ということを招くのではないか、と考えております。

三点目の問題点と致しまして、今後、前回の第18回部会で話されてましたが、委員の一部によって作業部会を設置すると。そして生活保護世帯の居住実態に関する調査を行うとなっているわけですけれども、その作業部会は、この場合委員長が指名するということをいってましたけれども、その議論というのは非公開になっているということですので、検証がなかなか出来ない、出てきた時には結果が出てしまって、その後の流れが決まっていく、ということになっていくのではないかな、と思っております。これも問題であろうと思っております。

おそらく、この作業部会が行われて、そして生活保護世帯の居住実態の調査が行われると。
これは各地域で福祉事務所のケースワーカーが生活保護世帯を家庭訪問して、それで居住の状況、住環境を調査すると。そして、その中にはたとえばそのアパートの家賃や居住環境というものが、その地域の一般の低所得者世帯と比較してどうなのか、ということも含めて調査する、と。
部会の中では、それを本当にケースワーカーが調査する力があるのか、ということにも疑問の声が上がってましたが。そういう風な調査をするというような内容になっています。

一般低所得者世帯の住宅と比べた時にですね、おそらく生活保護世帯の方が同じ居住環境にあったとしても、割高の住宅に暮らしているというような結果が出るのは、ほぼそうなるであろうという風に予測しています。
というのも、生活保護世帯が暮らしている民間の賃貸住宅が従来の家賃水準よりも高めになってですね、それぞれの地域の住宅扶助の基準の上限額に近づいていくということが、さまざまな関係者から指摘されています。
私自身もずっと、NPOのもやいで生活保護世帯の方々のですね、アパートの保証人提供を行ってきたので、東京における生活保護世帯の方々の居住実態は知っているんでけれども、単身の高齢者の方とかですね、障がい者の方、一人親家庭の方、あるいは外国籍の方、こうした方々が生活保護世帯に多いのですが、そうした方たちに対する居住差別・入居差別というのが、かなり根強くあります。
そのために、借りる側からとするとオーナーさんや不動産業者から本来4万円とか、4万5千円で取引きしている・されている物件を紹介されても、でもオーナーや不動産業者からは、たとえば東京の場合上限額が5万3700円ですから、「ここは5万3700円なら貸しますよ」と言われてしまうとですね、入居者の側は交渉力がありませんので、他に不動産業者をまわっても断られてしまうという状況の中で、結局その家賃額を飲まざるをえないと、いうような状況があります。

さらに、社会的孤立の問題もあってですね、人間関係が切れてしまっている、親族・身内に保証人が頼めないという場合はさらに条件は不利になってきますので、そういう入居差別の問題ですね、民間の賃貸住宅における入居差別が結果的に生活保護世帯の家賃を割高にさせているという状況があります。
数字だけ見ると一般低所得者世帯より高いところに住んでいるじゃないか、という議論になりがちですが、その背景にはそのような問題があることを知っていただければと思います。

しかも、現在における住宅扶助の基準は十分であると思っておりません。
たとえば東京の場合は5万3700円、障害があったり複数世帯だったりすると6万9800円というようになっておりますが、地域によってはこれでも適切な住宅を確保するのが困難な地域があります。
昨年、住まいの貧困に取り組むネットワークでは、脱法ハウスの問題に取り組んでおりましたけれども、たとえば東京都の千代田区では、特別基準が6万9800円を出しても、賃貸住宅が借りられない、という状況があります。
そのために、なかなかドヤで生活保護を受けている、旅館で生活保護を受けている方が、アパートに移れない、アパートが見つからないんです、ということを福祉事務所の職員に相談したところ、「だったらこういうところがあるよ」といわれて、マンボーという会社が経営する脱法ハウス、違法貸しルームですね、そこを紹介されるという事案も起こっております。
今年度から厚労省はこうした違法貸しルームのようなところに生活保護世帯が暮らしている場合は適切な場所に移れるように支援しなさい、というような通知を出しておりますけれども、現在ですら、そういうような実態があります。

あと、後ほど、車椅子で生活されている生活保護世帯の方にも発言して頂きますけれども、特に車椅子で、室内でも生活をしている方がですね、その車椅子で使えるような居室を探すというのは非常に困難を極めておりまして、東京都内で6万9800円を出してもなかなか見つからない、そうするともともと7万5000円とかですね、8万円近い物件をやむなくですね、たとえば家賃は6万9800円、管理費・共益費が5000円・6000円というような形で、結果的に生活費の中から、生活扶助費の中から家賃分を出さざるを得ない、そのために場合によっては食費とかですね、生活費に使うお金を削って、実質的に家賃にあてている、というような状況も生まれておりますので、必ずしも十分ではない、といえるかと思います。

あと、非常に奇妙なのはですね、基準額の一覧表を見ていただければわかるかと思いますが、一番右のところですね、基準額1.3倍額、そして7人世帯基準というのがありますけれども、2人世帯から6人世帯までの基準がまったく同じだ、ということになっております。
東京では6万9800円、大阪では5万5000円、ということでして、特に子供の多い世帯ですね、お子さんが3人とか4人とかいらっしゃる世帯だと、東京で6万9800円だとワンルームしか借りられませんので、全く実態にあってない、というような問題もあって、現状でも住宅扶助基準は、決して高いとはいえないという状況があると考えています。

そうした住宅扶助をめぐる現状をなんですけれども、根本的には背景に、日本の住宅政策の失敗という問題があると私たちは考えております。
この間、どこの地域でも公営住宅を増やさない、東京でも増やさない、という政策が行われてきましたし、一方で低所得者の方々が公営住宅に入れないものですから、民間の賃貸住宅市場で部屋を探さざるを得ないんですけれども、その民間の住宅市場というのは、野放し状態になっている。
先ほど申し上げた、入居差別の問題も放置されているというような状況があります。
また、保証人の問題であるとか、貧困ビジネスに関する問題でも規制が進んでいないというような状況があって、そうした結果、さまざまな今言われているような住宅扶助をめぐる問題というようなことが起こっているんだろうと思っております。

そうした状況にきちんとメスを入れればまた話は別なんですけれども、こうした民間の賃貸住宅市場を放置したまま、住宅扶助基準の金額だけを切り下げると、そうすると結果どうなるかというと、ますます生活保護世帯の方が劣悪な住居に追いやられてしまうと、質の低下をまねくということで、これは健康で文化的な最低限度の生活を保障するという、生活保護の理念に真っ向から反しているといわざるをえない、と考えております。

最後に、私たちとしては、今回216団体の賛同も頂きましたが、この生活保護基準部会が作業部会も含めて、きちんと透明な形でオープンに議論することを求めていきたいと考えていますし、11月までに検討結果を取りまとめるというのは、あまりに拙速すぎると、こういうスケジュールは撤回すべきだと考えております。
そして、生活保護を実際に利用されている方、居住支援を行っているNPOの関係者、住宅問題に詳しい研究者・法律家などから意見を徴集し、議論を進めていくべきだと考えます。

そしてそもそも、根本に住宅政策の失敗という問題があります。
この間、脱法ハウスの問題、ネットカフェ難民の問題、と折に触れて住宅政策の問題というが社会に出てきていますけれども、本来は厚労省と国土交通省が縦割りではなくて、一緒になって、たとえば「住宅政策総合本部」というようなものを作って、健康で文化的な最低限度の住生活というものをどう保障すればよいのか、という観点のもと、住宅政策を転換すべきではないかと、住まいの貧困にきちんとメスを入れていくべきではないかと考えております。
そうした議論と平行して、この生活保護の住宅基準の問題も考えていくべきではないかというように考えております。

 

川西浩之さん(身体障がいをもつ生活保護利用当事者)


hatugen02私は東京世田谷に住んでいる車椅子の者です。
私は一日11時間弱ぐらいの、ヘルパーさんの援助を受けながらの生活をしています。そしてヘルパーさんには食事を作って貰ったり、着替えとかを手伝ってもらったりする生活をしております。
室内でも手動の車椅子を利用して、生活をしております。もうかれこれ、世田谷区内で生活をして14年目くらいになります。

ひとり暮らしを始める時に、不動産屋さんをまわってみた時のことを思い返しますと、車椅子を利用してすごせる住宅はありません、あなたはトイレとかお風呂周りに手すりをつけたいということですけれども、手すりをつけると壁に傷をつけるので、修繕と修復にトラブルが発生しますので、うちを貸したくありません、という不動産屋さんがほとんどでありました。
そんな中、10件か15件くらいヘルパーや支援してくれる仲間たちと探しましたが、全くそんなおうちはありませんでした。
公営住宅も少なく、非常に(住宅扶助基準の)引き下げに困っております。

なぜ私たちが車椅子ですごさなくてはならないかという、基本的な意味が、皆さんわかっておられないように思います。
車椅子は、私は脳性まひではあるんですけれども、車椅子がないとお腹の力が弱くて体が支えられていないからこそ、車椅子で生活しているのであります。
車椅子ですごしてはいけない家があるなんてことが、とても信じられません。アメリカ等の外国では、車椅子で室内をすごすこと、事務所内ですごすことが当たり前の生活になっています。
そういった僕たちの障がいの状況をちゃんと理解してもらった上で、生活を見ていただけたらと思います。

私は8万を超える住宅に住んでおります。
やはりワンルームとかですと食事する部屋と書類を書く部屋が一緒で、僕らの仲間にはワンルームなんかですと、車椅子で中に入るのが精一杯で、身動きが取れないおうちに住んでいるというものが大勢います。
住宅改造の問題で、室内で寝たきりでリフトとかベッドまわりでも必要という仲間は数多くいます。

そういった人たちが家賃基準が下げられてしまうと引っ越さなくてはいけなくなり、とてもどこへいっても嫌な目で、後ろめたい目で苦労する姿が目に浮かびます。そして、なにせ不動産屋さんは僕らが話をしても、あまり話を聞いてくれません。
ほとんど、僕の場合は、ヘルパーさんへ「こういううちに住みたいから」ということで、話をしてもらいました。
そしてその中で、やっと住宅を見つけてきました。
不動産屋さんにも話しました。僕たちは10軒・20軒まわっても住む家がありませんと。お風呂釜を代えたいということでしたが、手すりの位置とかもあるので、微妙に違うと入りにくくなってしまいますから、ということで、このままで住居も変えず生活しています。

もう少し実態に即した、私たちの本当に生の声を聞いた上でいろいろと見直しをして頂きたいと思います。
よろしくお願いします。

もやい理事長交代記念 対談×大西連(後編)

対談・インタビュー

※前編はこちらから
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稲葉剛の「いままで」

●大西
逆に稲葉さんに聞きたいんですが、任意団体時代も含めて13年間、理事長を担ってこられましたね。こんなに長い間やると思っていました?
●稲葉
いつも目の前のことに手いっぱいで、良くも悪くもあんまり先のことを考えてこなかったんだよね。
●大西
おおー。最初に、これは「イケる」と思って(もやいを)立ち上げたんですか?
●稲葉
うーん。最初は任意団体としてもやいを設立して、個人で保証人を受けていた時代が5年間、あったんだよね。
●大西
保証人を引き受けるとかぶっ飛んだ活動ですよね。
●稲葉
特に設立2年目の2002年は、年間で二百数十件の保証人を受けてました。
当時のもやいは生活相談はあまりやってなくて、ほとんどが今でいう入居支援、連帯保証人の提供ということで、朝から晩までハンコを押しているという時期があったんですね。
で、それがどんどん増えていくので、このまま個人で保証人を引き受け続けていても大丈夫なんだろうか?、みたいな不安はありましたね。
●大西
もともと設立した時は「自立支援センター」が出来た頃ですよね。
●稲葉
東京では最初の路上生活者自立支援センターである台東寮と新宿寮が2000年に出来て、そこに炊き出しなどの活動を一緒にしていた野宿の当事者の方たちが入寮していったんです。
そして、入寮した人たちの相談を受けていく中で、アパートの保証人問題があるとわかった。家族や友人との人間関係が切れているために保証人が見つけられず、そのことがハードルになってアパートに移れないと。それを自分たちで何とかしようということで始めたんです。
●大西
勝算はあったんですか?
●稲葉
湯浅が最初に「300万集まれば何とかなるだろう」という大雑把な計算をしていましたね。
幸い出来たばかりの頃、朝日新聞の「天声人語」欄で活動を取り上げてくださったので、全国から支援金が集まったんです。初期の頃は「もやい債」といって市民債権という形をとっていたのですが。
そのおかげで何とかスタート出来たと。
●大西
結局13年間ですか。この間、「ネットカフェ難民」とか「派遣村」とか、いろいろありましたけど。
●稲葉
まぁ、長いよね(笑)
●大西
日本の貧困問題が可視化されてきた歴史を、もやいも歩み続けていると考えてもいいんじゃないですか。
●稲葉
はいはい。
●大西
具体的には、それこそ2006年「貧困はなかった」と言われていた時代から、貧困問題が国家レベルで解決すべき課題だと認識されてきた流れの中で、もやいが担ってきた役割というのは大きかったと思うんですけど。
実際、もやい内部にいる人間としては、その時々でどういうビジョン、どういう狙いをもって、自分たちがやっていることの社会に与えるインパクトを考えてきたのか。仕掛けがあったのか、あるいは偶然だったのか、その辺なんかが気になります。
●稲葉
うーん。仕掛けは主に湯浅くんの担当だったので、私はとにかく現場でずっと相談に来る人に対応してきたんですけど(笑)
意識してきたのは、困っている人はどんな方でも相談にのるというスタンスを変えないということ。入り口で選別をしない、ということを念頭に入れていました。
たとえば、初期の頃、相談に来ていたのは50代・60代で日雇い労働をずっとしてきた路上生活者が中心だったんだけども、時代を経るに従って、ネットカフェ難民問題・派遣切り問題で若い人たちがどんどん相談に来るようになり、その後女性ももっと気軽に相談に来られる場にしなくてはいけないんじゃないか、というような提起がもやい内部であって、そのための対応をしてきた結果、今では女性の相談も増えてきています。
こんな風に、私はどちらかというと受け身なんですが、自分たちのスタンスを変えないで継続してきた結果、徐々に間口を広げてきたのではないかと思います。con0701_005

なぜこの「タイミング」か?

●大西
なるほど。今日の本題の一つかもしれませんが、どうして理事長をやめようと思ったんですか?
●稲葉
もともと、一人の人がずっと長くやるのはそもそもよくないと思ってたんですね。
2011年ぐらいの時に、任意団体時代から数えると10年経つので、そろそろ交代かな、と思っていたんですが、東日本大震災があって、それの対応に追われてしまったと。で、その後、2012年から生活保護バッシングが始まって、昨年は生活保護法の改悪とか引き下げとかでてんやわんやになってしまった。
●大西
お互いよくがんばりましたね(笑) もうたくさん文章書きましたもん(笑)
●稲葉
そんな経緯だったので、なかなか体制の見直しというところに着手出来なかったということがあって、今年になってようやくその辺の議論が出来てきたかな、と思ってます。
●大西
対外的にはそうだけど、対内的にはどうでした?
それこそ「外」は逆風ですよね。貧困問題・貧困業界っていいのかわからないけど、生活困窮者をとりまく社会環境はどんどん厳しくなっていっている。
だから外に出て当事者と一緒に発信をしたりとか、支援団体を束ねて何かアクションを起こしたりとかをやらざるをえなかったというか、担わざるをえなかった部分があって。
そんな「外」を受けて「内」では、組織変革の必要性とか、もやいの在り方を変えよう、とかあんまり起きなかったんですかね?
●稲葉
うーん。いろいろ議論はしたんですけどね。『貧困待ったなし』(自立生活サポートセンター・もやい編、岩波書店)の中でも書いたけれども、2009~2010年頃、体制自体を変えようと議論をしたんですが、最終的には今のままの方がいいという意見も強くて、よくも悪くも変わりませんでした。
●大西
何でこのタイミングで変えるんですか? それを。
●稲葉
まず人が変わって、形も変わればいいんじゃないかと。同じような人がやっていくと同じような形になってしまうので。
●大西
僕は参加した経緯が稲葉さんに誘われたからという非常に受動的なものでした。
もやいの活動はもちろん重要だし、その中で自分の役割というものをもちろん担う必要もあった。また、対外的にももやいが中核となって発信していく必要があると思っていたので、やれることはやろうと思い、実際にコミットしてきました。
でも、どちらかというと、組織全体の方向性とか運営に積極的に関わろうとは、実はあまり思ってなかったんですね。やっぱり、途中から参加したというイメージがすごくあったんです。
少し受け身でいた部分、もやいの中でこういう役割をやっていればいいや、という部分があったんです。もやい以外にもいろんな団体に関わっていたし。
●稲葉
うん。
●大西
けれど、近年の急速な動き。生活保護バッシングに生活保護法改悪、基準の切り下げ、それから生活困窮者自立支援法の成立。
そんな中で議員にロビイングしたりとか、こういう質問を書いてほしいとお願いしたりとか、具体的に社会システムに対してのアクションというのを担う機会があって、また、多くの人に問題を知ってもらうために文章を書いたりする機会もたくさんあって、ま、そうもいってられないな、と、思ったんです。
このままだと生活困窮者支援という現場自体が瓦解しかねない、融解しかねない。これはちゃんと責任をもってコミットしなければと感じたんです。
あと「もやい」という役割をきちんと再定義したい、担っていくべき役割は何か、また貧困問題に取り組む団体が、どういうことをやっていったらいいのか、ということを考えなければいけない時期に来ているなと。
なんか偉そうに聞こえるかもしれないですけれども。
●稲葉
いえいえ
●大西
っていうのを、感じるようになって、まずもやいの運営にもきちんと主体的に関わりながら、その中で稲葉さんにどう新しい事業をチャレンジさせるかとかね。
●稲葉
なんだよそれ(笑)
●大西
まぁ、冗談ですけど(笑)
で、その流れの中で年末年始に「ふとんで年越しプロジェクト」を呼びかけたりとか、今度新宿で炊き出しをまたやろうとしていたりとか。
もやいの活動もそうですが、ホームレス支援や生活困窮者支援の活動は、どこも始まってから十年、十五年と経っているところが多いですよね。時代の変化とともにで少しずつアップデートしなければならない部分があります。
いい部分・守るべき部分を活かしつつ、必要な部分をどうアップデート出来るか、どう支えていけるか、ということ考えていかないと、この先の十年・十五年を考えた時に、日本の貧困問題、生活困窮者支援をめぐる情勢というのは、かなり大きな危機に陥ってしまうのではないかなと。
今は、いろいろ切り替えていかなければならないタイミングなんじゃないかな、という。
●稲葉
はいはい。昨年、生活保護法が改悪され、生活困窮者自立支援法ができたことで、今後、公的な支援の領域では制度化される部分と切り捨てられる部分がはっきりしてくると思っています。民間団体の多くもその流れに巻き込まれているけど、そういう状況で何ができるか改めて考えていく必要がありますね。
●大西
稲葉さんも最近「フェーズが変わった」といってるじゃないですか。いまは「転換点」にあるのかもしれません。

これからのもやい

●編集部
今後のお互いに活動について、稲葉さんは「新理事長大西連」へ、大西さんからは「活動家稲葉剛」に対して、期待することのメッセージをお願いします。
●大西
じゃあ、稲葉さんから。
●稲葉
いやいや。あんまり前任者があれこれ言うのはよくないと思いますんで、好きにやってください(笑)
●大西
そうですか(笑) 僕も別に好きにやって、ということで。あと、あえていえば「もやい愛」が試されてますよっていう(笑)
●編集部
13年間支えてくださった支援者へのメッセージをお願いします。
●稲葉
もやいがこれまで13年間活動を続けてこられたのは、やはり多くの支援者の方々が資金や物資を寄付してくださったり、ボランティアとして参加してくださったおかげであって、本当にさまざまな形でのご支援やご協力があって、これまで活動を続けてこられたと思っています。新体制になっても、引き続き、是非ご協力をお願いいたします。
●大西
もやいの良さって、組織決定がトップダウンではなくて、ボトムアップ、みんなで議論して決めることをすごく大事にしている部分なんです。
貧困問題に興味があるよ、一緒にやりたいよ、という方は誰でもウェルカムです。いろんな人と一緒に、この社会のなかで、貧困問題をどうやったら解決出来るのかな、というのを一緒に考えていきたい。また、多くの方のご支援を頂いて、持続可能な組織運営をしていきたいと考えています。
今後ともボランティアや寄付等でのご協力を何卒よろしくお願いいたします。con0701_004
(7月1日 もやい事務所にて)

もやい理事長交代記念 対談×大西連(前編)

対談・インタビュー

退任と就任のごあいさつ

●稲葉
本日(2014年7月1日)、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事会が開かれまして、そこの場で理事長が交代することが決まりました。
私は、もやいがNPO法人になってから11年間理事長を務めてきたのですけれども、このたび退任することになりました。
新理事長は大西連さんになりました。そこで理事長交代を記念して、新旧理事長による対談を始めたいと思います。
●大西
よろしくお願いします。
●稲葉
よろしくお願いします。まず自己紹介をお願いします。
●大西
みなさま、初めましての方は初めまして。お世話になっている方は、お世話になっております。新理事長に就任しました大西連と申します。
僕がもやいに本格的に関わりだしたのは、多分震災のちょっと前くらいからですね。もやいのセミナーに初めて参加したのが2010年の秋ぐらい、いわゆる「年越し派遣村後」で、担当は稲葉さんでした。
●稲葉
そうだっけ?
●大西
そうですよ。最前列で悪口言いながら見てたんですけど(笑)con0701_001

大西連の「きっかけ」

●大西
もともと、その前から新宿の炊き出しに行ってて、そこで稲葉さんと一緒に活動していました。
ただ火曜日は当時アルバイトとかぶっていて、(火曜日の)もやいには参加できなかったんですね。でも、同じく新宿で炊き出しをしていた人から「一回、もやいのセミナーに行こう。稲葉さんの回だから」と誘われたんですよ。
セミナー当日は雨の日だったんですけど、僕はたどり着けなくて辺りをうろうろして(笑)
「これはもう(開始時間の)7時に間に合うのは無理だ」と、一旦は諦めかけたんですが、7時半ぐらいになってようやくたどり着いたんです。それが一番最初です。
●稲葉
そもそも貧困問題や社会的な活動に関わるようになったきっかけは何?
●大西
貧困問題に関していえば、新宿の炊き出しに行ったのがきっかけです。
じゃあなんで行ったかっていうと、貧困問題に興味があったっていうわけではなくて(笑)。
●稲葉
(笑)
●大西
もちろん社会問題として貧困問題というのがあって、それは大事だよね、解決しなければならない課題だな、とは思っていたんですが、特に自分がコミットするとはまったく思っていなくて。
ただ、そういう中で人に誘われて、ふらっと新宿の炊き出しに行ったんです。当時はリーマンショック後だから、400人くらい(炊き出しに)並んでいたのかな?
●稲葉
うん。2010年頃だと300人から400人くらいかな。その前年はもっと多かったですね。
●大西
やっぱり自分の中にもっているイメージってあるじゃないですか。
たとえば、ホームレスの人って、お風呂に入っていなくて、空き缶を集めていて、ちょっと話しかけるの怖そうだな、みたいな。でも、実際は必ずしもそうじゃない人たちがたくさん並んでいた。若い人もいれば、数は少ないが女性がいたり、車いすの人がいたり。自分の持っていたイメージが裏切られたんですね。
また、メディア等では「年越し派遣村」とか知っていたけれども、実際どういった人たちが関わっていて、どういう人たちが相談に来ていて、実際どうやって過ごしているのか、っていうことも知らなかった。
それまでは、「ホームレス」というと「駅で寝てるのかな」「仕事してないのかな」「なんかよくわかんないな」っていうレベルの理解だったのが、実際にお会いして、お話をして、その人のストーリーを聞いてすごく身近に感じたんです。「ああ、親戚のおじさんにこういう人いてもおかしくない」と。
●稲葉
一人ひとりの顔や人生が見えてきたんだね。
●大西
なので、「ホームレス」の人たちについて、彼ら・彼女らをとりまく状況や社会環境について、興味をもつようになりました。自分がそこですごく恵まれていたな、と思うのは、単純に毎週炊き出しに行くだけで終わったのではなくて「これは何だろう?」とか「これは不思議だな?」ということを聞く相手として稲葉さんがいた、ということです。このことがいまの自分につながっているし、非常に大きかったですね。
●稲葉
ほお。
●大西
最初話しかけたらこうやって(背中を仰け反る)反ってて、すごい嫌がられていたのを覚えているんですけど、覚えてますか?
●稲葉
いやいやいや(笑)聞かれたことはちゃんと答えてましたよ(笑)
●大西
いろいろ質問していたのは?
●稲葉
そんなこともあったような気もする。
●大西
あの場を僕がすごく面白いと感じたのは、当事者の人も一緒に炊き出しや夜回りに参加したり、支援団体の人もいたり、それからいわゆる専門職の人もいたりとか、様々な立場の人が同じ活動を同じ場所で同じ目的のためにやっている、というところでした。
ただ、一方で自分も炊き出しと夜回りをやっていて「あれ? どうしてこの人たちはずっと路上にいるんだろう?」と疑問に思ったんですね。
これだけ毎週「相談ないですか?」「病気ないですか?」「役所いきませんか?」って支援しているのに、なんでホームレスの問題というのは解決していないんだろうかと。もちろん解決していない理由がたくさんあることは、あとで解ったんですが。
当初は、そういうことわからないものですから、とにかく自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じたかった。それで、いわゆる「福祉行動」という、新宿では月曜日に行っていた生活保護の申請同行に行ってみたいと稲葉さんに言ったんです。そうしたら、すごく嫌がられたんです、最初。
●稲葉
そうだっけ?
●大西
「えー、誰も来ないよ」って言って(笑)
●稲葉
(笑)
●大西
「来ても別に何もないよー」とか言って。
●稲葉
(笑いながら)そうだっけ?以前と違って、その頃は相談があったり、なかったりだったんだよね。
●大西
「なんだ、このサポーティブじゃない感じは」とか思ってました。
●稲葉
いやいやいや(笑)
●大西
でも、勇気をもって参加したら……いや、役所の窓口はこんな冷たいんだなと。
役所の窓口では、ホームレスの人が「人」として見なされていなかったんですね。宿がなくて足が痛いって言っているのに、病院には行かせるけど、支援はそこまでで路上に帰したり。
●稲葉
そうですね。それでも90年代に比べたら役所の対応は改善していて、昔は病院にも行かせてくれないということがありました。
●大西
最初は僕も熱いハートを持っているから(笑)「これはおかしいんじゃないか」と思ったりもしたんだけれど……。でも、関わっていくなかで路上の人たちが抱えている悩みや想い、役所側の理由や対応出来ない事情、あるいは本当は出来るのにやっていないことなど、いろんなことを知るようになりました。知ったというより、経験したり体感した、と言った方がいいかも知れません。
それで、これはいわゆるミクロ的な問題を越えて、もっと大きな社会構造の問題として考えなきゃいけないな、ということを思うようになりました。
貧困問題にコミットしなければと。この活動に関わるようになったきっかけです。con0701_002

もやいに来た頃

●稲葉
その後、2011年に震災があったことで、それまでもやいの中核を担っていたスタッフが2名、東北の被災地での支援活動に入っていくということがありました。その穴を埋めるような形で大西さんはめきめきと頭角を現したわけですが。
●大西
あれ、覚えてないんですか? 僕がもやいに来たのは稲葉さんに誘われたからですよ。
●稲葉
そうだっけ?
●大西
あ、ほら覚えていない(笑) あの震災後に稲葉さんに……
●稲葉
あ、そうそう。
震災の直後に土曜日のサロンをどうしようかという話があり、さすがに3月12日(土)はお休みにしたんですけど、その次の開催日(3月19日)はどうしようかと議論になったんです。
福島第一原発の事故も起こり、東京も安全かどうか解らないという状況の中で、通常のサロンという形では出来ないけれども、不安に思っている人や困っている人もいるだろうから、集まれる人は集まろうという話になったんですね。
特にあの時はスーパーマーケットやコンビニから商品がなくなったりして、食糧を買えなくて困っている人もたくさんいたので、こもれび莊を一日開放して、缶詰などの備蓄してあった食糧を来た人に配布したんですよね。
その時に声をかけた気がする。
●大西
そう、人足りないから手伝って、って言われたんです。で、手伝ったんですけど。
僕もちょうどその時、反貧困ネットワークとライフリンクと共同で自殺対策のプロジェクトがあって……
●稲葉
年度末の集中キャンペーンですね。
●大西
そうです。
3月は自殺対策強化月間で、僕は冊子を作ったりとかいろいろやってたんですけど、それが全部流れたんですね。だからすごく時間があったんです。
それこそ震災後だし、世の中どうなっちゃうんだろうなとか、そういう迷いもあったんですけど……。でもやれることはやろうと思って、もやいへ手伝いに行ったんです。
●稲葉
すばらしい。でも、震災でスケジュールが白紙になったのがきっかけになった、というのも不思議だね。
●大西
そこで稲葉さんに「火曜日来た方がいいですか?」と尋ねたら、「是非来て下さい」と。
それで毎週火曜日に来るようになった。
覚えてます?
●稲葉
………(笑)
●大西
あ、覚えてないな、この顔は。
●稲葉
覚えてる覚えてる(笑)
それで、いつからスタッフになったんだっけ?
●大西
スタッフになったのは、1年後? 2012年ですね。
●稲葉
そうそう。1年間ボランティアで生活相談をしていて。
●大西
2012年の夏ぐらいに、うてつさん(うてつあきこさん:もやいの当時のスタッフ)に誘われて、もやいのデータチームのアルバイトを始めたんです。
●稲葉
ああ、なるほどなるほど。
●大西
もやいのデータチームは、生活相談に来られた方のデータ入力と分析をしていたのですが、生活相談に携わっている人にも参加してほしいということで。
その時期は週4日とか5日とかもやいに来ていたという。
●稲葉
スタッフになってから入居支援の家庭訪問とかをやってたよね。
●大西
そうそうそう。生活相談と入居支援を両方やっていました。
●稲葉
それで、いろいろ見えてくるものがあったんじゃないの?
●大西
そうですね。というか、実は個人的に2010年・2011年で、かなり相談を受けてたんです。
新宿での路上でもそうだし、他の団体とかいろんなところで。
申請同行は年間100件以上、自分でもよくわからないくらい行ってたし、携帯電話の番号が路上に出回っていて知らない人から電話が来たり、個人的にアパート入居の際の緊急連絡先も受けたりして。
そういうことがあって、個人で受けているときりがないな、受けきれないな、ということは少し感じていたんです。
●稲葉
抱え込みだったのね。誰でもそういう時期はあるよね。
●大西
抱え込みって言われると嫌だなぁ。まあ、炊き出しをやっていた頃っていうのは、その入り口の部分でいっぱいいっぱいじゃないですか。
けれど実際に、一度支援につながった人がまた路上に戻ったりとか、せっかくアパートに入っても地域の中で孤立していたり、借金のことで困ってもこちらに相談してくれずに失踪してしまったりとか、そういうことが起きてしまう。
いわゆる入り口の向こう側、その後の生活をどう支え続けるかとか、どう維持するためのお手伝いが出来るかっていうことが、中長期的に見てもすごく大事だな、と改めて思ったんです。
あとは支援の難しさというか、その人の人生で考えたときに、その日その時という「点」で関わる以上にどう関わっていけるか。それらはすごく、入居支援事業をやって感じましたね。
あと、不動産の知識がついた。本当に契約条項とか特約とか、基本的な書式が揃っていないものがたくさんあるし、不当に住環境の悪い物件もあったり。
●稲葉
そうだね。なんとか路上生活を抜け出して、施設やアパートに移れたとしても、そこにはまた新たな課題がある、というのはもやいの活動の原点ですからね。
●大西
すごく生活に困って、やっと役所に相談に行って、なんとか支援に繋がった先で、複数人部屋のシェルターに入れられる。
なんとかアパート入りたい人が頑張って頑張って、やっとアパート入るんだけど、そこが風呂なしだったりとかトイレ共同だったり。
得られる情報が少ない人、自分でやることが難しい人ほど、過酷な環境に居ざるをえない。もしくは過酷な環境にいないと支援を受け続けられない。
そんな状況をすごく感じましたね。これはおかしいだろうと。
稲葉さんもその辺は感じていると思うんですけど。(後編に続く:7月7日公開予定)con0701_003

個室シェルターの鍵の受け渡しが完了しました!

日々のできごと

本日、個室シェルターの鍵が、オーナーの鎌田晴之さんより代表の手へ受け渡されました。

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そんなオーナーの鎌田さん。なんと自ら工具を振るい、室内外のクリーニング作業にあたって下さっています。

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また、この場には当シェルターの管理人を務めて下さる碓氷和洋さんも立ち会いました。
もやいに勤めていた経験を活かし、この新たなプロジェクトへ力を貸して下さる予定です。

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7月中旬の開設に向け、電気製品やカーテンなどの備品の購入・搬入も着々と進んでいます。

また、引き続き募集中のクラウドファンディングも、あと少しで目標金額へ到達するというところまで来ています。【Motiongallery:住まいのない人が安心して暮らせる個室シェルターを作りたい!】

もう間もなくオープンです!

(佐々木)

NPO法人もやい理事長を退任しました。

日々のできごと

今年7月1日をもって、私、稲葉剛は、2003年度から11年間続けてきたNPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事長を退任いたしました。

〈もやい〉が任意団体であった時代に、湯浅誠とともに共同代表を務めていた時期(2001~2002年度)を含めると、約13年間、団体の代表を務めてきたことになります。

【もやいブログ】理事長交代のご挨拶

本当はもう少し早い時期に退任をするつもりだったのですが、2011年に発生した東日本大震災や2012~2013年の生活保護バッシングとそれに続く制度改悪への対応に追われ、なかなか世代交代を図ることができずにいました。

今年に入り、ようやく世代交代に踏み出す準備が整ったため、理事長を交代することになった次第です。

新理事長には、まだ二十代の大西連さんがなってくれることになりました。新しい発想で〈もやい〉の活動をさらに広げてもらえればと願っています。

私は7月以降、理事長職ではなくなりますが、新年度も理事として〈もやい〉の運営に関わり、交流サロンや広報啓発、生活相談などの活動にも引き続き参加することで、新体制を支えていきます。

また、新団体「つくろい東京ファンド」の代表理事として、個室シェルター事業など、〈もやい〉と連携した新たな生活困窮者支援の活動を展開していきます。

ぜひ皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

 

集団的自衛権容認で「赤紙なき徴兵制」が強化されるのか?

提言・オピニオン

2014年7月1日、安倍政権は従来の政府による憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行いました。

これは戦後の日本の安全保障政策の大転換であり、これまで「専守防衛」に徹してきた自衛隊が、日本が直接攻撃されていなくても出動することが可能になったことを意味します(ただ、実際には今後の法整備が必要になります)。

1つの政権の意向で憲法の解釈を変えることは立憲主義に反する行為であり、民主主義の原則を踏みにじる暴挙です。連日、総理官邸前で展開された抗議活動に、私も一人の市民として参加してきました。

写真 (48)

SNSなどでは、自衛隊が海外の戦地に派兵されることになれば、志願者の減少や退職者の増加が起こり、その結果、将来的に徴兵制が導入されるのではないか、という意見が出ています。

実際、2003年のイラク戦争の後に自衛隊が派遣された際には志願者が減ったというデータもあります。

しかし、生活困窮者支援に関わる者として言いたいのは、貧困層の若者を「安定した仕事だから」と勧誘して、自衛隊に「自発的に」志願させる「経済的徴兵制」は以前から存在している、ということです。

支援関係者の間では知られている話ですが、路上生活者には貧困家庭の出身で、自衛隊で働いた経験のある人が少なくありません。

「農家の次男坊・三男坊が安定した仕事に就くには、自衛隊の仕事しかなかった」と言っていた方もいます。

災害出動の際のトラウマで精神疾患になったことや、訓練の爆音で難聴になったことが原因となって仕事に就けず、ホームレスになった方もいました。

自衛隊が海外で戦闘に参加するようになれば、アメリカのようにPTSDを発症し、ホームレス化するベテランが増えるのは必至です。

 

安倍政権は財政難を口実に生活保護などの社会保障制度を改悪し、「成長戦略」の名のもとに雇用のさらなる流動化を図ろうとしていますが、こうした一連の政策は若年層のさらなる貧困化を招きます。

自らの政策によって貧困を拡大させ、貧困層を自衛隊に送り込もうとしているのではないか。

「赤紙なき徴兵制」(経済的徴兵制)をさらに強化しようとしているのではないか。

そのような疑念を抱かざるをえない政策が行なわれようとしています。

2007年のアメリカ映画『大いなる陰謀』(ロバート・レッドフォード監督)では、低所得層の学生たちが除隊後の就職先や大学奨学金を求めて軍に志願する姿が描かれていましたが、これは近い将来の日本の姿なのかもしれません。

 

7月1日は、自衛隊発足から60年にあたる日でした。

この日から自衛隊はAKB48メンバーを起用する隊員募集コマーシャルを流し始めました。

自衛隊発足から60年。募集CMに島崎遥香さんを起用。

私自身はこれまで社会保障の削減に反対する運動を主におこなってきましたが、安全保障の問題で動いている人たちとも連携を深めていきたいと考えています。

憲法9条と25条の問題はつながっています。

 

 

 

 

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