「絆原理主義」の政治が拒む現実との対話~宗教右派的家族観に同調し困窮者の権利を切り崩す

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※初出:朝日新聞「論座」サイト 連載「貧困の現場から」 2022年7月27日

高くて厚い「壁」が前途に立ちはだかっている。「壁」の向こう側にいる人たちと対話を試みようにも、言葉が届かない。

生活困窮者を支援する活動を進め、国に貧困対策の拡充を求める中で、そのように感じることがたびたびある。

例えば、生活保護の利用に伴う扶養照会の問題がある。

生活保護バッシングに乗じた制度改悪

扶養照会とは、生活保護を申請した人の親やきょうだい等の親族に対して、福祉事務所が援助の可否を問い合わせることである。私たち支援団体は以前から、扶養照会が生活に困窮する人々が生活保護を利用する際の最大のハードルとなっていると問題視し、改善を要望してきたが、国は聴く耳を持とうとしなかった。

2012年5~6月には、当時、野党だった自民党の片山さつき参議院議員らが芸能人の親族の生活保護利用を「不適切」だとするキャンペーンを展開。このキャンペーンが発端となり、テレビや週刊誌では連日、事実に反して生活保護の不正受給が蔓延しているかのような印象を与える報道が垂れ流され、「生活保護バッシング」が吹き荒れた(注1)。私たちが緊急で開催した電話相談会には、生活保護の利用当事者から「テレビを見るのも、外に出るのも怖い」といった悲痛な声が多数寄せられた。

2012年12月に政権復帰した安倍政権は、生活保護利用者に厳しい対応を求める「世論」を追い風に、翌2013年、生活保護基準の引き下げと生活保護法の「改正」を強行した。この法「改正」によって、福祉事務所は民法上、扶養義務のある親族に対して「報告を求める」ことができる等、従前以上に圧力をかけることが可能となった。

2013年の生活保護費引き下げをめぐる訴訟で、名古屋地裁は「国民感情を踏まえた自民党の政策を厚生労働相は考慮できる」として原告の請求を棄却した。判決翌日の集会で判決に抗議する参加者=2020年6月、衆議院第一議員会館

 

時代に逆行する法制度の変更に反対の声が高まる中、政府は国会での審議において、親族への報告の要求は「極めて限定的な場合」に限るとトーンダウンする答弁をおこなった。しかし、その一方、扶養義務者の収入や資産の調査にマイナンバーを活用するのかという質問への答弁では、その可能性を否定しなかった。

家族の「絆」を強調し国の責任を放棄

生活保護基準を引き下げて貧困対策にかける予算を削減しつつ、家族による支え合いを推奨し、時に強要する。「絆」を強調することで国の責任を後退させようとする安倍政権の姿勢を私は「絆原理主義」と呼んで批判していた。

2013年当時、私は自民党と宗教勢力とのつながりに着目していたわけではないが、格差・貧困の拡大や家族関係の希薄化といった日本社会の現実と向き合うのではなく、現実の方を自らのイデオロギーに合わせて都合よく解釈し、改変しようとする自民党の動きを「原理主義」的であると感じたのだ。

政治学者の中島岳志氏は、常々、保守とは本来、「人間は不完全だ」という考え方に基づき、急進的な変化を避けて「永遠の微調整」を目指す思想であると指摘されてきた。

だが、安倍政権以降の自民党は社会の現実と向き合って微修正を続ける姿勢を捨て、自らの考える「あるべき家族」像や「あるべき国家」像を押し付ける傾向が強まっていると私は感じている。

そうした自民党の「絆原理主義」的性格が最もよく現れているのが2012年に発表された改憲草案である。

憲法24条に「家族の助け合い」書き込みを狙う

この改憲草案の問題点は多々あるが、貧困への悪影響が最も懸念されるのは、憲法24条(家庭生活における個人の尊厳と男女平等)1項に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という条文を追加するという提案である。

もし、「家族は、互いに助け合わなければならない」という趣旨の条文が憲法に記載されることになったら、親族の扶養義務はさらに強調されることになり、生活保護利用のハードルは今以上に上がってしまうだろう。それは憲法25条に定められた生存権保障の規定が空文化してしまうことを意味している。

近年の改憲論議では24条の改正についてはあまり語られなくなっているが、警戒を怠ってはならない(注2)。

原理主義者であることさえ隠さなくなった

安倍元首相のUPF(天宙平和連合)でのビデオ演説(2021年9月)は、数々の違法行為や人権侵害を重ねてきた旧統一教会系の団体にお墨付きを与えてしまった、という一点だけで非難されるべきであるが、同時にそこで語られている中身も「もはや原理主義者であることを隠さなくなった」と言えるショッキングな内容であった。

安倍氏は演説で「UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価します。世界人権宣言にあるように家庭は世界の自然且つ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と語っていた。

UPFのホームページによると、同団体は「One Family Under God(神の下の一家族)」をビジョンとして掲げており、家庭については「家庭は『愛と平和の学校』である」との基本理念を掲げている。

こうした家族観を共有する安倍氏にとって、選択的夫婦別姓や同性婚を求める動き、生活保護の扶養照会撤廃を求める動きは「偏った価値観を社会革命運動」として否定すべき対象であったのだろう。

安倍氏は世界人権宣言に言及することでUPFの掲げる家庭の価値の協調が普遍的な理念であるかのような印象づけをしている。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」との文言は自民党の改憲草案の中にも出てきている。

世界人権宣言も都合良く切り取り

しかし、世界人権宣言の第16条3項に書かれているのは「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」という条文である。これは特定の家族のあり方を押し付けるものではなく、「社会及び国の保護を受ける権利」を保障することを求めるものである。

例えば、日本の入管政策では難民認定率が低すぎるという問題があり、難民申請を却下された人の家族が分断され、親だけが強制送還されてしまうケースも出てきている。世界人権宣言が各国に要請しているのは、こうした家族の「保護」である。

安倍氏の演説は、自民党の改憲草案同様、都合よく条文を切り取っており、国の責任を捨象したものである。

旧統一教会の家族観をもっと具体的に語っている人物がいる。旧統一教会の「賛同会員」であることを認めている井上義行氏だ。

「絆原理主義」の典型的な言説

第1次安倍政権で首相秘書官を務め、今年7月の参議院選挙で自民党候補として2期目の当選を果たした井上氏は、選挙期間中、性的マイノリティへの差別発言を繰り返し、大きな批判を浴びた。

井上氏は6月22日の参議院選挙初陣式にて、同性愛者差別発言とともに自身の家族観について下記のように語っている(注3)

「今私は分岐点だというふうに思っています。なぜ分岐点か。それは今まで2000年培った家族の形が、だんだんと他の外国からの勢力によって変えられようとしているんです。昔は皆さん、考えてみてください。おじいちゃんおばあちゃんやお孫さんと住んだ3世代を。その時は社会保障そんなに膨れてこなかった。でも核家族だ、核家族だ、個々主義だ、こういうことを言っている」

家族の「絆」を強調することで社会保障費を抑制するという「絆原理主義」の典型とも言える言説である。「3世代」への言及は、安倍元首相が2015年に提唱した「三世代同居」推進策を念頭に置いたものなのであろう。

多様化の中で精神論的家族イデオロギーに固執

ジェンダー論を専門とする京都産業大学の伊藤公雄教授は、日本の家族をめぐる政策について、「旧来の国家秩序の基盤としての家族の保護という視座がいまだに維持され、かつ、(国家が本来担うべき)福祉領域の多くを家族に依存し、国家の負担を家族に押し付ける形で展開してきた」と分析。戦後日本の家族政策は「政府の福祉負担をできるだけ軽減させる(実際の家族へのサポートを回避しながら、ケア領域の責任を家族=女性に押し付ける仕組み)ために実行されてきた一方で、秩序形成の場としての精神論的家族イデオロギー(「家族は助け合うべき」はその典型だろう)だけが強調されてきた」と指摘している(本田由紀・伊藤公雄『国家がなぜ家族に干渉するのか』青弓社、2017年、P164~165)

多様な家族のあり方を認めず、政策的に家族を支援することにも後ろ向きだが、「精神論的家族イデオロギー」は強調する。

貧困や災害、少子高齢化等、私たちが直面する様々な社会課題に正面から向き合うのではなく、「家族の絆、地域の絆を昔のように強化しさえすれば、全ての問題は解決する」と言わんばかりの言説を振りまく。

安倍政権以降強まった「絆原理主義」的傾向

私は政治学や宗教学を専門とするわけではないので、貧困の現場から対策を求める中で感じた印象論に過ぎないが、社会の現実との対話を拒絶する「絆原理主義」的な傾向は安倍政権以降、特に強まってきたと私は考えている。

自民党などの保守派が「伝統的な家族観」に固執しているのは今に始まった話ではないが、この30年間、人々の家族観やジェンダー/セクシュアリティに関する意識は大きく変容した。それは選択的夫婦別姓や同性婚の導入に肯定的な世論が多数派を占めるようになったことからも明らかである。また、DVや児童虐待など家庭内での暴力・支配の実態や抑圧が生まれるメカニズムについても、支援現場で働く人々や研究者の尽力によって広く知られるようになり、家父長制的な家族観の弊害も社会全体で共有されるようになってきた。

「伝統的な家族観」に固執する自民党と社会意識との乖離は年々、広がってきた。しかし、その隙間を埋めるため、人々が生きる現実と対話をおこない、「微修正」を続けていくという道を自民党は取らなかった。

その代わり、旧統一教会や神道政治連盟など「精神論的家族イデオロギー」を信奉する宗教勢力との癒着を強め、「絆原理主義」政党へと変質をする道を選んでしまったのではないか。

専門家やマスメディアには、ぜひそのプロセスを解明してほしいと願っている、

コロナ禍の困窮者急増で運用改善が通知されたが…

2020年、コロナ禍の経済的影響によって生活に困窮する人が急激に増加するという社会的な危機が生じ、生活困窮者を支えるセーフティネットの脆弱さが露呈した。私たちは扶養照会の運用改善を求めるネット署名に取り組み、短期間で5万7千人を超える人が署名に賛同してくれた。
こうした声に押され、厚生労働省は2021年春、2段階にわたって扶養照会の運用を改善する通知を全国の自治体に発出した(注4)。その内容は、照会の対象を援助の見込みがある人に限定し、本人が照会を拒む場合には、その理由について「特に丁寧に聞き取りを行い」、照会をしなくてもよい場合にあたるかどうかを検討することを自治体に求めるものである。

また、DVや虐待などの背景がある場合は親族に直接連絡をしてはならない、という点も初めて明確に禁止された(この点については、それまで明確に禁止されていなかったことが恐ろしいことだと私は考えている)。

運用変更は厚生労働省の事務方の判断で変えられる範囲内にとどまっており、この改善に政治がどのように関わったのか(あるいは関わっていないのか)はわかっていない。

しかし、「政府は貧困に対する公的な責任を果たせ」という声が広がった結果、生活困窮者支援の現場で長年の懸案だった問題が一歩、前進したのは事実である。

ようやく厚い壁に蟻の一穴が開いた。そう感じたが、運用改善から1年4ヶ月が経っても、未だに私たち生活困窮者支援団体のもとには、「親族に連絡をするのはやめてほしいと伝えているのに、役所が応じてくれない」という相談が全国各地から寄せられている。

またしても厚い壁に前途を阻まれた

厚生労働省の新通知は扶養照会を拒む人に丁寧な聞き取りをおこなうことを自治体に求めているが、自治体によってはこれを曲解し、「話は聞いたが、決めるのは自分たちだ」と言わんばかりの対応を続けているところもあるのだ。

実際には親族に照会しても援助につながる事例は非常に少ないことは厚生労働省の調査でも明らかになっている。「百害あって一利なし」の扶養照会自体をやめるべき時なのではないか。

私たちはそう主張しているが、国会でこの点を問われた岸田首相は、「扶養義務者の扶養が保護に優先して行われることは生活保護法に明記された基本原理であり、扶養照会は必要な手続きではあります」と繰り返すのみであった。

またしても、厚い壁に前途を阻まれた印象である。

同じような「壁」の存在を選択的夫婦別姓制度の導入を求めている人たちも、同性婚の実現を求めている人たちも感じていることだろう。

「壁」の向こう側で、イデオロギーに凝り固まっている人たちに私は言いたい。
人々の生きている現実を直視せよ。現実と対話をしない人間に政治家を務める資格はない、と。

(注1)生活保護バッシングの最中、生活保護問題対策全国会議と全国生活保護裁判連絡会は、「生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明」「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」と題した見解を発表している。

(注2)24条改憲の問題点については、下記の記事や「24条変えさせないキャンペーン」のサイトを参照していただきたい。多様な家族を認めない「憲法24条」改憲案。育児や介護の負担増、結婚・離婚も不自由になる?!― 山口智美さん

(注3)「同性愛とか色んなことで可哀想だと言って…」自民比例・井上義行候補の発言に波紋

(注4)扶養照会の運用改善について詳しくは下記の記事を参照のこと。

生活保護の扶養照会の運用が改善されました!照会を止めるツール(申請者用、親族用)を公開しています。

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