福井地裁判決と自民党改憲草案~「人格権」はどこに行くのか?

提言・オピニオン

「司法は生きていた」

5月21日、福井地裁は大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた住民の訴えを全面的に認め、関西電力に対して「原子炉を運転してはならない」との判決を出しました。

3・11以降の原発差し止め訴訟で初めての判決になります。

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨
http://www.news-pj.net/diary/1001

判決文の中で印象的なのは、「人格権」という言葉でした。

判決は「生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つ」ことを指摘した上で、人格権について以下のように説明しています。

「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。」

その上で、判決は福島第一原発の事故の教訓を踏まえて、原発に求められる安全性を検討。

「人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。」として、差し止めを認めました。

判決は、人格権の憲法上の根拠を憲法第13条と第25条に求めています。
改めて「個人の尊重」を定めた憲法第13条を見てみましょう。

憲法第13条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

ここで私が思い出したのは、自民党が2012年4月27日に発表した「日本国憲法改正草案」です。

 

自民党改憲案.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本国憲法改正草案(PDF)
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

この改正草案では、第13条は以下のように変わっています。特にポイントになる箇所を【 】で囲んでみました。

第13条 全て国民は、【人】として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、【公益及び公の秩序に反しない限り】、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

「個人」から「人」へ。
「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」へ。

自民党は、「日本国憲法改正草案 Q&A」 の中で、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に改めた理由を以下のように説明しています。

 

自民党「日本国憲法改正草案 Q&A」 (PDF)
https://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf

従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため、学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。しかし、街の美観や性道徳の維持などを人権相互の衝突という点だけで説明するのは困難です。

今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、その曖昧さの解消を図るとともに、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。

「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、人々の社会生活に迷惑を掛けてはならないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。

 

私は憲法を専門的に勉強したことがないので、はっきりしたことは言えないのですが、自民党の改憲草案は、「人格権」よりも「社会秩序」の方が上位にあると言っているように見えます。

自民党の改憲草案が実現してしまい、人格権が「すべての法分野において、最高の価値を持つ」という法の秩序自体が変えられてしまえば、裁判所が人格権を根拠に原発の差し止めを認める、ということ自体が非常に困難になってしまうのではないでしょうか。

「社会秩序」の維持のためには人格権の侵害も甘受すべき、という論理のもとに、憲法が書き換えられてしまえば、原発だけでなく軍事基地や大規模開発、公害などをめぐる裁判でも同様の論法がまかり通ってしまうことになります。

自民党の改憲草案については、すでに多くの方が危険性を指摘していますが、あらためて「人格権」という観点から批判を加えていく必要を感じました。

 


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