湯浅誠×稲葉剛対談(後編)
マイノリティの声をどう伝えるか
稲葉:はたから見てると、大学院時代の湯浅誠に戻っている気がする。政治思想史の研究をしていた湯浅誠の問題意識がここにきて出てきていて、路上やって貧困やって、という経験っていうのがどこにどう生かされているのか正直よく分からない所があるわけ。例えば、僕の場合は「反貧困」っていうより「反差別」という意識がとても強いので、野宿者差別に対する怒りというのが根本にある。この年末年始にも渋谷の宮下公園で強制排除があったりしたけど、この手の問題はなかなかマジョリティの側は分かってくれない。以前の君の話で、すごく印象的で覚えているのは、神戸の震災の時に避難所から野宿の人たちが排除されたという話に君がすごく怒って、今度東京で震災があったら…。
湯浅:野宿の人たち専用の炊き出しをしようと。言っていたね。若気の至りです。
稲葉:逆に住まいのない人だけの避難所を作って、住まいのある人は排除するんだって言っていて。まぁ、冗談だけど、マイノリティに対する差別への怒りみたいなものが原動力としてあったんだけど、今はそのむしろマジョリティ側に声を掛けていく反面、「もともとの現場で培ってきた怒りはどこへ行ったの?」って気がするわけ。
湯浅:それは、さみしい感じなの?
稲葉:寂しいっていうか、「どう思ってんのかな」と思って。
湯浅:渋谷の排除の話は、この間、ラジオの番組で取り上げたんだよね。そこで話す話は、やっぱり言い方に工夫が必要。そうでないと、結局発信することはできても伝える(届ける)ことができない。
稲葉:そういう問題自体にコミットしないっていう姿勢に見えたのね。それは生活保護の問題も含めてなんだけど。もちろん、今の世の中、テレビに出るリベラルな知識人は必要なんだけど、それを「君がやるの?今までの経験はどうなったの?」っていう気は正直あるよ。
湯浅:私は今まで、イメージで言うと、レフトのファールグラウンドにいた。それが今、できるかぎりセンターに寄ろうと努力している。それが納得できないとか、何となく合点できないとか、いろんな人がいるとは思う。でも、それは常にあるんだよね。もやいを始めたときは、路上じゃなくアパートに行ける人たちを相手にするのかと言われ、派遣村やった時にはホームレスじゃなくて派遣切りされた人を相手にするのかと言われ、参与やった時には運動でなくて政府に関わるのかと言われ、何かやれば常にそういうリアクションはある。
稲葉:ただ、派遣村の時は開村時に「ここは派遣切りされた人ばかりじゃなくて、もともと路上だった人も含めて支援するんだ」と宣言したわけでしょ。
湯浅:それは君の耳にそれが届いたってだけなんだよ。そうじゃないところで判断している人はいる。
社会運動とソーシャルビジネス
稲葉:マジョリティの人たちにアピールをする際に、「提言型の活動や社会的な企業こそが社会を変える活動のメインだ」と、軸がそっちに寄ってしまうことに違和感がある。社会運動として抵抗するとか、反対するとかっていうのは古くて、「今やソーシャルビジネスですよ。スマートにやりましょう」という時代の潮流があるわけじゃない? 私はどちらも必要だと思っているし、ソーシャルビジネス系の人とも付き合いがある。だけれども、「こっちはダサくて新しいのはこっちだ」みたいな風潮自体に、君が乗っかっているのは「それでいいの? それが君の役割なの?」という気はするけどね。
湯浅:いま話を聞いていて、稲葉には、湯浅はこういうふうにあるべきで、そこからずれているのはおかしいんじゃないか、という違和感があるように感じた。だけど、私には私の経験とそこから出てきた問題意識があるので、こうあるべきと言われても困ってしまう。
稲葉:活動家はやっぱり現場の視点を忘れてはならないと思っている。生活保護の基準が下がれば、〈もやい〉でアパートの保証人を引き受けた人がエアコン代を払えなくなって、熱中症で倒れてしまう。そういうリアルな現場が活動の原点なわけね。僕はそこからものを言ってるわけだし、そこからものを言っていきたいと思っている。
湯浅:それはまったく問題ないし、共感する。ただし、同じ起点を持ちながらも、どう言うかという方法論は多様にありえる。ソーシャルビジネスの手法を使う人もいるだろうし、いやそうじゃないと言う人もいるだろう。稲葉が言ったように両方必要だというのであれば、理解の広がりを追求する中でいろんな言い方とかやり方があっていいんじゃないだろうか。
稲葉:いまいち、どこに向かってるのか、わからないんだよね。
湯浅:もう少し長い目で見ていてもらえるとうれしいです(笑)。
(2014年1月14日、もやい事務所にて)
2014年5月14日