社会の「安心」を取り戻すために

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昨年(2008年)秋、アメリカ発の金融危機をきっかけに世界同時不況が発生したことは、日本国内でも多くの人々の生活に影響を与えています。

その中でも真っ先に打撃を受けたのは、1990年代以降に広がった非正規雇用の労働者です。10月以降、日本を代表する製造業メーカーが相次いで「派遣切り」を行い、大量の失業者が生まれています。

昨年10月から今年3月までに失職する非正規労働者は、厚生労働省の推計(2月末発表)で157806人。業界団体によると、製造業の派遣・請負労働者だけで約40万人にのぼるという推計もあり、3月末までにこの数がどこまで膨らむか全く予測ができない状況にあります。

生活困窮者の相談を続けてきた、私たち<もやい>への相談件数もこの間、倍増しており、現在では月100件を超える数になっています(メールや電話によるものを含めると月200件近く)。特に派遣会社の寮に住み込んでいたために、仕事と住まいを同時に失った人々の生活状況は厳しく、「何日も食べていない」、「所持金が数十円しかない」という方が次々と駆け込んで来られるという状況になっています。

行政の対策も、厚生労働省が12月より緊急に雇用促進住宅(もともとは1960年代、炭鉱離職者のために用意された住宅)の活用を始めましたが、首都圏の活用できる住宅はすぐに埋まりました。東京都と23区が以前から設置している路上生活者向けの「緊急一時保護センター」も常に満床状態が続いており、希望者が全然入れない状況にあります。最後の頼みの綱である生活保護制度も、宿泊施設が不足していることを背景に「受け皿がないから申請を受けられない」という不当な対応が窓口で見られるようになっています。

そんな中、年末年始に労働組合と法律家などが中心となり、東京・日比谷公園で開催された「年越し派遣村」には大きな社会的反響がありました(<もやい>は事務局長の湯浅が「村長」を務めたものの、団体としては参加しておらず、各メンバーは日比谷だけでなく、新宿・池袋などで各野宿者支援団体がおこなった越年活動にボランティア参加していました)。日比谷公園にはたくさんのボランティアが集まり、炊き出しなどの作業を手伝ったほか、全国から衣類や食料など大量の支援物資や多額のカンパが集まりました。日比谷公園に用意したテントがすぐに一杯になってしまったため、厚生労働省が講堂を一時避難場所として開放し、年明け1月5日には東京都がその後の緊急施設を用意するなど、行政側も迅速に対応しました。

しかし一方で、「もともと野宿をしていた人が派遣村に入っていたのはおかしい」というような批判をする人もいました。これは生活困窮者を区別することなく支援してきた私たちからすると全く理解できない議論です。「派遣切り」の被害者も、「ネットカフェ難民」も、路上生活者も、年齢や職種、直前の居所などはそれぞれですが、「ワーキングプア(働く貧困層)や失業状態であるがゆえにハウジングプア(住まいの貧困)に苦しんでいる」という状況は全く変わりません。それゆえ、これらの人々の問題を分けるのではなく、同じ生活困窮者の問題として取り組んでいくことが必要とされているのです。

行政の対策も現状では、「派遣切り緊急対策」、「ネットカフェ難民対策」、「路上生活者対策」が統合されず、別々の窓口でおこなわれているため、複数の窓口をたらい回しにされる人が跡を絶ちません。「派遣切り」により失職した人々にはハローワークの窓口で当面の生活費や住宅確保のための費用を融資する制度も導入されましたが、もともと日雇いの建築労働や日雇い派遣などの不安定な仕事に就いていたためにネットカフェ生活や路上生活を余儀なくさせられていた人たちはこの制度を利用することができません。このことに対して当事者の間からは「職業差別ではないか」という声があがっています。

「派遣切り」の問題や「ネットカフェ難民」の問題が明らかにしたのは、「仕事」と「住まい」という私たちの暮らしを支える2つの基盤が弱体化してしまっている社会の現状です。1999年と2003年に労働者派遣法が改訂され、従来は専門職にのみ認められていた派遣労働がほとんどの業種で認められるようになったことは、非正規雇用の割合を増やす要因になり、大量のワーキングプア(働く貧困層)を生み出しました。一方、住宅の領域でも、公的住宅の新規建設がストップされたり、民間賃貸住宅市場において家賃保証会社などが大家に代わって入居者を追い出すなど、ハウジングプア(住まいの貧困)の問題が深刻化してきました。その結果、自分の住まいを確保できない人々は、仕事と住まいをセットで提供する派遣会社の寮に入るか、ネットカフェなどでの生活を選択せざるをえなくなったのです。

この間の「派遣村」や生活困窮者を支援する活動に対する多くの方々のあたたかい支援は、市場経済至上主義によってズタズタにされていた「社会のつながり」の再生を感じさせるものでした。私たちはさらにその先に、本当の意味で「すべての生活困窮者」を受け止めることのできるセーフティネットの構築をめざしていきたいと考えています。「安心して働ける仕事」と「安心して暮らせる住まい」をすべての人たちの手に取り戻すために、ぜひ多くの方のご注目・ご支援をお願いいたします。

(2009年2月、浄土真宗本願寺派東海教区会報に掲載)

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