【追記あり】山本太郎さんは「ホームレス」ではない~システムの内側から変革するために
※山本太郎さんから返信をいただいたので、末尾に追記しました。合わせてご覧ください。
路上生活者を支援するための夜回りをしていると、時折、路上のゴミ箱に手を突っ込んで、食べられる食料を探している人に出会う。そんな時、私はいつも声をかけていいものかどうか迷ってしまう。
こうした行為を、当事者は「エサ取り」、「エサ拾い」と呼んでいる。
自らの生命をつなぐための食べ物を「メシ」ではなく、「エサ」と自嘲的に呼ぶこの言葉を聞くたびに、私は野宿をせざるをえない人たちの傷つけられた自尊心を垣間見るような気がしている。
ファストフード店などでは、食料を廃棄する際、わざとタバコの吸い殻を混ぜて食べられない状態にして出す店が少なくない。
以前、新宿の路上で話をした70代の男性は、ハンバーガーショップが廃棄したタバコの灰まみれのバンズを水に浸していた。なぜそういうことをするのかと聞くと、水でふやかした後で、灰に汚れた皮の部分を丁寧にはがして、段ボールの上に置いて乾かし、そのあと、口に入れるのだと教えてくれた。
最近も、20年以上、路上生活を経験した高齢者から「お恥ずかしい話ですが、ひもじい時は猫のエサを食べてましたよ」という話を聞いたばかりだ。何日も食事ができない時は、猫のボランティアをしている人が墓地や公園に置いていったキャットフードに手をつけざるをえない時もあったという。
ホームレス状態にある人の全てがこのような極限の貧困状態にあるわけではないが、ホームレス支援の活動をしていると、こうした「絶対的貧困」とも言えるエピソードを聞くことは珍しくない。
だが、こうした貧困の実態は世間の人々にはほとんど知られていない。
私がホームレス支援活動を始めた1990年代に比べると、人々の理解も進んできたものの、未だに「ホームレス」を「好きでやっている」、「気楽でいい」とレッテル貼りをしたり、ジョークのネタとして使う風潮はなくなっていない。
山本太郎さんへのメール
なぜこういうことを書いているかと言うと、山本太郎さんが参議院選挙後の7月23日にSNS(Twitter、Facebook)で以下のようなコメントをしたからだ。
私はこれまでホームレス支援の現場で、何人もの国会議員の視察やボランティア参加を受け入れてきたが、歴代の国会議員の中で最もホームレス支援に熱心であったのは山本太郎さんであると断言できる。
その山本太郎さんが軽口のように「ホームレス」を自称するのは、大きなショックであった。
そこで、私は山本太郎さんに以下のメールを送った。
山本太郎様
6年間の議員活動お疲れさまでした。
生活保護や住宅政策の分野では私も質問作りに協力させていただきましたが、貧困現場を踏まえ、政府に対策を迫る質問は大変心強かったです。
また、今回の選挙戦も、この社会で肩身の狭い思いを強いられてきた人たちに希望を与えるものでした。それだけに、Twitterでの「44歳、無職、ホームレス、頑張るぞ!」という発言は残念でなりません。
「議員をやめれば、ホームレス」は自民党議員の鉄板のネタで、私はホームレス対策について真剣な議論をしている時に、彼らがそう言って笑うのを何度も見てきました。この言葉は、路上生活の過酷な現場を知っている人は言えないはずの言葉だと思います。
政治的な影響力が大きくなっても、山谷や渋谷などでの炊き出し、「つくろいハウス」での緊急支援の現場で見てきたことを忘れないほしいと願います。
よろしくお願いいたします。2019年7月24日
稲葉剛
この原稿を書いている時点(7月27日午後)で、山本太郎さんからの返信は来ていない。
このコメントはジョークではなく、彼自身、今回は落選をしたために議員事務所を片づけたり、議員宿舎から退去しなければならなくなり、今後の自分の住まいの確保を含め、大変な状況なのではないか、と言っている人もいた。
そうかもしれないと私も思う。しかし、そうであったとしても、経済的に困窮し、人間関係においても頼れる人がおらず、路上やネットカフェで寝ざるをえない状態からは、ほど遠いであろうと私は推察する。
ホームレス状態にある人のほとんどは、住所だけでなく住民票も失っている。選挙の投票権は住民票にひもづいているため、ホームレスの人たちは投票権を実質的に剥奪されている。
ホームレスの人の中には山本太郎さんたちの演説を路上で聞いて共感をした人もいたかもしれないが、その人たちは投票に行くことができない。その意味を受け止めていれば、こうした軽はずみな発言はできないはずだ。
お忙しい時期だと思うが、山本太郎さんからの返信を心待ちにしている。
システムから排除されている者という自己認識
ここから先は私の邪推かもしれないが、メールを出した後、山本太郎さんが自らを「ホームレス」になぞらえるのは、自民党議員のように自分は絶対にそうならないとわかっていて発するジョークなのではなく、自らを「システムから排除されている者」と位置付けているからなのではないだろうか、と思うようになった。
私が企画した貧困問題に関する院内集会に彼は何度も参加してくださっている。
今年6月に開催した住まいの貧困に関する院内集会でも、彼は最後まで熱心にメモを取りながら参加してくれた。
そういう場で発言をする際、山本太郎さんはよく「野良犬」を自称していた。
「ホームレス」発言はその延長線上にあるように思える。
その関連で興味深いのは、れいわ新選組の候補者であった安冨歩さんが書いた以下の記事である。
ここで安冨さんは、「人間同士の関係、すなわち『縁』が腐れ縁になってしまったとき、その縁を断ち切って離れるのは当然だ、という人類普遍の感覚」を「無縁の原理」を呼び、「この無縁の原理こそが、現代社会の抑圧を打ち破る力を我々に与える、と私は考える。山本太郎氏は、自らを『野良犬』『永田町のはぐれ者』といったように表現することがあるが、これは自らの無縁性を自覚しているからだと考える。」と述べている。
その上で安冨さんは、れいわ新選組は、「政党」でも「左派」でも「ポピュリスト」でもなく、「無縁の原理を体現しており、山本太郎氏や私を含めた候補者は、無縁者の集まりであった」と表現している(※)
記事の中で、安冨さんは「これは私自身の見解であり、山本太郎氏の見解とも異なっているはずであり、ましてや、れいわ新選組を代表するものでは決してない。そもそも、この文書は、れいわ新選組関係者の誰にも見せずに、公開している。」と言っているので、その点は留保したいが、この「無縁者の集まり」という表現は、外から今回の選挙戦を見ていた者としてもしっくりする言葉である。
この記事を読んだ私の感想は、「これは新撰組というより、梁山泊だなあ」というものであった。自分が参加してきた数々の社会運動の立ち上げ段階において、「無縁者の集まり」が力を発揮してきたことも思い出し、「無縁の原理を体現した無縁者が集まって、事をなす」という考え方に、懐かしさに似たシンパシーを感じた。
だが、こうした社会運動としての魅力が、政党として求められる責任や持続可能性と両立しうるのか、という点に疑問を持ったのも事実である。
安冨さんご自身は、今後、政党となったれいわ新選組に参加するのかどうか、存じ上げないが、れいわ新選組が政党要件を満たし、政党助成金を受領する政党となってからも、こうした原理を維持することができるのか、維持することが良いことなのかは、議論に値するだろう。
政党でも社会運動団体でも、財政規模が大きくなり、雇用する人が増えれば、組織としてのコンプライアンスを求められることになり、対外的な責任も増していく。そうなれば、無縁の原理とは異質な組織原理を持ち込まざるをえなくなるのではないだろうか。
障害者運動の経験に学んでほしい
同じことは代表である山本太郎さんについても、言えることだろう。
「野良犬」や「ホームレス」に自らをたとえながらも、今や山本さん自身は6年の実績を持つ政治家であり、政党要件を満たす政党の代表である。
選挙権を行使できない実際のホームレスの人たちとは、全く違う立ち位置にいることを自覚してほしい。
山本太郎さんはこれまで自らをシステムの外側にいる存在だと位置づけ、外側からシステムを告発するというスタイルの運動を展開してきたと、私は理解している。
しかし、今回の選挙戦でシステムの厚い壁に穴を開け、システムを内側から変えうる存在になったと私は考えている。
その変化を踏まえるのならば、自らはシステムの外側にいる存在であるという自己認識を変えなければならない。
内側にいるのに、外から石を投げているポーズを取れば、人気は取れるかもしれないが、それは欺瞞である。
ヒントになるのは、今回、山本さんが共闘した障害者運動の経験であろう。
システムの外側からの告発に始まった障害者運動は、当事者主体の自立生活運動へと発展し、国のシステム変更にも大きな力を持つ存在となっている。
今回、当選した舩後靖彦さんと木村英子さんが早速、参議院をバリアフリー化させたのは、当事者運動の長年の成果である。
私が言うまでもないのかもしれないが、障害者運動の経験に学んだ上で、システムを内側から変えていくには、どのような言葉と戦略が必要なのか、ぜひ考えていただきたいと願っている。
※れいわ新選組が「左派ポピュリズム」なのかどうかについては、この間、様々な人が議論をしている。「ポピュリズム」の定義もさまざまあるようなので、ここではその議論には立ち入らない。
【7月28日追記】山本太郎さんから返信をいただきました。
7月28日、山本太郎さんよりメールの返信がありました。
実際に住まいの確保の問題で困っているというご事情とともに、「稲葉さんのご指摘、ごもっともです。今日を生きることも厳しい人々と、国会議員として落選したばかりの私を、同列で語るかのような言葉選びには配慮がなかった、と反省いたします。申し訳ありませんでした」とのことでした。「住まいは権利」について今後も深めていきたいという言葉もいただきました。
真摯な対応に感謝いたします。今後とも意見交換を続けていきたいと思います。
2019年7月27日