生活保護問題:困窮者実情踏まえ議論を

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生活保護制度が揺れている。「高額所得者の芸能人の母親が生活保護を受給」という報道に端を発した騒動は、親族の扶養義務と公的な援助の関係をめぐる議論に発展した。小宮山洋子厚生労働大臣は、生活保護受給者の親族が受給者を扶養できない場合、親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す制度改正に言及し、自民党の生活保護に関するプロジェクトチームは親族の扶養義務を徹底させる生活保護法改正案を今国会に提出するとの方針を固めた。「公金からの不適切な支給はけしからん」という世論の後押しもあり、短期間のうちに制度改正が決まってしまいそうな勢いである。

しかし、生活に困窮した人々の状況に触れたことのある者ならば、今回の扶養義務強化をめぐる動きが福祉の現場を踏まえない乱暴な議論であることがわかるであろう。

私がこれまで関わった方々の中には、扶養義務に基づく親族への連絡がネックになり、生活保護の申請をあきらめかけていた人が多くいた。私たちは虐待やDVに関連する事例では扶養義務を強調したり、親族への連絡を行わないよう役所に要請しているが、一人で窓口に行って以下のような対応をされた人も少なくない。(個人情報保護のため、複数の方の話を組み合わせている)。

Aさん(二〇代男性)。大学卒業後、正社員として就職するが、過労によりうつ病を発症して退職。実家に戻り療養生活に入るが、両親はうつ病を理解できず、「働かざる者喰うべからず」と連日罵倒される。ついには食事も与えられなくなり、栄養不良状態に。家を出て、福祉事務所に相談に行くが、実家に戻って養ってもらうように言われた。

Bさん(三〇代女性)。職場の同僚と結婚していたが、連日暴力を振るわれた。自分の貯金を引き出して家出し、ビジネスホテルを転々としている。所持金が尽きそうなので、福祉事務所に相談に行くが、「公的機関でのDV相談の記録がなく、DV被害者だと言えるかどうかわからないため、配偶者に扶養照会する」と言われたため、申請を断念。

現行制度でもこうした不当な対応があるのだから、扶養義務が強化された場合、親族から虐待や暴力を受けた経験のある人たちは、役所が親族に連絡することを怖れ、窓口に相談にすら行かなくなるだろう。その先にあるのは、最悪の場合、困窮による餓死や自死、孤立死である。生活保護制度が最後のセーフティネットである以上、それを利用できるかどうかは生命に関わる問題だからだ。

また、虐待などの経験がない人であっても、「家族に迷惑をかけたくない」という意識から生活保護申請を控える人は多い。私は「きょうだいに知られたくない」という理由で生活保護申請をためらっている70代の路上生活者を何人も知っている。こうした人々もますます福祉の窓口から足が遠ざかってしまうだろう。

一九五〇年に制定された現行の生活保護法には、親族による扶養は「保護に優先して行われるものとする」との規定があり、旧生活保護法のように扶養を「保護の要件」とはしていない。この制度改正には、現代社会において親族間の扶養を過度に強調することは時代錯誤的であり、先進国としてふさわしくないという当時の政府の認識があった。今回の動きは、六〇年以上も前に時計の針を逆戻りさせようとするものである。例外的な事例をもとにムード先行で議論を進めるのではなく、生活困窮者の実情を踏まえた冷静な議論を求めたい。

(2012年6月、共同通信配信「識者評論」欄に掲載)

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