【中野区役所新庁舎問題】生活保護世帯を区民サービスから排除するな。パブコメ提出のお願い(9月1日まで)

提言・オピニオン

生活保護ケースワーク業務の違法な外部委託に続き、中野区でまた大問題が発生しました。
中野区が区役所の新庁舎などの整備に関する計画案を発表し、9月1日(水)までパブリックコメントを募集しています。
その中で、新庁舎には生活保護担当課だけが入れず、道路を隔てた社会福祉会館(すまいる中野)に移されることが明らかになりました。

中野区区有施設整備計画
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d030169.html
中野区区有施設整備計画(案)(PDF形式:6,990KB)
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d030169_d/fil/8.pdf

区有施設整備計画(案)のP45に以下の記述があります(画像参照)


● 多様化・複雑化する生活相談に対応するため、生活相談・自立支援窓口は区役所新庁舎に配置し、庁内窓口や社会福祉協議会、すこやか福祉センター等との連携強化を図る。
● また、生活保護受給者の増加に伴うケースワーカーの増員に対応するため、生活保護窓口は社会福祉会館に配置する。

この計画案では、生活保護の手前で生活困窮者への相談支援をおこなう生活困窮者自立支援制度の窓口は新庁舎に設置されるものの、生活保護の決定後の相談や保護費の支給などは新庁舎ではなく、社会福祉会館で行なわれることになります。
生活保護の担当課だけが新庁舎から排除される理由は「ケースワーカーの増員に対応するため」とされていますが、「生活保護利用者には新庁舎に来てほしくない」という差別的な意図があるのではないかと私は疑っています。
この計画案を止めるため、9月1日(水)までにパブコメを送っていただくことをお願いいたします(メールでもOKです)。
以下は、私が送ったパブコメの文章ですので、ご参考にしてください。「修正理由」は短くても構いません。

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「中野区区有施設整備計画(案)」に係るパブリック・コメントの募集について
https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d030940.html

中野区区有施設整備計画(案)へのパブリックコメント

*氏名:稲葉剛

*ページ番号 区有施設整備計画(案)のP45

*意見
2-2 「社会福祉会館・区役所新庁舎における生活援護機能の再編」について、生活保護担当課のみ区役所新庁舎ではなく社会福祉会館に移すという計画を撤回し、生活保護担当課も新庁舎内に移してほしい。

*修正理由

・計画案では、生活困窮者自立支援制度の担当課は新庁舎内に設置され、生活保護の担当課は社会福祉会館に移されることになっていますが、厚生労働省は各地方自治体に対して、この2つの制度は相互に連携して運用するように求めています。2つの担当課が別々の建物に設置されることになれば、両者の連携が取りにくくなり、結果的に利用者にしわ寄せがいくことが懸念されます。区役所の現庁舎同様、この2つの担当課は同一フロアに設置されるべきです。

・中野区は「新しい区役所整備基本方針」(2014年1月)において、「ワンストップ・クイック型サービスの充実」により区民サービスを向上させるという方針を提示しており、「新しい区役所整備基本計画」(2016年12月)では「新しい区役所は、障害のある方、高齢の方、お子様を連れた方、外国の方など、来庁したすべての方が不自由なく手続きや相談ができる、利便性の高い区役所とします。」という基本的な考え方が示しています。生活保護を申請した人は保護の決定後も、担当ケースワーカーと相談しながら、住民票手続きをおこなったり、高齢者福祉、障害者福祉、子育て支援等の相談をおこなうこともありますが、こうした場合、利用者は車道を隔てた2つの建物を行き来せざるをえなくなります。生活保護世帯の約8割は高齢者世帯及び障害者・傷病者世帯であり、移動により多大な不便を強いられることになります。言うまでもなく、生活保護利用者も区民であり、区のめざす「ワンストップ・クイック型サービス」を利用できるような設計にすべきです。

・生活保護担当課のみを新庁舎から排除するのは、差別の意図の有無にかかわらず、生活保護制度への社会の偏見や無理解、制度利用者への差別を助長しかねません。コロナ禍で生活困窮者が増加していることを踏まえ、厚生労働省は昨年から「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」という広報を強化しています。中野区が生活保護担当課のみを別の場所に移すという方針を強行すれば、「中野区は生活保護利用者を新しい庁舎に入れたくないと考えている」という憶測が広がることになり、その結果、生活保護利用者が今以上に肩身の狭いをしたり、困窮している人が申請をためらう事態になることも想定されます。早急な見直しを求めます。
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※パブコメは、「中野区に住所、勤務先、通学先のある方、中野区に事業所や事務所のある個人又は団体、案件に直接利害関係を有する方(利害関係を有する理由を記入していただきます)」が送ることができます。

上記にあてはまらない方は、「中野区に事務所がある一般社団法人つくろい東京ファンドを応援している市民」という記載でも大丈夫です。

急な話ですみませんが、ご協力よろしくお願いいたします。

過去に少なくとも27人が死亡。野宿者への差別襲撃をなくすために

提言・オピニオン

私も運営委員として参加している「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」が作成して、全国各地の学校で上映してきた映像教材「『ホームレス』と出会う子どもたち」が期間限定(9月30日まで)で無料公開されました。

 

 

この映像は、全国各地で頻発する野宿者への襲撃事件をなくすことを目的に、野宿者への差別・偏見を解消するための教材として制作されました。
先日も、人気ユーチューバーによるホームレスの人たちへの差別発言が社会問題になりましたが、私はこうした発言が野宿者への差別襲撃を扇動しかねないことに大きな危機感を抱いています。
1980年代以降、全国各地で野宿者への襲撃事件により亡くなった方の人数は、確認できただけで27人にのぼります。襲撃を受けた被害者が怪我や物的損害を負った事件の件数は把握できませんが、この何十倍にものぼると推察されます。
襲撃による死亡者の人数を時系列でまとめると、下記の通りになります。

1983年 3人(横浜市)
1995年 2人(東京都北区、大阪市)
1996年 2人(渋谷区、東京都北区)
2000年 3人(墨田区、大阪市、練馬区)
2001年 1人(大阪市)
2002年 4人(東村山市、名古屋市、熊谷市、名古屋市)
2003年 4人(世田谷区、水戸市、名古屋市、江東区)
2005年 2人(墨田区、姫路市)
2006年 1人(岡崎市)
2008年 1人(府中市)
2009年 1人(世田谷区)
2012年 1人(大阪市)
2020年 2人(岐阜市、渋谷区)

襲撃事件による被害者の数は、全国的に野宿者数が増加し始めた1990年代半ばより増え続け、全国の野宿者数がピークに達した2000年代初頭に最も多くなっています。発生地域は野宿者の多い大都市部(東京、名古屋、大阪)が大半を占めています。
その後、事件の発生件数は減っていきますが、その背景には官民の支援策により野宿者数が減少に転じたこと、一部地域で襲撃をなくすための教育現場での取り組みが始まったことがあると見られます。

【関連記事】東京都墨田区で野宿者襲撃が10分に1に減少(2014年10月17日)
http://inabatsuyoshi.net/2014/10/17/1124

それでも、2014年に東京都内のホームレス支援団体が合同で実施したアンケート調査では、野宿者の4割が襲撃をされた経験があると回答しています。

 

【関連記事】野宿者襲撃の実態に関する調査結果を発表。都に申し入れを行いました。(2014年8月14日)
http://inabatsuyoshi.net/2014/08/14/926

2012年の大阪での事件を最後に、7年半、被害者が死亡する事件は起こっていませんでしたが、昨年(2020年)は岐阜と東京で被害者が死亡する事件が発生しています。
コロナ禍の影響で、新たに住まいを失う人は増加傾向にあるため、今後も予断を許さない状況にあると私は懸念しています。

下記の年表は、ホームレス問題の授業づくり全国ネットが作成した野宿者襲撃・略年表の中から被害者が死亡した事件のみを抜粋し、一部を加筆・修正したものです。

野宿者襲撃・略年表(ホームレス問題の授業づくり全国ネット)
http://hc-net.org/about/history/

同ネットの略年表は、長年、襲撃をなくすための授業実践に取り組んできた生田武志さんのホームページが元になっています。

野宿者襲撃・年表 2000~(生田武志さんホームページ)
http://lastdate.verse.jp/attackchronicle.htm

これらの年表は、主に当時の新聞報道をもとに作成したもので、事件後の審判・裁判結果などの詳細を確認できなかったものもあります。
ぜひご一読いただき、こうした襲撃事件をなくすために何が必要なのか、一緒に考えていただければと思います。

【野宿者襲撃・略年表(抜粋版)】

1983年
■2月5日 横浜市
横浜市・山下公園で野宿していた須藤泰造さん(60)を、市内の中学生5人をふくむ14歳~16歳の少年10人が襲い、殴る蹴る、ゴミかごに投げ入れて転がすなどの暴行を加えて逃走。須藤さんは内臓破裂などで2日後に病院で死亡。少年らは前年12月から「浮浪者狩り」をくり返しており、事件の直前にも横浜スタジアムで野宿者9人を次々と襲い、2月までに計13人に重軽傷を負わせたとされる。
同時期にほかに2人の野宿者が殺害されているが、犯人は特定されず未解決のまま。少年たちは「ゴミを掃除しただけ」「逃げまわる姿が面白かった」「スカッとした」などと話したといい、社会に大きな衝撃を与えた。
なお、この事件は当時、「横浜浮浪者襲撃事件」と呼ばれていたが、「浮浪者」という言葉は差別的な意味合いを持つため、現在は使用されなくなっている。

1995年
■10月15日 東京都北区
午前4:05頃、東京都北区で公園のベンチに寝ていた野宿者の佐藤博忠さん(69)が、暴行を受けて死亡。同区に住む無職少年(17)ら3人が、10分間にわたって殴る蹴るの暴行を加え、内臓破裂で死なせた疑いで、11月に逮捕された。少年たちは、たまり場にしている児童公園のベンチに寝ていた佐藤さんを「むこうに行け」と起こし、佐藤さんが抵抗せずに立ち去ろうとすると「無視するとはなにごとだ」と追いかけたという。

■10月18日 大阪市
午前8時半頃、大阪市中央区の道頓堀川にかかる戎橋で寝ていた野宿労働者の藤本彰男さん(63)が、通りかかった若者(24)に川に落とされ死亡した。当初、若い男2人が抱えて川に投げこんだ事件とされたが、共犯とみなされた友人の男性は冤罪で、99年一審判決で無罪判決、2000年控訴審で無罪が確定。
主犯の若者は99年控訴審で、懲役4年の実刑判決が確定。裁判長は「友人と共謀して川に投げこんだ」という供述は「取調官の誘導によるもの」と断定し、「2人で投げこんだ」とする一審判決(懲役6年)を破棄。検察側も上告せず、刑が確定した。

1996年
■5月24日 東京都渋谷区
午前1時すぎ、東京都渋谷区の代々木公園で、ベンチに寝ていた野宿者の今井一夫さん(46)と近くにいた男性(34)が少年グループに襲われ、16~17歳の私立高校生や無職少年6人が、のちに逮捕された。今井さんは頭を強く打ち、収容先の病院で8月に死亡。男性は1か月の重傷。少年たちは2つのグループで、「相手のグループに見下されるのがいやでやってしまった。無抵抗で、そのときは面白かったが、あとになって大変なことだとわかった」などと話したという。また野宿者を「虫けら」にたとえて、襲撃を「ケラチョ狩り」と呼んでいた。

■7月12日 東京都北区
午前4時頃、東京都北区の赤羽公園で、野宿生活の男性(62)が、少年5人に襲われ、意識不明の重体となり1か月後に死亡した。同区内に住む都立高校1年生ら15~16歳の少年5人が逮捕される。公園内で酒を飲んで話していたところ、たばこの火を借りに近よってきた男性に「生意気だ」などと因縁をつけ、頭などに殴る蹴るの暴行を加えた。近くで寝ていた別の男性2人も殴られ負傷した。少年たちは「ホームレスはゴミみたいに汚い」「地元の住民のためによくない」などと供述したという。

2000年
■6月15日 東京都墨田区
東京都墨田区と中央区にかけて夜間、連続して野宿者が襲撃される。金属バットで頭を殴られたり、襟首をつかまれ約30メートル引きずられた人もいた。墨田区亀沢の高架下で寝ていた小茂出清太郎さん(68)が内臓破裂などで死亡。3人が負傷。
7月26日に大学生(18)、アルバイト店員(19)、会社員(20)の3人が逮捕。「日々の生活にいらいらしていた」「殴るとスカッとするのでストレス発散のためにやった」などと供述。

■7月22日 大阪市
午前4:25頃、大阪市・JR天王寺駅前の路上で、野宿者の小林俊春さん(67)が、寝ていた段ボールの囲いに自転車でつっこまれ、殴る蹴るの暴行を受け、出血性ショックで死亡。8/1、同年1月頃から大阪城や天王寺公園付近を中心に、20件以上の野宿者襲撃をくり返していた格闘ゲーム仲間の高校生3人(15~17)とアルバイト店員(20)の男が逮捕される。「野宿者には暴行してもばれない」「ゲームの技を使ってノックアウトするまでやりたかった」などと供述。20歳の男は一審で懲役4年6か月の判決を受けた。

■8月27日 東京都練馬区
午後7:30頃、東京都練馬区の児童公園で野宿していた男性が、殴られ、殺される。公園で花火をしていた若い男女が、男性から注意されたところ、若い男が暴行を加えたという。男女はそのまま立ちさった。

2001年
■9月18日 大阪市
午前3:40頃、大阪市天王寺区の路上で、野宿者の棚橋健志さん(53)が顔を蹴られて転倒、後頭部を強く打ち、2日後に死亡した。9/20、中学3年の男子生徒(15)が出頭し傷害致死容疑で逮捕された。

2002年
■1月25日 東京都東村山市
東京都東村山市のゲートボール場で、野宿していた鈴木邦彦さん(55)が、夜間3度にわたって、地元の中学2年生4人と高校2年生2人の少年たちに暴行され、角材やビール瓶で殴られるなどして全身に打撲を受け、外傷性ショックで死亡した。事件の前日、中学2年生の少年3人は、同市内の図書館で騒いでいたのを、鈴木さんに注意されたことに腹を立て、図書館の前で小競りあいになっていた。翌25日、鈴木さんが寝泊りしているゲートボール場をつきとめた少年らは、同日午後6時頃と同7時頃に鈴木さんを襲って暴行。その後、塾に行く少年がいたためいったん引きあげ、再び合流。同9時20分頃から、高校生らも加わり、約1時間半におよぶ暴行を加えた。「謝れ」「お前が先に手を出した」などと少年らが叫んでいるのを別の野宿者男性が聞いている。
警視庁と東村山署は27日までに、出頭してきた同市立中学2年の男子生徒4人のうち、14歳の3人を傷害致死容疑で逮捕、13歳の1人を児童相談所に通告。少年らは「図書館で騒いでいたことを鈴木さんに注意されたので仕返しした」などと供述し、泣いたり「許してください」とわびたりする少年もいたという。14歳の3人は起訴されず、少年院送致。高校2年の2人は起訴され、それぞれ懲役2年6か月以上5年以下、懲役3年以上5年6か月以下の実刑判決を受け、少年刑務所に送致された。

■8月13日 愛知県名古屋市
午前2時すぎ、名古屋市中村区の公園で、野宿生活をしていた大橋富夫さん(69)が、若い男4人に暴行を受けて死亡。

■11月25日 埼玉県熊谷市
午後9時半頃~10時半頃、埼玉県熊谷市の路上で、同市立中学生2年の男子3人(いずれも14)が、野宿生活者の井上勝見さん(45)の頭や腹などを現場に落ちていた角材や水道管で殴る蹴るの暴行を加え、翌26日に急性硬膜下血腫で死亡させた。地検は12月20日、14歳の少年3人を、傷害致死の非行事実で家裁に送致。3人とも「少年院送致が相当」とする意見をつけた。少年審判の結果、3人は初等少年院送致となった。被害者の井上さんは1年ほど前から同市北部地域を転々と歩き回り、「おにぎりください」「あたたかいものください」などと物乞いしながら生活していた。
事件の2か月以上前の9月上旬、主犯の少年の家に井上さんが物乞いに訪れたことがあり、少年の父親は「出て行け」とどなって追い返した。その頃から少年は井上さんを暴行するようになり、つばを吐いたり、自転車に乗りながらとび蹴りを加えたりし、やがて別の少年も誘っていっしょに石を投げたりするようになった。
逮捕後、3人はいずれも「死ぬとは思わなかった」と話し、「ごめんなさい」と泣き続けた。少年審判で、少年の1人は「友だち以上にやることが強さだと思った。やらなければ男じゃないと思った」、別の少年は「いっしょにいてやらざるをえなかった。やらないと仲間はずれになると思った」と述べた。

■12月4日 愛知県名古屋市
午前0時すぎ、名古屋市中川区のガード下で、吉本一さん(57)が、若い男3人組にいきなりスプレーをかけられ鉄パイプで殴られ病院に運ばれたが、肺挫傷などで死亡した。

2003年
■2月5日 東京都世田谷区
午後7:50頃、東京都世田谷区の公園で寝ていた60歳くらいの男性を、中学3年の男子(15)がナイフで刺し、死亡させる。

■2月11日 茨城県水戸市
茨城県水戸市の橋下で、高校3年の女子生徒(18)をふくむ男女4人が、野宿生活をしていた海老根治さん(34)の頭や顔に暴行を加え殺害。「いっしょに酒を飲んでいたところ口論になり、服を脱がせて川に落とした」と供述。

■4月17日 愛知県名古屋市
午後10時頃、名古屋市の港北公園で、野宿者2名が数名の若者に暴行を受け、小笠原秀男さん(65)が死亡した。

■6月18日 東京都江東区
午前1時頃、東京都江東区の旧中川で、野宿者の東保起さん(64)が水死する事件が起こる。翌04年1月、東さんを強引に川に飛びこませて死なせたとして、同区に住む16歳の無職少年2人が逮捕された。調べによると少年2人は、東さんを無理やり川岸へつれていき、顔面を殴り「川に飛びこめ」と命令。いやがる東さんに石や鉄板を投げて川の深みへ追いこんだ。警視庁は当初、事件性がないと判断し、司法解剖もしていなかった。が、現場を目撃したほかの野宿者らの証言などから捜査。2人は03年4月頃から野宿者への暴行事件を10数件起こしており、「人間のくずなので、死んでもいいと思った」などと容疑を認めたという。

2005年
■7月13日 東京都墨田区
東京都墨田区・大横川親水公園の遊歩道で、香取正光さん(64)とみられる野宿生活の男性が襲われて死亡。死因は失血死で、左側頭部が陥没し大量に出血していたほか、肋骨が折れていた。16日、定時制高校の生徒で、同区内の少年(19)と江東区内の青年(20)が殺人の疑いで逮捕された。2人は午前3時半頃、仲間と酒を飲んで帰宅する途中に被害者を見つけ、襲撃したという。事件直前の12日は前期試験の最終日だった。

■10月22日 兵庫県姫路市
午前4:15頃、兵庫県姫路市の夢前川にかかる橋げたの下で寝泊りしていた雨堤誠さん(60)が、少年グループに火炎瓶を投げこまれて焼死した。雨堤さんは足が不自由で逃げ遅れたとみられる。翌06年3月、中学3年の男子(15)、高校3年の男子(18)、無職少年2人(ともに16)の4人が逮捕された。
家裁は同年5月、当時18歳の少年を「主導的役割を果たしており、刑事処分が相当」として検察官送致(逆送)し、地検が起訴。ほかの3人は初等・中等少年院送致とした。殺人罪などに問われた少年は、ほかの少年らと空き瓶にガソリンを入れて火炎瓶をつくり、雨堤さんの寝床に投げこんだことは認めたものの「なかに人がいるとは思わなかった」と殺意を否認。07年1月判決公判で、地裁は「人が死亡するにいたるかもしれないことを認識していた」として少年の未必の殺意を認定、懲役5年以上8年以下の不定期刑をいい渡した。

2006年
■11月 愛知県岡崎市
愛知県岡崎市内で連続して11件の野宿者襲撃事件が発生。11/19には、乙川河川敷で野宿生活していた花岡美代子さん(69)が金属パイプなどで顔や体を殴られ、失血死で死亡した。逮捕された市内の中学2年の男子生徒3人(いずれも14)は、少年の1人の自宅に居候していた無職の男(28)と共謀し、金品を奪う目的で花岡さんを襲ったとして、強盗致死の非行事実で少年院送致となる。少年2人は不登校、貧困で家庭環境が複雑な少年もいた。少年らを指示したとされる28歳の男は、10月に失職しホームレス状態だった。一連の襲撃事件への関与を認めたうえで、弁護側は「知的障害があり、死亡という結果を予想しえなかった」と殺意を否認。09年4月6日、地裁判決は、未必の殺意を認定し無期懲役をいい渡した。

2007年~2009年
■07年6月19日~09年1月2日 東京都府中市・国立市・世田谷区
2007年6月19日夜から20日未明、東京都府中市の多摩川河川敷で野宿者の男性(64)が頭などを鉄棒や刃物のようなもので10数回殴られ切りつけられるなどし、重傷を負った。
2008年6月20日午前4:25頃、国立市の多摩川河川敷で野宿者の男性(63)が頭部を鉄パイプで殴られ、全治約2週間の傷を負った。
2009年1月2日午後5:30頃、世田谷区内の高速道路高架下で寝ていた近藤繁さん(71)が鉄パイプで殴られ死亡。同年1月3日、多摩市に住む軽度の知的障害がある男性(36)が逮捕。上記3件の事件の殺人未遂および殺人で起訴された。
上記3件の連続襲撃の2件目の事件の8日後にあたる2008年6月28日未明、東京都府中市の中央自動車道高架下の公園で、野宿していた福岡正二さん(74)が何者かに襲われ、頭などを強打されて殺害された。検視の結果、頭部の損傷が特に激しく、死因は頭蓋内損傷の疑い。左脇腹や左腕、下半身など10数か所の切り傷があった。争った跡がないことから、突然襲われて殺害された可能性が高いとみられた。倒れていたベンチ周辺には血痕が多数飛びちり、約2メートルの高さの柱にも5ミリ程度の血のりが残っていた。
36歳男性はこの事件でも再逮捕されたが、地検は「公判を維持できるだけの証拠が集まらなかった」として、この事件については不起訴にした。一審では被告が軽度の知的障害のため、殺意を認定せず傷害致死、傷害とするとともに責任能力を認めなかったため、検察側が控訴。
2011年5月、一審懲役12年判決。12年3月、東京高裁は、3件とも殺意があったと認め、懲役22年の判決(一審破棄)。同年12月、被告側上告棄却、確定。

2012年
■10月13日~14日 大阪市
13日午前3時頃、JR大阪駅高架下で野宿していた富松国春さん(67)が、少年グループに頭や腹を殴られるなどの暴行を受け、搬送先の病院で翌14日、外傷性くも膜下出血で死亡した。ほかにも13日未明から14日未明にかけて阪急梅田駅周辺で、40~80代の野宿者4人があいついで暴行を受け、1人が脳挫傷で入院、3人が負傷した。関与したとされる無職少年2人(16、17)、飲食店アルバイト(16)、鉄筋工(16)が殺人など、府立高校1年生(17)が傷害などで逮捕され、大阪家裁に送致された。少年らは中学校の同級生で、「殺す気はなかったが、殴ったらスカッとするのでやった」「面白半分というかノリで襲った」「死ぬとは思わなかった」などと供述。アルバイト少年の携帯電話には、富松さんのほかに3人の野宿者を暴行する様子を撮影した動画が保存されていたという。
2013年2月1日、大阪家裁は、殺害に関与した疑いの少年4人を検察官送致(逆送)、府立高校生を中等少年院送致の保護処分と決定。2月8日、大阪地検は逆送された4人を殺人などの罪で起訴。裁判員裁判で審理される。2014年3月20日、大阪地裁は4人に対して、殺意は認められないとして傷害致死罪を適用し、全員に実刑判決を言い渡した(2人に懲役5年以上8年以下、1人に懲役5年以上7年以下、暴行に消極的とされた1人に懲役3年6月以上5年以下の不定期刑)。

2020年
■3月25日 岐阜市
25日未明、岐阜市の長良川にかかる河渡橋の下でテント生活をしていた渡邉哲哉さん(81)と69歳の女性に対して、未成年の若者5人組が襲撃。渡辺さんと女性は逃げたものの、少年らは約1キロにわたって石を投げながら追いかけ、土の塊を投げつけた際、渡邉さんの顔面に命中。渡邉さんは転倒して脳挫傷などにより死亡した。一緒に逃げた女性によると、襲撃は3月に入って繰り返されており、命の危険を感じた女性は警察に相談。本気で捜査してほしいと訴えていたが、「犯人といたちごっこになるから、(2人の方が)ここから出て行け」と言われたという。
警察は殺人事件として捜査し、4月23日に5人を逮捕した。5人はいずれも当時19歳で野球仲間だった。5人のうち2人が傷害致死容疑で起訴され、2021年3月25日、岐阜地裁は当時会社員だった元少年に懲役5年(求刑懲役8年)、無職の元少年に懲役4年(求刑懲役6年)の判決を言い渡した。

■11月16日 東京都渋谷区
16日午前4時頃、渋谷区幡ケ谷2の甲州街道沿いのバス停「幡ケ谷原町」のベンチに座っていた大林三佐子さん(64)が、近隣に住む46歳の男性に石などが入ったポリ袋で頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。傷害致死容疑で逮捕された容疑者は「バス停に居座る路上生活者にどいてもらいたかった」と供述したと報道された。事件前日に大林さんに金を渡して移動してもらおうとしたが、断られたことに腹を立てたとみられている。12月11日、東京地検は容疑者を傷害致死で起訴した。

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