メディア掲載
2019年7月10日付け東京新聞「<参院選ルポ>LGBT 行き場失い生活困窮 差別や偏見なくす法整備進めて」という記事に、稲葉のコメントが掲載されました。
<参院選ルポ>LGBT 行き場失い生活困窮 差別や偏見なくす法整備進めて
梅雨空が広がる日曜午後。埼玉県の派遣社員の男性(47)は、東京・新宿二丁目で毎月開かれる同性愛者の交流イベントに参加した。十数人が集まったビル三階の会場。男性が三十代のゲイの友人に声をかけると、「元気そうじゃん」。長野に出掛けたことや、よく行く飲食店などたわいのない話をしながら一時間余を過ごした。
男性は二十代半ばでゲイと自覚した。「同性愛を隠さずにいられる居場所。自分が生きていると実感し、世の中とつながっていると確認できる」と話す。だが、そんな場所は多くはない。
男性は今年一月、派遣先の神奈川県内の工場を辞めた。親しい同僚にだけ、ゲイと打ち明けた直後、その同僚から仕事中に何回も後ろからズボンに手を入れられた。股間を触られそうになり、本人や派遣元の担当者に「セクハラだ」と訴えたが、対応してもらえず職場に居づらくなった。「ばかにされた感じがした」
退職して会社の寮を出たため、家を失った。男性は大手鉄道会社の正社員を辞めてから転職を繰り返し、蓄えもなかった。中野区のマンションの一室でNPO法人などが運営するシェルター「LGBT支援ハウス」を頼るしかなかった。
参院選では、与野党ともに多様性ある社会の実現やLGBT理解を掲げる。自民は選挙公約に「理解の増進を目的とした議員立法の速やかな制定」と明記する。先の国会で法案提出を目指していたが、見送っている。党内事情に詳しい関係者は「当事者が何に困っているか、まだ見えていない。党内の法整備の優先度は低い」と明かす。昨年十二月に野党六党派が共同提出した「LGBT差別解消法案」も審議されぬままだ。
男性は二月末に再就職してシェルターを出た。今は埼玉県内の工場で働く。新しい職場ではまだ誰にもゲイと打ち明けてはいない。
男性は「日本では同性間のセクハラを訴えても聞いてもらえない。同性カップルは結婚できないし、パートナーの死に際に会えなかったり、財産を相続できなかったりするのもおかしい。皆が生きやすい世の中へのルールを作ってほしい」と願う。
一人で苦しんでいるのは男性だけではない。シェルターの運営メンバーで、エイズに関する啓発や支援をしてきたNPO法人「ぷれいす東京」代表の生島嗣さん(60)は「LGBTには、セクシュアリティーの問題があるために家族と疎遠で、周囲に『助けて』と言えない人が少なくない」と説明する。
学校や職場で、いじめやハラスメントの被害を受けやすく、心身の不調から退職などに追い込まれ、住まいを失う場合もある。昨冬の開設以来、シェルターには男性を含め三人が入居した。運営に携わる立教大大学院特任准教授の稲葉剛さん(50)は「LGBT困窮者への支援ニーズが高いことが確認できた。背景には根強い差別や偏見がある」と話し、差別をなくす取り組みや支援の重要性を訴えた。 (奥野斐)
<LGBTと法整備> LGBTはレズビアン(女性同性愛者=L)、ゲイ(男性同性愛者=G)、バイセクシュアル(両性愛者=B)、トランスジェンダー(出生時の性別と異なる性を自認する人=T)を指し、性的少数者の総称としても使われる。世界では70超の国で性的指向に関する差別を禁じた法制度があるが、日本にはない。先進7カ国(G7)で同性婚やパートナーシップが法的に認められないのは日本のみ。同性カップルを自治体が認める「パートナーシップ制度」は全国24自治体(7月1日現在)に広がったが、法的効力はない。
※「LGBT支援ハウス」は、LGBTハウジングファーストを考える会・東京が運営をしています。同会のウェブサイトはこちらですので、ぜひご覧ください(下の画像をクリックしてください)。
2019年7月30日
提言・オピニオン
※山本太郎さんから返信をいただいたので、末尾に追記しました。合わせてご覧ください。
路上生活者を支援するための夜回りをしていると、時折、路上のゴミ箱に手を突っ込んで、食べられる食料を探している人に出会う。そんな時、私はいつも声をかけていいものかどうか迷ってしまう。
こうした行為を、当事者は「エサ取り」、「エサ拾い」と呼んでいる。
自らの生命をつなぐための食べ物を「メシ」ではなく、「エサ」と自嘲的に呼ぶこの言葉を聞くたびに、私は野宿をせざるをえない人たちの傷つけられた自尊心を垣間見るような気がしている。
ファストフード店などでは、食料を廃棄する際、わざとタバコの吸い殻を混ぜて食べられない状態にして出す店が少なくない。
以前、新宿の路上で話をした70代の男性は、ハンバーガーショップが廃棄したタバコの灰まみれのバンズを水に浸していた。なぜそういうことをするのかと聞くと、水でふやかした後で、灰に汚れた皮の部分を丁寧にはがして、段ボールの上に置いて乾かし、そのあと、口に入れるのだと教えてくれた。
最近も、20年以上、路上生活を経験した高齢者から「お恥ずかしい話ですが、ひもじい時は猫のエサを食べてましたよ」という話を聞いたばかりだ。何日も食事ができない時は、猫のボランティアをしている人が墓地や公園に置いていったキャットフードに手をつけざるをえない時もあったという。
ホームレス状態にある人の全てがこのような極限の貧困状態にあるわけではないが、ホームレス支援の活動をしていると、こうした「絶対的貧困」とも言えるエピソードを聞くことは珍しくない。
だが、こうした貧困の実態は世間の人々にはほとんど知られていない。
私がホームレス支援活動を始めた1990年代に比べると、人々の理解も進んできたものの、未だに「ホームレス」を「好きでやっている」、「気楽でいい」とレッテル貼りをしたり、ジョークのネタとして使う風潮はなくなっていない。
山本太郎さんへのメール
なぜこういうことを書いているかと言うと、山本太郎さんが参議院選挙後の7月23日にSNS(Twitter、Facebook)で以下のようなコメントをしたからだ。
私はこれまでホームレス支援の現場で、何人もの国会議員の視察やボランティア参加を受け入れてきたが、歴代の国会議員の中で最もホームレス支援に熱心であったのは山本太郎さんであると断言できる。
その山本太郎さんが軽口のように「ホームレス」を自称するのは、大きなショックであった。
そこで、私は山本太郎さんに以下のメールを送った。
山本太郎様
6年間の議員活動お疲れさまでした。
生活保護や住宅政策の分野では私も質問作りに協力させていただきましたが、貧困現場を踏まえ、政府に対策を迫る質問は大変心強かったです。
また、今回の選挙戦も、この社会で肩身の狭い思いを強いられてきた人たちに希望を与えるものでした。
それだけに、Twitterでの「44歳、無職、ホームレス、頑張るぞ!」という発言は残念でなりません。
「議員をやめれば、ホームレス」は自民党議員の鉄板のネタで、私はホームレス対策について真剣な議論をしている時に、彼らがそう言って笑うのを何度も見てきました。
この言葉は、路上生活の過酷な現場を知っている人は言えないはずの言葉だと思います。
政治的な影響力が大きくなっても、山谷や渋谷などでの炊き出し、「つくろいハウス」での緊急支援の現場で見てきたことを忘れないほしいと願います。
よろしくお願いいたします。
2019年7月24日
稲葉剛
この原稿を書いている時点(7月27日午後)で、山本太郎さんからの返信は来ていない。
このコメントはジョークではなく、彼自身、今回は落選をしたために議員事務所を片づけたり、議員宿舎から退去しなければならなくなり、今後の自分の住まいの確保を含め、大変な状況なのではないか、と言っている人もいた。
そうかもしれないと私も思う。しかし、そうであったとしても、経済的に困窮し、人間関係においても頼れる人がおらず、路上やネットカフェで寝ざるをえない状態からは、ほど遠いであろうと私は推察する。
ホームレス状態にある人のほとんどは、住所だけでなく住民票も失っている。選挙の投票権は住民票にひもづいているため、ホームレスの人たちは投票権を実質的に剥奪されている。
ホームレスの人の中には山本太郎さんたちの演説を路上で聞いて共感をした人もいたかもしれないが、その人たちは投票に行くことができない。その意味を受け止めていれば、こうした軽はずみな発言はできないはずだ。
お忙しい時期だと思うが、山本太郎さんからの返信を心待ちにしている。
システムから排除されている者という自己認識
ここから先は私の邪推かもしれないが、メールを出した後、山本太郎さんが自らを「ホームレス」になぞらえるのは、自民党議員のように自分は絶対にそうならないとわかっていて発するジョークなのではなく、自らを「システムから排除されている者」と位置付けているからなのではないだろうか、と思うようになった。
私が企画した貧困問題に関する院内集会に彼は何度も参加してくださっている。
今年6月に開催した住まいの貧困に関する院内集会でも、彼は最後まで熱心にメモを取りながら参加してくれた。
そういう場で発言をする際、山本太郎さんはよく「野良犬」を自称していた。
「ホームレス」発言はその延長線上にあるように思える。
その関連で興味深いのは、れいわ新選組の候補者であった安冨歩さんが書いた以下の記事である。
内側から見た「れいわ新選組」
ここで安冨さんは、「人間同士の関係、すなわち『縁』が腐れ縁になってしまったとき、その縁を断ち切って離れるのは当然だ、という人類普遍の感覚」を「無縁の原理」を呼び、「この無縁の原理こそが、現代社会の抑圧を打ち破る力を我々に与える、と私は考える。山本太郎氏は、自らを『野良犬』『永田町のはぐれ者』といったように表現することがあるが、これは自らの無縁性を自覚しているからだと考える。」と述べている。
その上で安冨さんは、れいわ新選組は、「政党」でも「左派」でも「ポピュリスト」でもなく、「無縁の原理を体現しており、山本太郎氏や私を含めた候補者は、無縁者の集まりであった」と表現している(※)
記事の中で、安冨さんは「これは私自身の見解であり、山本太郎氏の見解とも異なっているはずであり、ましてや、れいわ新選組を代表するものでは決してない。そもそも、この文書は、れいわ新選組関係者の誰にも見せずに、公開している。」と言っているので、その点は留保したいが、この「無縁者の集まり」という表現は、外から今回の選挙戦を見ていた者としてもしっくりする言葉である。
この記事を読んだ私の感想は、「これは新撰組というより、梁山泊だなあ」というものであった。自分が参加してきた数々の社会運動の立ち上げ段階において、「無縁者の集まり」が力を発揮してきたことも思い出し、「無縁の原理を体現した無縁者が集まって、事をなす」という考え方に、懐かしさに似たシンパシーを感じた。
だが、こうした社会運動としての魅力が、政党として求められる責任や持続可能性と両立しうるのか、という点に疑問を持ったのも事実である。
安冨さんご自身は、今後、政党となったれいわ新選組に参加するのかどうか、存じ上げないが、れいわ新選組が政党要件を満たし、政党助成金を受領する政党となってからも、こうした原理を維持することができるのか、維持することが良いことなのかは、議論に値するだろう。
政党でも社会運動団体でも、財政規模が大きくなり、雇用する人が増えれば、組織としてのコンプライアンスを求められることになり、対外的な責任も増していく。そうなれば、無縁の原理とは異質な組織原理を持ち込まざるをえなくなるのではないだろうか。
障害者運動の経験に学んでほしい
同じことは代表である山本太郎さんについても、言えることだろう。
「野良犬」や「ホームレス」に自らをたとえながらも、今や山本さん自身は6年の実績を持つ政治家であり、政党要件を満たす政党の代表である。
選挙権を行使できない実際のホームレスの人たちとは、全く違う立ち位置にいることを自覚してほしい。
山本太郎さんはこれまで自らをシステムの外側にいる存在だと位置づけ、外側からシステムを告発するというスタイルの運動を展開してきたと、私は理解している。
しかし、今回の選挙戦でシステムの厚い壁に穴を開け、システムを内側から変えうる存在になったと私は考えている。
その変化を踏まえるのならば、自らはシステムの外側にいる存在であるという自己認識を変えなければならない。
内側にいるのに、外から石を投げているポーズを取れば、人気は取れるかもしれないが、それは欺瞞である。
ヒントになるのは、今回、山本さんが共闘した障害者運動の経験であろう。
システムの外側からの告発に始まった障害者運動は、当事者主体の自立生活運動へと発展し、国のシステム変更にも大きな力を持つ存在となっている。
今回、当選した舩後靖彦さんと木村英子さんが早速、参議院をバリアフリー化させたのは、当事者運動の長年の成果である。
私が言うまでもないのかもしれないが、障害者運動の経験に学んだ上で、システムを内側から変えていくには、どのような言葉と戦略が必要なのか、ぜひ考えていただきたいと願っている。
※れいわ新選組が「左派ポピュリズム」なのかどうかについては、この間、様々な人が議論をしている。「ポピュリズム」の定義もさまざまあるようなので、ここではその議論には立ち入らない。
【7月28日追記】山本太郎さんから返信をいただきました。
7月28日、山本太郎さんよりメールの返信がありました。
実際に住まいの確保の問題で困っているというご事情とともに、「稲葉さんのご指摘、ごもっともです。今日を生きることも厳しい人々と、国会議員として落選したばかりの私を、同列で語るかのような言葉選びには配慮がなかった、と反省いたします。申し訳ありませんでした」とのことでした。「住まいは権利」について今後も深めていきたいという言葉もいただきました。
真摯な対応に感謝いたします。今後とも意見交換を続けていきたいと思います。
2019年7月27日
メディア掲載
2019年7月23日付け朝日新聞「耕論:選挙戦で見えたものは」に、稲葉のインタビュー記事が掲載されました。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14108684.html
(耕論)選挙戦で見えたものは
■2019参院選
令和最初の参院選が終わった。衆参ダブル選挙を回避した与党の判断は功を奏したのか。野党の「共闘」はうまくいったのか。消費増税や年金の「2千万円」問題はどう影響したのか。「3分の2」を与えなかった民意に「改憲勢力」の次の動きは。この選挙を通じて、私たちに「希望」は見えたのだろうか。
社会運動からの課題提起、ようやく光
稲葉剛さん(つくろい東京ファンド代表理事)
今回の参院選では、野党が「2千万円問題」で与党を攻め立てる構図が見られました。年金だけでは老後の生活を支えられないのではないか、という有権者の深刻な不安を背景にした批判です。
2千万円問題があぶり出したのは、日本社会の「中間層」にあたる人々が経済的にやせ細り、その地盤沈下がいよいよ隠せなくなってきているという実態でしょう。実際、この十数年間に日本では、貧困の問題が拡大してきています。
選挙戦で示された野党の主張を見ていて以前と変わりつつあるなと感じたのは、住まいの問題に光が当てられ始めたことです。賃貸住宅で暮らす世帯への「家賃補助」が掲げられたり、低家賃の「公的住宅」を拡大する政策が訴えられたりしていました。持ち家を奨励する政策が中心で、賃貸住宅での暮らしを充実・安定させる政策が手薄だと言われてきた日本にあって、ようやく住宅政策の見直しが意識され始めているのです。
個々人の収入を増やす政策や生活保護などの福祉政策だけではもはや足りないことが明らかになり、生活の根幹である「居住」のありようを見直すことも必要だという認識が広がっている構図です。
振り返れば、日本社会で貧困の存在が可視化されたのは今から10年ほど前のことでした。派遣切りに遭った人たちを支援する派遣村が設けられ、注目を集めたことが契機になっています。
この10年間に起きた変化の一つは、絶対的貧困と呼ばれる問題の改善です。貧困に苦しむ人への支援が広がり、路上生活者がこの時期に約5分の1に減っていることが象徴的です。もう一つ起きたのが、相対的貧困の増大です。生活が苦しいと感じる人が増えてきたのです。相対的貧困の問題が深刻化したのは、政府の政策によって非正規労働が拡大されたことが要因だと私は見ます。目的は、企業の人件費負担を圧縮するためでした。
中間層に持ち家を持たせることを支援する従来の住宅政策は、正規労働者を中心とする「日本型雇用システム」の存在を前提にしていました。30年以上もの長期間にわたって住宅ローンを支払い続けられる労働者が必要であり、終身雇用と年功序列を特徴とする旧来の雇用システムが、それを支えていました。また住宅費と並ぶ重い負担である子どもの教育費についても、年功序列の賃金上昇でカバーできました。かつて老後が安定していたとすればそれは、ローンを払い終えた持ち家と、夫婦2人分の生活を支えられる年金があったからだと思います。
この旧システムの特徴は、住宅や教育への重い出費を各世帯が「賃金収入から払う」ことでした。しかし、それが成り立つ前提は2000年代を通じて崩れました。非正規労働が広がり、住宅費も教育費も賃金収入で担う方式の無理があらわになった。家賃負担にあえぐ世帯のために公的な家賃補助や公共住宅の充実といった政策が提示され始めたのは、そうした社会の変化を映したものです。
非正規労働の拡大によって従来の日本型雇用システムは崩壊しました。にもかかわらず、政治は人々の生活を支える新しい仕組みを提示できず、従来のシステムの手直しにとどまっています。こうした現状が、いま日本を覆っている行き詰まり感の根っこにあると思います。
社会をより良くしようと活動する人々と多く出会っていて少し不安を感じるのは、NPOや社会的起業による民間の創意工夫には高い関心を向ける半面、政府の政策を変えようとする動きが低調な傾向です。政治へのあきらめがあるのかもしれませんが、民間だけでは貧困は解決できません。貧困のような構造的な問題を解決するには、政府の巨大な力を活用して普遍的な支援の体制を築きあげていく作業がやはり欠かせないのです。
生活への公的な支援を充実させる方向に政府の役割を変えるべきだという異議申し立ては、参院選での議論にも表れたと思います。ただ、それが旧システムの終わりの始まりになるかは未知数です。投票率は低く、日本では自己責任論が広がり、社会としての連帯感は10年前より後退している印象さえあるからです。
先日、元ハンセン病患者の家族を支援する方向に政府が政策を転換しました。参院選を意識したものだと言われましたが、長年にわたる当事者や支援者の地道な活動があっての転換だった事実を忘れるべきではありません。日本では社会運動が弱いと指摘されますが、今回の転換から見えたのは、この社会にも「課題を設定する力」はあるという事実です。
問題は山積みですが、社会運動による課題提起の力を、野党の公約だけでなく現実政治の転換にまでつなげていければと考えています。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
*
いなばつよし 1969年生まれ。つくろい東京ファンドなどを拠点に貧困解消の活動に取り組む。立教大学特任准教授(居住福祉論)。
2019年7月24日
メディア掲載
2019年7月15日付け東京新聞の記事「低所得者らを拒まぬ物件『登録住宅』目標の5%止まり」に、稲葉のコメントが掲載されました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201907/CK2019071502000130.html
<参院選 ともに>低所得者らを拒まぬ物件 「登録住宅」目標の5%止まり
民間賃貸住宅の入居を断られやすい低所得者や高齢者、障害者らを拒まない「登録住宅」制度が、発足から一年半たっても、政府目標の5%程度の約九千戸にとどまっている。低所得者を受け入れた家主に家賃の一部を補助する仕組みも、本年度に予算化したのは全国で四十五自治体だけ。民間の空き家・空き室を活用して低所得者らの住まいの確保を目指す政策は、十分に機能していない。 (北條香子)
国土交通省への取材で分かった。制度は二〇一七年十月施行の改正住宅セーフティネット法に基づく。賃貸人が低所得者ら「住宅確保要配慮者」の入居を拒まない物件を都道府県などに登録し、行政側は配慮が必要な人に情報提供する。専用の住宅にすれば、国や自治体からバリアフリー化や防火・消火対策工事費の補助を受けることもできる。
政府は登録住宅を年間五万戸程度増やし、二〇年度末までに十七万五千戸にする目標だ。だが七月一日現在の登録戸数は九千百十七戸で目標を大きく下回る。
自治体が家主に家賃の一部を補助する制度を、昨年度利用したのは四十九戸。本紙調べでは、東京特別区と関東六県の県庁所在地、政令市計三十一のうち、本年度に補助費を予算化したのは世田谷、豊島、練馬、墨田各区と横浜市だけ。板橋区住宅政策課の清水三紀課長は「補助は数年で終わるものではない」と、財政的な事情から制度化に踏み切れないと説明する。
制度が進まない背景には、周知不足に加え、家主の負担感があるとみられる。
国交省は昨年、登録手続きを簡素化し、自治体に手数料撤廃を要請した。住宅総合整備課の担当者は「手数料がなくなればハードルが減り、大手事業者にも登録をお願いしやすい環境が整った」と、家主の負担を減らしたことでの登録増を見込む。
東京都は今月九日、登録住宅に入居した高齢者の見守りサービス費の半額を支援するモデル事業を始めた。安否確認や孤独死の際の原状回復費を補償することで、家主の負担減を目指す。遠藤邦敏・安心居住推進担当課長によると「住宅セーフティネット制度」での自治体による見守りサービス補助は全国で初めて。
(中略)
住宅問題相談などに応じている「住まいの貧困に取り組むネットワーク」世話人の稲葉剛氏は「家主の善意に頼るのは限界がある。借り上げ型公営住宅のような仕組みが必要だ」と提案している。(北條香子)
2019年7月24日
メディア掲載
2019年7月18日付け東京新聞の記事にコメントが掲載されました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019071802000162.html
<参院選>隠れ住む「貸倉庫難民」 非正規労働者「ここは底辺」
階段を上り、二階のフロアに通じるドアを開けると、狭い通路の両側にドアがずらり。二畳ほどのスペースが薄い板で仕切られている。「グオーン」と空調の鈍い音が響き、踊り場にある共用のトイレや洗い場からはカビの臭いが漂う。
ここは東京二十三区内にある三階建て雑居ビル。にぎやかな商店街にひっそりたたずみ、「レンタルルーム」や「レンタルスペース」と呼ばれる貸倉庫となっている。
「非正規労働者が増え、貸倉庫にまで住むようになった」。生活困窮者の支援者からそんな話を聞いた。窓がない、仕切りの素材が燃えやすいなど住居としての建築基準を満たさないが、利用料金の安さから住み着く人が出てきたという。
夕方、仕事終わりとみられる作業着姿の人や、弁当を手にする人がビルの鍵付きの玄関に吸い込まれていく。運営会社から住むのを禁じられており、利用者の口は一様に重いが、「絶対内緒ですよ」と、二十代の利用者が鍵を開けてくれた。
午後六時すぎ。幾つかの部屋から物音が聞こえる。Tシャツ、短パン姿の中年の男性はリラックスした様子で用を足しに出てきた。
招き入れてくれた男性によると二十四時間出入りが可能でほとんどの部屋に人が住んでいるという。部屋の中を見ることは拒まれたが、ホームページによると約百室あり、窓がない部屋もある。一部屋の契約額は月三万円程度だ。
運営会社は「物置」や「休憩室」としての用途を示し、住むことは禁じている。だが利用者にとってはアパートより月の支払いが安く、敷金や礼金もない。毎日、入退室手続きが必要なインターネットカフェに比べても、月単位で借りられ、荷物を置いて仕事に行けるため便利。職場の口コミなどで広がり、住む人が増えているという。
男性は道路整備のアルバイトで日銭を稼いでいる。「住んで一カ月ぐらいだが、ここは底辺。狭いし、汚いし、早く抜け出したい」と吐き捨てるように言った。
後日、都内で同じ会社が運営する同種の雑居ビルを訪ね、一階のコインシャワーから出てきた四十代男性に話を聞いた。定職がないため不動産屋からアパート契約を拒まれ、一年前から住んでいるという。今は知り合いの親方の下で建築現場で働き、月の収入は二十数万円。「親方からの仕事がなくなれば、働く場所もなくなる」と、髪を拭いていたタオルで顔を覆った。
雇い止めされた非正規労働者らが寮などを追われ、インターネットカフェで寝泊まりする「ネットカフェ難民」が、世間に知られるようになって十年以上がたつ。生活困窮者を支援してきた立教大大学院特任准教授の稲葉剛さん(50)は「今はネットカフェだけでなく、貸倉庫やサウナ、二十四時間営業のファストフード店などに居住が広がり、実態が見えづらくなっている」と指摘する。
安倍晋三首相は、完全失業率が民主党政権下の4%台から2%台に改善したことを「アベノミクス」の成果だと強調しているが、昨年の国の調査では、雇用者のうち四割が非正規だ。
「団塊世代の大量退職で働き口はあるけれど、労働者は相変わらず低賃金で、雇用も不安定」と稲葉さん。「狭い部屋で寝泊まりすれば体を壊すし、孤立感からうつっぽくなる。生活保護に至る前に、低家賃の公営住宅や家賃補助制度を設けるなどの住居対策が選挙のもっと大きな争点にならないと」と訴えた。
コインシャワーで出会った四十代男性は「頭が悪いから政治はわからない」と投げやりだが、将来は不安だ。最近、同じ現場で働く高齢者に自分の未来が重なる。「物覚えが悪く、作業も遅い。それでもうちで働けなくなればホームレスになると親方も分かっているから、クビにできない」
「俺はそうはなりたくないけど、酒や遊びを控えても金はたまらないし、体もきつくなってきた。どうやってこの生活から抜け出せばいいのか」。力なく話し、倉庫への階段を上っていった。 (原田遼)
<生活困窮者の住居> 「オフィス」「倉庫」などとして貸し出され、実際には多人数が寝起きしている建物を、国土交通省は、住居の建築基準を満たさない「違法貸しルーム」と定義。昨年は防火や採光の設備が足りていないとして、全国の都道府県などが1458件の貸主に是正指導した。一方、東京都は2016年度にネットカフェやサウナなど夜通し営業する店舗で実態調査し、住居を失い寝泊まりしている利用者が都内に1日4000人いると推計を出した。
※関連記事:参院選:各党の住宅政策を比較する~住まいの貧困対策に熱心なのはどこ?(住まいの貧困に取り組むネットワークブログ)
2019年7月20日
メディア掲載
2019年7月12日付け朝日新聞東京版に稲葉のインタビュー記事が掲載されました。
https://www.asahi.com/articles/ASM787H1YM78UTIL03W.html
参院選2019 私の争点
つくろい東京ファンド代表理事 稲葉剛さん(50)
学生時代に路上生活者の支援に関わったのを機に、貧困問題に取り組んで25年になります。数字上の失業率は改善し、働ける世代の生活保護は減りましたが、実態をよく見ると、状況はよくなるどころか、悪化の一途をたどっているようにみえます。
若い世代では、非正規雇用の不安定な仕事が多いため、ネットカフェなどで暮らさざるをえない「住居喪失者」が増加。都内では2017年に4千人と、この10年間で倍増しました。24時間営業のファミレスやファストフード店、カプセルホテル、サウナ、友人宅などを転々とし、路上生活の一歩手前で都会を漂流する人が増えているのを実感しています。
高齢者も同様です。生活保護世帯に占める高齢者世帯の割合が年々増え、現在は半数を超えました。根っこにあるのは年金問題。家賃が高い東京で、年金が少ない一人暮らしの高齢者は生活できません。年金政策と住宅政策の失敗で、生活保護に頼らざるをえない高齢者が増えている。
07年に始まった反貧困運動にかかわりましたが、存在しないとされていた国内の貧困問題を可視化するのが目標でした。08~09年の派遣切り問題によって貧困は誰の目にも明らかになり、貧困を生み出す社会のあり方を再考しようとする動きが広がりました。
しかし、今は自分と家族が生き残るのが精いっぱいで、社会のあり方に目を向ける余裕のない人が増えているような気がする。悪い意味で、貧困が存在することがあたり前の社会になってしまったと言えます。
ここ数年はブラック企業批判など、若者の生きづらさや経済的な困難を言語化することで改善につながった例も出てきています。声を上げることで制度や社会の意識を変えるという経験を積み重ねていくしかない。選挙もその機会の一つなのだと思います。(聞き手・小林太一)
◇
いなば・つよし 広島県生まれ。2001年に「自立生活サポートセンター・もやい」を設立し、14年まで理事長。15年から立教大大学院特任准教授。
※関連記事:参院選:各党の住宅政策を比較する~住まいの貧困対策に熱心なのはどこ?(住まいの貧困に取り組むネットワークブログ)
2019年7月20日
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