【2014年2月13日】 東京新聞:市民発「貧困に優しい視線を」(稲葉剛紹介記事)

メディア掲載

市民発「貧困に優しい視線を」 もやい 稲葉剛さん(44)

貧しい人たちの生活再建を支えるNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」。理事長の稲葉剛さんは二十年間にわたり、生活困窮者の支援を続けている。地道な取り組みは実を結んでいるが、社会的弱者の切り捨てにつながる政策を進めようとしている政府に危機感を募らせている。(我那覇圭)

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両親は先の戦争で、疎開先から原爆投下後の広島市に戻り、被爆しました。私は被爆二世として、幼いころから戦争や平和の問題を家族と一緒に考えてきました。大学時代には湾岸戦争に反対して、デモ行進などを主催しました。社会運動に関わるようになったのは、この頃です。

貧困問題と本格的に向き合い始めたのは1994年。東京都が、新宿駅西口にあったホームレスの段ボールハウスを強制撤去しました。私は当時、大学院生でしたが、何か手助けはできないかと現場に行くと、凍死する人もいました。貧困なんて海の向こうの話と思っていたので、大きなショックでした。路上で誰かが亡くなるような社会は、何とかしないといけないと感じたのです。

貧困問題は、差別や偏見と密接にリンクしています。皆さんは生活保護利用者に対して、「恥だと思わないのか」と考えていませんか。ホームレスでも心身の病気などで、働きたくても働けない人もいます。家庭内暴力を受けて自宅を飛び出したものの、生活保護の利用に追い込まれた母子も少なくありません。

もやいでは、頼る身内や友人がいない人たちの連帯保証人になって家を借りるお手伝いをしています。その後も生活相談に乗ったり、民家を改修したサロンを開いて、交流の機会を設けたりしています。特に関係の深い身寄りのない人が亡くなった場合には、部屋の整理や供養もします。社会から隔絶され、人間関係の貧困にも直面している人たちの気持ちを和らげたいからです。

最近、生活困窮者を取り巻く環境は厳しくなってきました。憲法25条では、健康で文化的で最低限度の生活を国民に保障しています。それなのに、安倍政権は社会保障を軽視して、生活保護費を引き下げました。人間らしく暮らす権利は脅かされています。一層の社会保障費の抑制が叫ばれる中、生活再建を自己責任で国民に強いるような政府の姿勢に危機感を抱いています。

もやいは国の補助金などに頼っていないので、正直に言うと、非常に不安定な運営が続いています。ここ数年間は毎年1000万円以上の赤字が出ています。リーマン・ショック後、貧困問題に社会的関心が高まった時に、個人から寄せられた寄付金を取り崩すなどして、何とか活動を続けています。

国の社会保障制度からこぼれ落ちる人たちを出さないようにしたい。もしこぼれ落ちても、他の支援団体や貧困問題に詳しい法律家のグループと連携して、支援していきたい。貧困に対する社会のまなざしも変えていきたいと思います。

 

 

東京都知事選と「住まいの貧困」

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都知事選の苦い思い出

東京都知事選には苦い思い出があります。
1995年の都知事選。世界都市博覧会の中止を公約に掲げた青島幸男が約170万票を得て当選しました。当時、市民運動団体の多くが彼を支持し、新宿で路上生活者支援活動を始めたばかりの私たちも「市民派知事」の誕生に大いに期待しました。
しかし、青島都知事(当時)は都市博中止の公約は守ったものの、その他の政策は全て都庁の官僚に丸投げにしました。そして1996年1月、新宿駅西口地下通路の路上生活者コミュニティ「新宿ダンボール村」を強制排除したのです。
「市民派」、「庶民の味方」といった表層的なイメージだけで都知事を選んではいけないというのは、私がこの時に得た苦い教訓でした。

ネットカフェ難民と「脱法ハウス」問題

1990年代、路上生活者の大半は50代、60代の日雇い労働者でした。しかし、小泉政権下の2003年、労働者派遣法が「改正」され、製造業を含めた様々な業種で派遣労働が解禁されると、若年層にも貧困が拡大しました。ネットカフェで暮らすワーキングプアの若者から初めて〈もやい〉にメールで相談が来たのは、2003年の秋のことでした。
2007年からはテレビ報道がきっかけになり、「ネットカフェ難民」が大きな社会問題になりました。しかし、石原慎太郎都知事(当時)は2008年に「山谷に行けば、200円、300円で泊まる宿はいっぱいある」のに、若者がネットカフェで宿泊しているのは「ファッション」だと発言。私たちの抗議を受けて、「200円、300円で泊まる宿」は実際には存在しないことを認めましたが、「ファッション」については撤回せず、最後まで若年層の貧困問題に向き合おうとしませんでした。
2013年には、「レンタルオフィス」や「貸し倉庫」などの名目で人を集めて居住させる「脱法ハウス」問題が社会問題となりました。「脱法ハウス」の多くは、東京都建築安全条例が定める居室の面積基準(7㎡以上)を下回っており、窓が無い、防火対策がなされていない等、安全面でも大きな問題を抱えています。
国土交通省はこうした物件が建築基準法に違反するとして、物件の実態調査と是正指導を進めていますが、2013年12月末時点で国交省が調査対象にしている全国1347件のうち、約4分の3(1031件)が東京都内に集中しています。

こうした「脱法ハウス」が広がった要因の一つに、東京都が2010年に「ネットカフェ規制条例」を制定した影響があります。防犯対策を名目に、ネットカフェ入店に際して本人確認書類の提示を義務づけたため、かつて住んでいたアパートに置いていた住民票が行政によって消されてしまった人など、ネットカフェに暮らしていた人々の一部がネットカフェに入店できなくなりました。都条例により、「ネットカフェ難民」がネットカフェにすら泊まれないという状況が生まれてしまい、その結果、こうした人々をターゲットにする新たな貧困ビジネスが生まれたのです。

国土交通省は昨年秋以来、「脱法ハウス」への規制を進めており、「脱法ハウス」の一部はすでに閉鎖に追い込まれています。安全性が欠如した住まいが規制されるのは良いことですが、規制だけが進めば、結果的に「脱法ハウス」にも住めなくなり、路頭に迷う人たちが出てしまうことになります。私たちは、国や東京都や対して「脱法ハウス」住民が適切な住宅に移れるための支援策の実施を求めていますが、いまだ実現していません。

住まいを確保できない低所得の高齢者

このように若年層の「住まいの貧困」はさまざまな形を取りながら、拡大・深化していますが、その一方で高齢者の住宅問題も深刻化しています。
石原都知事は「福祉改革」の名のもとに高齢者福祉などの福祉予算を削減しました。都営住宅の増設もストップさせ、低所得者の住宅難を悪化させました。
石原都政下で高齢者福祉や住宅政策が後退した結果、都内で低所得の高齢者を受け入れる施設や住宅が減少しました。2009年3月に群馬県で発生した無届け老人ホーム「たまゆら」の火災(10人が死亡)では、東京都内での福祉事務所で生活保護を利用している高齢者が都外の劣悪な施設に送られている実態が明らかになりました。

東京23区では長年、木造の賃貸アパートが低所得者の受け皿として機能してきました。しかし、2011年の東日本大震災以降、住宅の耐震性問題に焦点が当たる中、老朽化した木造住宅の取り壊し、建て替えが進んでいます。かつては月3万程度の家賃で借りることのできた木造アパートがワンルームマンションに建て替えられると、家賃は2~3倍に跳ね上がります。その結果、低所得の年金生活者が住み慣れた住まいを失い、次に住宅を借りようにも自分の年金額にみあった低家賃の賃貸物件が見つからなかったり、高齢のために大家が部屋を貸してくれない、という事態が生まれているのです。

こうした中、路上生活者をターゲットに急成長してきた貧困ビジネスの施設が、低所得の高齢者の受け入れを積極的に始める、という状況も広がりつつあります。

このように今、東京では若者にも、高齢者にも、「住まいの貧困」が急速に広がりつつあります。この傾向は今後、さらに加速することが懸念されます。

労働者のうち非正規の人の割合が3分の1を超え、「非正規第一世代」と言われる人たちはすでに40代、50代になりつつあります。その多くが住宅ローンを組むことができないまま、高齢期に入ろうとしています。ワーキングプアの人の中には経済的問題により、結婚を断念している人も少なくありません。このままでは月数万円しか収入のない低年金の単身高齢者が大量に生み出されることは確実です。

日本の年金制度は「持ち家がある」、「夫婦2人の年金収入がある」ことが暗黙の前提として設計されています。賃貸住宅で住み続け、単身のまま高齢になる人が大量に出ることはそもそも想定していないのです。

10年後、20年後、この人たちは東京で適切な住まいを確保できることができるでしょうか。このままでは近い将来、東京は「貧乏人が暮らせない街」になってしまいます。
これこそが東京が抱える本当の課題であり、オリンピックでうかれている場合ではないと私は感じています。

「住宅政策」と「国家戦略特区への賛否」が焦点だ

こうした観点から、私は今回の東京都知事選で「住宅政策」と「国家戦略特区への賛否」を重視しています。
石原・猪瀬都政が続けてきた都営住宅の増設ゼロ方針を撤回し、低所得者向けの住宅政策を再構築することが「持続可能な街」を作るために必要です。

また、国家戦略特区による外資導入やオリンピックを口実にした都市再開発は地価を高騰させ、低所得者が暮らせる低家賃の住まいをますます縮小させます。

舛添要一候補は、2010年に出版した『日本新生計画 世界が憧れる2015年のジパング』という著作の中で、大都市圏の建築規制を緩和・撤廃した上で「超高層縦型都市に改造する」と提言しています。そして、「山手線内にも、一軒家に住んでいる人がたくさんいる。申し訳ないが、この方たちには、協力をお願いしなければならない」とまで述べ、立ち退きを示唆しています。

細川護煕候補は、政策集として「民間活力を生かした都市インフラ整備を推進します。『国家戦略特区』を活用し、羽田空港の国際化、都心拠点の拡充、先進的な医療環境や教育環境の整備に努め、住みやすさとビジネス機能性を両立させて都市作りを進めます。」と主張しています。

田母神としお候補は「各区各市町村の状況に適合する都営老人ホームの充実と拡大」を主張し、「広い土地が活用できる多摩地区や島しょ地域」に「『老人収容所』ではない」街づくりを進めるとしています。

宇都宮けんじ候補は、政策集において「住宅政策を人権として位置づけ、公共住宅の拡充と家賃補助制度の導入をめざします」と述べた上で、都営住宅の新規建設、入居差別や追い出し行為の禁止、「公的保証制度」の構築などを掲げています。また、都内の空き家を活用した「新しい公共住宅を拡充」するとしています。また、「東京に『国家戦略特区』はいりません――東京都心の大型開発・再開発に歯止めをかけます」と主張しています。

世代を越えた「住まいの貧困」がさらに拡大してしまうのか、低所得者でも住み続けられることができる持続可能な街をつくるのか。都民の選択が問われています。

(2014年2月、IWJブログに掲載)

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